追想:みぞれのはなし
ヒューズたちが計画していた二度目のノルノンド旅行、ついにその出発の日がやってきた。一度目と同じようにマリーがアイオライト家の迎えを手配し、気品ある黒色のリムジンに乗り込んだ。
以前大騒ぎだった一行も流石に慣れたのか、何食わぬ顔でお礼を言ってから腰を下ろすことができた。が、相変わらずの座り心地に頬が緩み、軟体生物のような脱力加減になってしまった。ヒューズは特に顕著で、マリーは「ヒューズが溶けてる」と大笑いしていた。
「いや……気持ち良くてさ。俺、こういう柔らかさにはホント弱くて……」
「今回ばかりは分かるぜ……最高だよな」
図らずも気持ちを通わせたヒューズとフレッドが、ふやけた顔で笑い合う。側に座っていた女子二人は「ずっと座らせておこうか」と感じるほどに、その様子を微笑ましく見守っていた。
「柔らかいのが好きっていうのはすごくわかるなあ。私も大好きだし、私の家族も同じ! フェリシアちゃんもそうだったりするの?」
「ああ、フェリシアも柔らかいものは好きかな。あいつはクッションってより動物の毛とか、自然のものが好きなんだけど」
「その辺りはちょっと違うんだね。私の姉様と兄様も趣味に色んな違いがあってさ……」
今回の旅行では、アイオライト家でマリーの姉兄と顔を合わせる機会もあるそうだ。マリーやその両親の性格を見るに、その二人も相当に暖かな人物であることは想像に難くない。フェリシアとの関係も良好とのことで、ヒューズは今から会うのが楽しみだった。
その会話に、レインは静かに耳を傾けていた。
「きょうだい、か……」
最近クラスメイトと時を過ごしていると、レインはいつも昔のことを思い出す。ずっと胸に宿っていた兄の威光ではなく、ただ無邪気に、その大きく優しい背中に守られていた頃の記憶だ。
「……」
車の中で心地良く揺られながら、レインの脳には、かつての追想が白昼夢のように浮かんでいた。
『どうしてボクだけ力がないんだろう。ノエル兄さんにも、レイン姉さんにもあるのに』
今は亡き弟……スノウの、そんな言葉から始まった三兄弟の会話を、レインは今でも覚えている。
* * *
ハイトマン家は、一家揃ってアステリアに大きく関わっていた。両親は異能を持たないものの研究者として忙しい日々を送り、各地で異能の調査を行なっている。そのため家にいることは殆どなく、病弱で能力もないスノウへの対応も——実際は深い愛情を注いでいたのかもしれないが——幼いレインには希薄なものに見えていた。
「ずるいよ。ボクはベッドから動けないのに……」
「スノウ……それは」
家のベッドに横になり、眼を潤ませるスノウに対し、レインはいつも上手い励ましを思い付かなかった。そんな時助けてくれるのは、尊敬する兄、アステリアの退魔師であるノエルだった。
「スノウ。力ってなんだと思う?」
「えっ? そりゃあ、兄さんの水の力とか……」
「うーん、じゃあもしそれを得たとして、スノウは魔族と命を懸けて戦いたいのかい?」
スノウは少し考え込んで、「戦うのはこわい」と呟いた。氷の異能を持つレインもそれは同じだ。魔族と戦う兄を心から尊敬しているが、だからこそ自分がその場に立つと考えると体が震えてくる。
「でも、そういう力がなくっちゃ兄さんの役に立てないよ。姉さんはアステリアに入って、兄さんの手伝いをするんでしょ? ボクも、協力したいんだ」
弱々しく、しかし真っ直ぐなスノウの眼には、兄への強い憧れと、自分の身体への嫌悪が滲んでいた。「人のために」と動く兄と、その意志をひたすらに追いかける……追いかけられる力を持つ姉を持つからこそ、純粋な心に響くものがあるのだろう。
その眼差しを正面から受け止めると、ノエルはベッドの縁に腰を下ろし、諭すような優しい声音で喋り始めた。
「いいかい。ただ力を『合わせる』だけが協力じゃないんだ。強い力をぶつけ合わせても、無駄になってしまうことは多い」
スノウの動作に続いて、レインも同じように首を傾げた。その訝しげな顔を見て、ノエルはなぜか嬉しそうに微笑んでいた。
「強いもの同士を合わせたらもっと強くなるんじゃないの?」
