彩に浮かぶ白色

「わたし……これは、受け取れません」


 一拍置いて、ぽつりと吐き出された言葉に、フレッドの表情は石膏のように白んで硬直した。

 差し出していた紙袋に対し、フェリシアが心苦しそうに押し戻す仕草をする。こめかみには脂汗だろうか、明らかに心因性の汗が滲んでいた。


「その、決してフレッドさんのことが嫌いなわけじゃないんです。いつもわたしに優しくしてくれて、あの戦いでも助けてくれた」


 ゆっくりと紡がれる言葉に嘘はない。フェリシアは真摯で、それでいて無垢な少女だ。極力フレッドの気持ちを慮っているからこそ、「申し訳ない」と心を痛めているのだろう。


「本当に嬉しいんです。こういうのは初めてで……顔から火が出るくらい恥ずかしいのに、心の底から優しい気持ちになれて……」


 熱っぽく赤らんだ顔で、俯きがちに続ける。一頻り喜びを示した後、フェリシアはその大きな瞳を青く輝かせながら、まっすぐに前を向いた。


「でも、受け取れません。わたしは七年も森で暮らしてました。……普通より、人と接した経験が浅いんです。このまま恋をしたら、きっとずれてしまう。フレッドさんを傷付けてしまうかも」


 それを受けて、フレッドの顔色が変わった。一瞬息を呑んでから深く眼を瞑り、口を真一文字に結んだ。


(……ヒューズの言葉と全く同じ、けど真逆だ。傷付くかもしれねえのはそっちの方だろ。それなのに……心から、相手の心配をしてんのか)


 フレッドは改めて、フェリシアの精神性に感服した。この告白を持ち掛けられたとき、彼女の脳裏によぎったのは"好きか嫌いか"ではなく、きっと"自分が期待に応えられるかどうか"なのだ。自分を下げ、相手を尊重し、幸福を守ろうとする。無意識のうちにそう考えてしまうのだろう。


「だから、ごめんなさい」


 それは同時に、フレッドへの信頼がまだ足りていないということの証左でもあった。


「…………わかった。いきなり悪かったな」


 フェリシアに頭を上げさせると、フレッドは微かに震えていた口角をぐっと抑え、押し戻された紙袋を再び前に出した。今回ばかりは、感覚の鈍いフェリシアでも彼の強がりが読み取れた。


