追想:大樹と無垢の花②

 車が行き着いた先は、ビル群の立ち並ぶ都市の真ん中であった。そこらのマンションで暮らしているのかと推測した矢先、ジンは公共の駐車場に車を停め、「ちょっと職場に寄るからな」と告げた。"職場"というのが異能力者の根城らしい。警戒心を強めながら、ロシェも付いていくことにした。


 雑踏を潜り抜け、無機質なビルの扉を抜ける。そこから上に昇る……のではなく、下降した先にはあった。


 地下の巨大な建造物だ。異能学園『アステリア』。そう呼ばれる国営施設では、日夜異能力者の教育と研究が行われているらしい。ロシェが光る眼で辺りを観察しながら身を硬らせていると、ジンはその小さな背に優しく手を添えた。


 廊下を進んでいると、奥に人影が見えた。丁寧に切り揃えた黒髪に、人が好さそうに垂れた眼を携えた少年だ。端正な容姿もさることながら、ロシェが一層着目したのは、透視した体内に異常なほどの「水気」が込められていることだった。


「——やあ、ジン先生。ご無沙汰してます」

「お、ノエル! 元気してたか?」

「おかげさまで。その子がロシェちゃんですか?」


 ジンと少年——ノエルが、親しげに言葉を交わす。教師と生徒の関係らしい。ジンがただの教師ではないことは明らかだったが、深くは問わなかった。


 二人は少しの間「対魔」「魔族」「討伐」といった聞き慣れない単語を織り交ぜた言葉を交わすと、ジンが何かを思い出したように書類を取り出し、また難解な会話を続けた。要約すると、ロシェを引き取ったことについて報告書を提出しなければならない、とのことだった。


「ちょっとの間様子見といてくれよ。上にサクッと報告してくるからよ」

「相変わらず急だなあ。わかりましたよ」


 ジンが小走りで去っていくのを見届け、ノエルが向き直る。無表情のロシェに向けてなんの忌避感も示さず膝を屈めると、ノエルは穏やかに微笑んだ。

 

「僕の名前はノエル・ハイトマン。学園の一年生だよ。よろしくね」

「……よろしく」


 挨拶を終えたはいいものの、ロシェには別段話す理由もない。ふい、と顔を背けると、ノエルは困ったように頬を掻き、「そうだ」と人差し指を立てた。年少者の扱いに慣れている様子だった。


「見てごらん。僕の指先に注目して……それっ!」

「!」


 ノエルの指から勢い良く飛び出したのは、透明な液体——混じり気のない「水」だった。水を生み出し、指先で遊ぶようにくるくると回している。

 ロシェは理解した。これが異能だ。体内に迸る「水気」の正体は、この男が秘める未知の異能エネルギーなのだ。


「びっくりしたかい? 僕の異能力だよ。水を自在に操ったり、出現させたりできる。ちなみに水質も変えられるんだ。ミネラルウォーターも出せるけどよかったら飲む?」

「いらないわ」

「そ、そっか。今まで飲んでくれた人、一人もいないんだよね。妹たちも『絶対イヤ』ってさ」


 ノエルはロシェの言葉を受けて眉を下げると、また水を操って曲芸を見せてくれた。ロシェは内心楽しんでいたが、表情には一切出さなかった。


「……わ、笑ってくれないなあ。レインとスノウには大ウケだったんだけど……」

「妹と弟?」

「あ、やっと反応してくれた。そうだよ、僕の大事な家族。妹は僕と同じような能力を持っててさ、兄さん、兄さんって慕ってくれるんだ。弟も可愛くてね、この間なんか……」


「しまった」とロシェは後悔した。ノエルという男は、弟妹の話を始めると止まらない性分のようだ。妹の異能力については興味深かったが、プライベートに至ると聞いていられない。


 つまらない話ではあったが、良い印象だった。

 無愛想な自分にもこれほど積極的に接してくれることが、ロシェにとって何よりの喜びだった。


「戻ったぞー……ってノエル、また家族語りか?」

「あ、先生! 先生も聞きますか?」

「いーや、もう沢山だ。五回は聞いてるからな」


 報告を終えたらしいジンが戻ってきて、ノエルの話は終わった。また二、三言葉を交わすと、ノエルは「また話そうね」と微笑みかけて立ち去った。




 そうして地上に戻り、ロシェはまた車に乗せられた。学園内の寮ではなく、ジン本人の家へ向かうようだ。明るく話しかけてくるジンとは対照的に、ロシェは無言のまま窓を見つめていた。


(孤児院の外は……こういう人たちばかりなの? 私が変な能力を持っていても気にしないような……信用してもいい人ばかりなの?)