「そうでもないよ。1と1を足しても、必ず2になるとは限らない。そうだなあ、例を挙げようか」
ゆっくりと、教師のように指を立てる。
「僕の水と、レインの氷。ノエル、この二つを均等に混ぜ合わせたらどうなるかな?」
「うぅん……冷たい水になる?」
「そうだね。もしくは混ざり砕けてみぞれになる。どちらにせよ、互いの利点を活かし切れない、合わせる意味のない協力になってしまうんだ」
「力の相性もあるけどね」と補足して、ノエルはスノウの顔を覗き込んだ。まだ納得し切っていない様子で、小さく唸り声を上げている。話はまだ続くようだった。
「必要なのは、『助ける』こと。さっきの話の続きになるけれど、僕の水をレインの氷にそっとなぞらせてやれば、氷はもっと大きく、ずっと冷たく、強力な力を生み出すのさ。……想像だけどね」
レインは協力のさまを密かに想像して、一人ほくそ笑んだ。自分の力を兄が活かしてくれるほど嬉しいことはない。しかし、スノウの表情は晴れなかった。異能を持たない彼がそんな話を聞かされたところで劣等感が増していくだけだ。
当然、ノエルはそれも把握していた。
「そういう意味では、スノウは誰よりも強い力を持っているんじゃないかなあ」
「ボクが?」
「そうさ。だって、スノウの笑顔を見るだけで僕の力が何十倍にもなるんだよ? これ以上ない協力だと思わないかい?」
そう言って、ノエルは穏やかに笑った。スノウも曇っていた表情を一気に崩し、兄に似た顔で微笑んだ。当然、レインも笑っていた。
レインは、彼らの笑顔が大好きだった。
「兄さん、私は?」
「はは、もちろんレインもさ! 僕の力は二人に支えられて初めて発揮される。これからもずっと三人で、助け合って生きていこう!」
今になって考えると、この誓いが叶わなかったと痛感し、胸が締め付けられるような心地になる。当時は二人が命を落とすなど夢にも思わなかったのだ。もし生きていれば、と何度夢想しただろう。
三人は一頻り笑ってから少しだけじゃれあって、再びノエルから話が切り出された。教訓ではないが、暖かな言葉だった。
「まあ、扱き下ろすようなことを言ったけどさ。僕はみぞれも好きなんだ。天気の話だけどね」
「そうなの? 晴れが一番じゃない?」
「爽やかな晴れもいいけどね。理由は……」
ノエルの言葉を、今でも覚えている。
それを聞いたスノウの笑顔も、覚えている。
「
今でも、覚えている。
* * *
「——ちゃん、レインちゃん」
「う……あれ?」
いつの間にか眠りに落ちていたようで、レインが目を覚ました頃には、すでにリムジンは停車していた。外には美しい赤煉瓦の建物が見える。ノルノンドの街は、以前と変わらず活気に満ちていた。
「や、ごめんごめん。眠ってたみたいだね」
「ううん、気にしないで! レインちゃんの寝顔が可愛くて、私たちも飽きなかったし。ね、ヒューズ!」
「わっ、巻き込まないでくれ! 眺めてたのはマリーだけだからな!」
その言葉に少しだけ頬を赤くしていると、楽しそうに話しながら二人は車を降りて行った。フレッドが妙に緊張した表情でそれに続き、レインは三人の仲間を後ろから追いかける形となった。
「……ふふ、僕にとってみんなは……新しい兄弟みたいなものなのかな」
だとしたら、自分は長女だろうか。ヒューズが真面目な二番目、マリーがおてんばな三番目。フレッドはきっと末っ子だ。そんなことを考えて、レインは静かに眼を瞑った。
(この喋り方もすっかり癖になっちゃった。……ここは同じになっても、兄さんの背中は遠いなあ)
記憶を辿ると、涙が零れそうになる。悲しいのではない。思い出があまりに暖かいのだ。
(私、がんばるよ。兄さんの真似になるかもしれないけど、きっとそれはみんなの助けになる。助け合って、支えるんだ。スノウがそうしたように)
ノエルに"なる"ことは叶わない。戦いを通じて、その執念は解けて消えた。それでも自分自身の、そして仲間の力と共に、兄弟に誇れる人物になろうと、新たな誓いが胸にあった。
(見ててね。ノエル兄さん、スノウ)
そうして、レインは仲間の元へ駆け出した。
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