「じゃあ、これはただのプレゼントだ。レインのヤツのアドバイスを参考に自分で選んだ。趣味に合わねえかもだが、似合うと思ったんだ」

「でも……」

「告白とは関係ねえ。別に捨ててくれてもいい。レインからの贈り物としてでもいい。もらってくれ」


 言われるがままに袋を渡され、中に入っていた小箱を手に取る。促されてゆっくりと箱を開けると、中には赤いリボンの髪飾りが納められていた。


 それを見て、フェリシアは優しく笑った。


「……ステキです。とっても可愛い」

「だろ?」


 いつの間にか二人の間に張り詰めていた緊張感は消え失せ、穏やかな——夜空に浮かぶ白月の光のような雰囲気が漂っていた。


 そうしてしばらくの間リボンに視線を集めていると、フェリシアははっと気付いたように髪を揺らして一歩引いた。まだ仕事の途中だということを思い出したのだ。


「ええと……それじゃあ、大部屋にホットミルクを用意しておきますから。おやすみなさい」


 そう断りを入れ、遠巻きにしているヒューズたちを一瞥すると、フェリシアはうやうやしく踵を返した。歩き出したフェリシアの後ろで、フレッドは拳を握り締めていた。


「フェリシア!」

「はっ、はいっ!?」

「覚えとけ。俺は諦めが悪い!」


 最後に呼び止めた時、二人は笑顔だった。




「…………ハァ……」


 バルコニーに残ったのは、四人の退魔師のみ。フェリシアが見えなくなるのを確認すると、傍観者たちは各々別々の表情を浮かべながらフレッドに近付き、その肩に手を乗せた。


「強がっちゃって。涙、溢れてるよ」

「……うるせえな」

「もーっ、キュンキュンしたよ! 絶対に行ける流れだと思ったんだけどなあ!」

「うるせえ! 盛り上がるな!」

「まあ、そう落ち込むなよ。嫌われた訳じゃない」

「お前だけちょっと顔が緩んでんだよ! ホッとしてんじゃねえ!」


 実際、ヒューズが告白の顛末に安心していたのは確かだ。兄としての覚悟不足とでも言おうか、娘を持つ父の気持ちがよく理解できる気がした。


「あっ、明日からもフェリシアちゃんとは一緒なんだよね? もしかしたら気まずくなったり……」

「やめろコラ! そういうこと言うな!」

「いやぁ、フェリシアなら露骨に避けたりはしないと思うぞ。その辺り配慮する子だから」


 そうだ。明日からも旅行は続く。フレッドの告白が成功しようが失敗しようが、計画に変わりはない。最終日にはヒューズの故郷に向かうことも変わらない。そしてそれは、ヒューズとフェリシアにとっては非常に大切なことでもあった。


「……ともかく、結果はどうあれハッキリと決着が付いて助かった。これでトラブルなんか起きたら、父さんたちにどう報告したものかって思ったよ」

「ああ……そうか。今回の旅行は、ご両親の霊園参りでもあるんだよね。無事終わってよかった」

「無事じゃねえけどな」


 横で不服そうにするフレッドをよそに、ヒューズは少し遠い眼をして思いを巡らせた。自身にとってもフェリシアにとっても、故郷に戻るのは七年ぶりだ。あの事件以降、一度も顔を出していない。森に匿われていたフェリシアはともかく、ヒューズには帰らなかったことへの後ろめたさがあった。


 さておき、と言った具合に意識を戻すと、ヒューズはフレッドの背中を軽く二度叩き、「とにかくがんばれ!」と明るく告げた。当然フレッドもやいやいと文句を挙げたが、雰囲気は変わらず和やかなままだった。


 そうして、四人は話を続けながらバルコニーを後にした。この後大部屋に向かい、フェリシアの用意した飲み物を片手に、少しだけ夜更かしをするのだろう。その姿はきっと、異能を持たない「普通の学生」と何ら変わらないはずだ。


 楽しい旅行に、明るい語らい。最後に悲哀が浮かぶかもしれないが、それも一過性のものだ。


 そうして、夜は更けていく。






 こんな思案も、今だからこそできるのだろう。


 シックザール家の家訓に、こんなものがある。

『人生を懸けて、己唯一の使命を見つけなさい。人生を懸けて、それを成し遂げなさい』


 ヒューズの考える「使命」は、両親を失ってから不安定に変遷を遂げた。初めは"フェリシアを取り戻すこと"。これは、途中で頓挫した。次に、"両親の仇に復讐すること"。


 結論から言うと、その使命は否定された。

 オリオンを仕留めたのはフレッドの火炎だ。ヒューズは関わっていない。「自分だけの使命」として達成されることはなかったのだ。そもそも、フェリシアを偶然見つけた時点で迸る復讐心は鳴りを潜めてしまっていた。


 最後に考え付いた"フェリシアを守る"という使命も、唯一のものではないと分かった。フレッドという同志がいる。妹を愛し、自分と何ら変わりなく守ろうとする人物が存在した。

 ——今思えば、シリウスもその一人だった。


 結局のところ、ヒューズの使命はまっさらにリセットされた。ジンの意志を継ぐという目標を抜きにすれば、彼はいま空白だ。


『——愛してるぜ、お前ら』


『ヒューズ。お前は栄光の道を征け』


『託されたものを守れる人に、俺はなりたい』


 胸中にある言葉と憧れが、これからの自分をどう変えるかは分からない。使命と呼ぶにはまだ未熟で、形の定まらない雲のような状態だ。


「それはそれで、やりがいがあるな」

 ヒューズはそう思った。


 重荷を下ろした少年は故郷に戻り、積み重なった経験の山に立ち、三人の親友、そして妹と肩を並べながら、また一から歩み始める。


 そうして、墓の前で語るのだ。

 七年の冒険譚を、「ただいま」という言葉から。







——————————

今回で彼らの旅行話は終了です。

次回は番外編のラストとなります。

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