 ロシェの喜びは、翻って猜疑心に繋がっていた。なぜ優しくしてもらえるのか。なぜ眼の異能を気味悪く思わないのか。全て自分に都合の良いものに見えたことが、逆に「演じているだけなのではないか」という妄想じみた考えに転じてしまったのだ。


「……結局」

「お?」

「私の力を……学園で利用したいから、あなたが仕方なく引き受けたんでしょう。嫌々……命令に逆らえないから、我慢して笑いながら……」


 そう口に出すと、ジンは神妙な顔で数秒ほど考えて言った。真剣な眼差しをしていた。


「そうだな。命令されて引き受けたってとこは合ってる」

「……」

「けど嫌々ってのは違う。仕方なく、なんて微塵も思っちゃいない。考えてもみろよ、組織に引き入れるだけなら養子に取る必要なんてあるか?」


 ゆっくりと、覗き込むようにジンを見返す。ジンの面持ちは極めて穏やかだった。


「俺はお前を引き取りたいと思ったから引き取ったんだ。孤児院はなんでか面会させてくれなかったが、録画なんかで様子も見てたんだぜ。ベルとカイル……あ、妻と息子な。家族も大賛成だった」


 ロシェは、ふわふわと宙に浮かぶような奇妙な気分に陥っていた。胸が熱くなるような、言葉が淡く沈みこむような、暖かな感覚だった。


 ジンはそんなロシェに笑いかけると、豪快にハンドルを切った。がたん、とロシェの体が跳び上がり、固めていた無表情が僅かに崩れる。それを見てジンはもう一度笑った。ロシェの頬には、少しだけ赤みがさしていた。


「ま、一晩ゆっくり考えろ。家族になるかどうか」

「ならないわ」

「えっ」


 突飛な発言に、ジンが思わず頓狂な声を上げる。

 ロシェの微笑みは彼女の決意を表していた。


「決めた。あなたの家族にはならない。けれど、一緒に暮らしてみたい」

「あ〜……あ? つまり?」

「"ブレンハイム"とは名乗らない。娘としてじゃなく、無関係な人間同士。対等な立場であなたと接してみたい。学園にも興味が湧いたわ」


 現在18歳のロシェからすれば、なんとも恥ずかしい思考回路だろう。同じ姓になるのは「まだ早い」などと、とんだ横恋慕だと思い返せる。


「対等ってお前なあ、百歩譲って家族にゃならんとして、俺は教師だぞ? もし生徒になるなら呼び方は『先生』だ。対等とは言えんだろ」

「やだ。呼び方は……そうね、ジンと呼ぶ」

「尊敬の欠片もねえな……」


 ジンは少し考えたが、すぐに「まあいいや」と投げ出して首を回した。大雑把な男だった。


「とにかく俺はお前のこと家族として扱うからな。あと生徒。……んで、姓はどうするんだ?」

「姓……」


 ブレンハイム姓を放棄すれば、当然別の姓名を名乗らなければならない。両親の姓を使うのも癪だ。

 何か適当なものを、と考えた時、後部座席に白と紫の花束が置かれているのに気が付いた。


「……あの花、なんて言うの?」

「ん? あれか? あれはなあ……なんて言ったか……そう、ライラックだ! 俺の妻がくれたんだよ、『ささやかに花のある暮らしを』って」


 この花を見たことはロシェにとって、どこか運命的に感じられた。少し目を瞑ると、ロシェはぶっきらぼうに口を開いた。


「ロシェ・ライラック」


 そう名付けて、ロシェは息を吐いた。


「孤児が名乗る姓といえば、花の名前でしょう」

「なんだそりゃ。まあお前がいいなら構わねえけどよ。……そうだ、あの花には面白い言い伝えがあるって教えてもらったな」


 ジンは片手で運転しながら身を捩ると、後部座席の花束を手に取り、その花弁をじろじろと眺め始めた。

 花占いの一種で、ライラックの花弁が五つのものを見つけると、大切な人と一生離れることはない、と言われているそうだ。ジンが余興がてら探していたが、結局、見つかることはなかった。


「んー……無いな!」

「……」

「なにしょぼくれてんだよ、ただの迷信だろ?」


 花束を膝に置くと、ジンは俯いたロシェの頭を豪快に撫で、髪の毛をわしわしとかき回した。


「よっし、もうすぐ家だ! 新しい母さんと弟が待ってる。なんでか姓は別々だが、どう思おうと俺たちは家族! 楽しんでいくぞ!」

「……ふふ。居候人として、よろしくね」


 雪解けの始まりは、案外淡白なものなのだ。


 * * *


 旧アステリア周辺の、小さな花屋。その店先で、ロシェはぼんやりと花を眺めていた。


「……白は『無垢』『青春』。紫は『初恋』」


 ロシェにとっては『離別』の花だ。

 ライラックの花を小さく撫でて、ロシェは過去に想いを馳せていた。結局15歳で寮に入り、ジンへの感情は生徒としての尊敬に収まった。最後まで「先生」とも「父さん」とも呼ぶことはなかったが、そこへの後悔はなかった。ただ、もう少し長い間、せめて自分が卒業するまで生きていて欲しかった、という思いは強く残っていた。


「——あれ、ロシェ先輩?」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには私服姿のヒューズが立っていた。


「奇遇ですね。なにしてるんですか?」

「ジンに……石碑に供える花を買おうと思って。よかったら一緒に来ない?」

「もちろんいいですよ。俺も用事が終わったところなので」


 ライラックの花束——紫と白を均等に買って、ロシェはヒューズと歩き出した。ふと眼を落とすと、ロシェは無表情で花を一本ちぎり、そっとヒューズに手渡した。


「はい。あげる」

「え? これ、お供えものにするんじゃ……」

「いいの」


 ロシェは、ヒューズたち四人の後輩を想い、ゆっくりと目を瞑ってから「いいの」と念を押した。


 ジンが特別可愛がっていた学年だ。『離別』など似合わない。一生彼らのままでいい。そう思った。


「ラッキー・ライラック。幸多きことを」


 ヒューズの手のひらの上で、白いライラックが、五つの花弁を可憐に揺らしていた。

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