揺れる焔の恋模様

 アステリアの崩壊後、学園の生徒たちは一時的に宿を失うことになった。勿論家族や縁者の元に帰ることのできる生徒もいたが、家のない生徒、それこそヒューズやフレッドのような者も学園には多い。そのため、新体制へ移行するまでの間、公営の宿泊施設への無償滞在が認められていた。


 レインとマリーはしようと思えば帰省できたが、せっかくの機会だから、と宿泊を選んでいる。とどのつまり、四人は学園が健在だった頃と何ら変わらない生活を送っているのだ。


 そんな日常の、ほんの一幕の話である。


 * * *


「…………」


 昼食には少し早い時間帯、がらんとした食堂でフレッドが席についている。大股を開き、ふてぶてしく腕を組みながら結露したコップを眺めていた。それでも少し小さく見えるのは、彼の眉が珍しく垂れ下がっているからだろうか。


「……せっかく呼び出しに応じたのにさ、黙ってたら分からないよ。僕に相談があるんじゃないの」


 その対面にはレインが訝しげな顔をしながら座っている。レモンティーを上品に口に運ぶと、レインは軽く背筋を緩めて溜息をついた。


「何もないなら帰るよ。僕もヒマじゃない」

「い、いや待て! 帰るなバカ! ちょっと心の整理を付けてただけだ……!」


 席を立とうとしたレインをわたわたと腕を振りながら引き留め、フレッドは大きく深呼吸した。口元が震え、真っ赤に染まった顔からは比喩ではなく蒸気が上がっている。レインは大儀そうに頬杖をついたが、内心笑いを堪えていた。相談内容に見当がついていた分、フレッドの初心な態度が笑えて仕方ないのだ。


「そ、そのだな……」

「うん」

「……す、好きな女に振り向いてもらうには……ど、どうすりゃあいいか、教えてくれ……」


 そう言い終わり、フレッドは机に突っ伏した。「ガラじゃねェ」という小声の呟きに思わず吹き出してしまい、レインは咳払いをしてから口を開いた。


「す、好きな女の子って……ふふっ、も、もしかしてフェリシアのことかな?」

「ああ!? なんっ……違えよ! なに言ってやがんだこの雪女! 殴るぞ!」

「ふふ、あははは! もうダメだ、もう我慢できない! どうしてそんなに分かりやすいかなあ?」


 笑い転げるレインを見て一層顔を赤く、それこそ炎の如く紅潮したフレッドが「笑うんじゃねえ!」と机を叩き、金具がキシ、と音を立てて外れる。その音で少し冷静になったのか、レインがなだめると、フレッドは舌打ちをしてから不満げに頭を掻いた。


「……そんなに分かりやすいかよ、俺」

「分かりやすいね。よっぽど鈍くなければ気付く」

「じゃあヒューズとマリーも知ってんのか!?」

「あー……あの二人は幸い『よっぽど鈍い』類だから。大丈夫、気付いてないと思うよ」


 フェリシア本人はどうだろうかと考えて、レインはすぐに「気付いてないな」と結論を下した。ヒューズから棘を抜いて三倍柔和にしたような性格だ。彼女も恐らく鈍い方の人種だろう。


「だから、相談先に僕を選んだのはラッキーだったね。二人には何も言ってないの?」

「言ってねえよ。あの電撃野郎は論外として、マリーは……なんつーか、すげえ騒ぎそうだろ」

「ふふ、確かにね。そういうことなら相談に乗るよ。恋愛経験はないから過度な期待は禁物だけど」


 そうして話の場を整えてから、レインは楽しそうに微笑んで質問を開始した。


「まず、なんでフェリシアを好きになったんだい?」

「はァ!? 今それは関係ねえだろ!」

「関係大ありさ。その理由はつまりフェリシアの魅力の再確認、そして君自身の気持ちの整理に繋がる。目標を攻め崩すにはまずそこから、ね」


 実のところ、レインが個人的に知りたい……いや、正確には知って面白がりたいのが一番の理由だが、並べ述べたことも決して嘘ではない。こういった話術はレインの得意とすることだった。


 フレッドは頭を揺らして言い淀んだ後、観念したように息を吸うと、右手で顔を覆って言った。


「……ったから」

「宝?」

「可愛かったからだよ! あの自信なさそうな顔がなんかこうグッと来た! ああクソッ、後はあれだ、いざってときの度胸もあるしな!」


 半ばやけになったフレッドが、活火山の如き勢いでフェリシアへの好意をまくし立てる。あまりの勢いにレインは笑うより前に呆けてしまっていたが、それでもフレッドは不機嫌そうだった。


 血と暴力のスラム街で暮らしてきたフレッドにとって、フェリシアのような弱々しい娘はある種カウンター染みた魅力を持っていた。それに一眼で魅入られたのに加えて、個人の好みである「芯のあるヤツ」「度胸のあるヤツ」という条件も見事に合致し、更にライバルであるヒューズの妹、という遠からず近からない関係性が作用した結果、彼の胸中に形容し難い感情が生まれたのだ。


 言い終わり、冷水を氷ごと飲み干したフレッドを眺めながら少し考えると、レインはあっけらかんと口を開き、自信げに指を立てた。


「じゃあそれを伝えればいいよ、ストレートに」

「流石に雑じゃねェか、それ。お前ちゃんと考えてんだろうな……」

「いやいや、君の良い面も推していくならこれだよ。フレッドくんは僕らの中じゃ一番男らしくて力強いでしょ? ……悪く言えば粗野なんだけど」

「なんか言ったか!?」


 助言を受けたものの、フレッドは何か受け入れ難そうにガタガタと椅子を揺らしている。見かねたレインがもう一度思案し、思い出したかのように再び声を上げた。


「じゃ、雰囲気作りに徹するとか。結構前に本を読めってアドバイスしたよね。そこから『女心』ってやつを学んだんじゃないの?」

「……読めなかった」

「へ?」

「糸クズみてえにぐちゃぐちゃ回りくどい表現が多すぎて読めなかったんだよ! 読めたと思ったら話が訳わかんねえし!」


 レインは呆れ顔で首を振った。手詰まりだ。その場の勢いでなんとか話を繋いでいたものの、前述の通りレイン自身も恋愛には疎い。これ以上アドバイスすることがあるだろうか、と妙な使命感で考えて込んでいると、そこに新たな起爆剤が訪れた。


「あれっ、フレッドにレインちゃん! なにしてるの? お茶会?」


 明るい声の発生源はマリーだった。時計を見ると、ちょうど昼食の時間が迫りつつある。食に並々ならぬ執着のある彼女が訪れるには、まさにちょうどいい時間だろう。


「……チッ、今日はここまでか……」

「いや、ここはマリーにも知恵を借りよう。女心……というか乙女心を学ぶには多分適任だよ」

「冗談じゃねえ、これ以上知ってるやつを……」

「大丈夫、名前は伏せるからさ」


 マリーに悟られぬよう、小声で会話を交わす。マリーの性格上このような恋愛相談には適さないのは分かっていたが、少しでも助けが欲しいのだ。


「二人とも?」

「ああ、いやいや。ちょっとした雑談をしてたんだよ。……ところでマリー、理想の告白ってあるかい? 男から女への」

「えーっ、急にどうしたのレインちゃん! 好きな人でもできたの?」

「そういうわけじゃないよ。ただの雑談さ、雑談」


 そう言われると、マリーは頬を緩めながら「そうだなあ」と目を瞑り、数秒後にかっと目を見開いた。満面の笑みに、大きな瞳が爛々と輝いている。紛れもない乙女の眼だと思った。


「満開のお花畑で二人っきりになって……お互いに緊張して、最高潮の瞬間に愛の言葉を言ってもらうの! お花は黄色がいいなあ。あとそういう時には白い服を着て行きたいよね! 男の人はねえ……」


 やはりというべきか、マリーは幻想に脚色された語り口で思いつくままの理想を喋り始めた。その勢いに押されて、レインは思わず目を細め、フレッドに至ってはぽかんと大口を開けてしまっていた。


「学んだかい、フレッドくん。これが乙女心」

「ぜんッぜんわかんねえ」


 また話が膠着こうちゃくしたところで、第二の来客が姿を現した。ヒューズだ。ヒューズはゆったりと歩いてくると、三人に気付いて嬉しそうに手を振った。


「おーい、みんな! 集まってなにしてるんだ?」

「げっ、ヒューズ……」

「なんだよその心底嫌そうな顔は」


 僅かに走った険悪なムードを断ち切り、ちょうど話し終えたマリーはヒューズに顔を向けた。


「ヒューズは理想の告白ってあるー? 自分がするのでも、される方でもいいよ!」

「理想の告白? うーん……される方は想像つかないけど、するならプレゼントでも用意するかな」


 プレゼント。その単語を聞き、レインは「これだ」と思った。想いを伝えるには最も手っ取り早い。贈り物の付加価値を高めてやれば、その成功率も格段に上がると言うものだ。興味なさげなフレッドをよそに、レインは早速行動に移した。


「プレゼントと言えば、フェリシアの好きなものとか、貰って喜んでくれそうなものってあるかな?」

「あ!? レインお前!」

「しーっ! 黙って聞いてて!」


「フェリシア」という言葉を、最も危険な——実の兄という立場のヒューズに放たれ、フレッドは大いに狼狽えた。その様子にヒューズは首を傾げたが、深くは考えなかったようだ。胸を撫で下ろしつつ、フレッドは戦々恐々とレインの話に耳を傾けた。


「今度ノルノンドに旅行するでしょ? 前の戦いでは世話になったし、何かプレゼントをと思ってね」

「ああ、なるほど。フェリシアは甘いものが大好きだから、スイーツなんかが無難だと思う。あとは料理器具とか、掃除道具とか……」


 我ながら見事な話術だ、とレインは心の中で微笑んだ。これでフェリシアの好みを把握し、ヒューズに悟られずにことを進められる。フレッドもその意図は汲み取っていたようで、レインのウィンクに対し、不敵な笑みで返事をした。


 そして「ノルノンド旅行」という言葉に、最高のタイミングでマリーが食い付いた。


「そうだ、旅行だよ旅行! 楽しみだね!」

「明後日でいいんだっけ? マリーの家にはまたお世話になるなぁ。何か土産でも持っていこうかな」

「いいね。あっちには置いてないものにしようよ」


 マリーを切り口として話題が切り替わり、わいわいと旅行に向けた計画の話が交わされる。ヒューズとマリーは二人の内心を微塵たりとも悟っていない。上手く行ったと安堵したレインは、こっそりとフレッドの背を叩いてやった。


「応援してるよ、フレッドくん」

「笑ってんじゃねえ、ムカつく顔しやがって……」


 感謝の言葉こそ出てこなかったものの、フレッドの口角が僅かに緩んでいる。「今度、お返しに何か奢ってね」と呟いて、レインは何事もなかったかのようにマリーたちの話に戻った。


(……旅行中が、大勝負ってことだな!)


 頬を二度叩いて気合を入れ直したフレッドは、二杯目の水を一気に飲み干しながら、脳裏に白い少女の影を浮かべるのだった。

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