第54話 光と影
アルフェルグは
他人と一線を画した力を持つ者は、大小はあれど「謙虚さ」を失ってしまう。しかし、自分が特別だと
『マリー。ああ……可愛い愛娘、マリー。将来の夢はあるかい? パパに教えて欲しいな』
『夢かあ……"世界平和"! 私のキラキラでね、泣いてる人を笑顔にするの! それって平和でしょ? みんな笑顔ならみんな幸せだもん!』
「美しいものを守りたい」と願った者と、「醜いものを救いたい」と願った者。根底は同じだった。マリーとアルフェルグ。光と影の異能を持った両者は、奇しくも屈折した鏡面のようだった。
接点はなく、互いの理想を知ることもなく、理解することもない。しかし似ていた。空っぽの使命に突き動かされたという点で、全く同じだった。
アルフェルグの敗因は、魔族を救うという願いがやがてアステリアを潰すという手段に向き、そしてジン・ブレンハイムの殺害があたかも「勝利」であると錯覚してしまったことだ。
『ジンを確実に殺す方法がある』と、オリオンの囁きに身を委ねてしまうほどに、彼は疲弊していた。結果が「今」である。
アルフェルグは歪んだ聖者として死んだ。
マリーが同じ道を歩むことも有り得る。だが、ひとまずその心配は無いと断言しても良いだろう。
歪んでしまうほどの強大な壁があれど、それを撃ち砕く友情がある。歪みに生じた抜け道があれど、輝く意志が正しい道を照らす。彼女には、ジンの遺志と愛すべき仲間がついていた。
* * *
ヒューズとの戦いを中断すると、シリウスは落ちたシャウラの遺体をそっと持ち上げ、ちょうど日陰になっている壁にもたれるように置いた。その間、ヒューズもレインも攻撃しようとは思わなかった。
「よく頑張った」
シリウスがそう言った直後、遠くから地鳴りのような声が上がったかと思うと、凄まじい轟音と共に橙色の光が空へと昇っていくのが見えた。間違えるはずもない、マリーの「
「ヒューズくん、あれ……」
「うん。多分、あっちの戦いが終わったんだ」
ヒューズの考えは正しかった。
「——連絡が入った! 敵の首魁を撃破! アステリアの生徒たちが黒影を撃破したぞッ!」
通信機を片手に一人の男が叫ぶと、戦っていた退魔師たちが一斉に歓声を上げた。「これで勝ったも同然だ」という思い、あるいは「子供たちに負けていられない」という奮起が篭っていた。
ヒューズとレインは、その報告の受け取り方が大人とは違っていた。生徒がアルフェルグを倒したということはつまり、ジンが力尽きたのだ。そして見事、次世代にバトンを手渡した。彼の死が無駄にならなかったという証明だった。
「……負けたか、アル坊」
シリウスがそう呟いて天を仰ぐ。
「
静かに言葉を紡ぐシリウスが、徐々に戦意を高めていく。ヒューズは額に汗を浮かべ、無言のまま臨戦態勢に移った。
「だが命が潰えようと夢は消えぬ。盟約は盟約だ。儂だけが手を引き、のうのうと生き延びるなど儂自身が許さぬ。それが「義」だ。儂の生きる道だ」
筋肉を隆起させるシリウスを見て、レインが傷だらけの体を起こし、冷気を放出しようとする。ヒューズは、それを優しく制した。
「レイン。俺に任せてくれ」
「でも……」
「レインは一人で
以前のレインならそれでも戦おうと身を捩っただろう。しかし、彼女は静かに微笑むと「ここから応援してるよ」とヒューズの言葉を受け入れた。
「良きかな。……では、再開しよう」
シリウスの脚がバネのように沈み込み、地面を蹴って巨体が跳ぶ。質量を乗せた剛健な拳に向け、ヒューズは雷を纏った拳を同じくぶつけ合わせた。
二つの拳は相殺し、ぴたりと止まった。
「——!」
「"神経加速"、荷電蜂起」
二人の筋力には歴然とした差がある。ヒューズの一撃がシリウスに追い付くには、肉体とは別の要因……異能が不可欠だ。つまりヒューズは、雷の異能を解放することでシリウスと拮抗するほどの技を編み出したと言える。
(これは試練だ。シリウスは俺が乗り越えるべき壁だ。……だったら、自分を押し付けて勝ってやる)
ヒューズが纏った雷が全身に絡み付き、空気を引き裂くような音を鳴らして膨張する。とめどなく上がり続ける電圧で体に極端な負荷が掛かり、鼻の血管がぶつんと千切れた。その数秒後には膨張していた雷が収束し、ただ穏やかに微光を発していた。
「電流飽和——"
昔から、速さには自信があった。
シリウスの視界の中で、ヒューズの姿が陽炎のように揺らぐ。それが残像だと気付いた時には、顔を側面から蹴り込まれていた。
「ぐ……小僧、まさか……!」
「
ヒューズの戦闘スタイルは、他人の弱点を突く、他人の技を模倣することに重きを置くものだった。
なぜ今それを変えたのか。端的に言えば、心情の変化だった。マリーたちが成した「皆で掴み取る勝利」を受け、明確な闘争の意味を失ったことで「自力で掴み取る勝利」を自然と目指していた。
自分にできること。自分だけにできること。「流れ纏うもの」である雷の異能を活かす道、それを追い求めた先にあるのが「疾」の極地だった。
蹴り込んだ脚を二度踏みし、折り重なった直線軌道でシリウスに殴りかかる。速度はそのまま一撃の強さに繋がり、シリウスの持つ「剛」と拮抗した。拮抗——要は、これでようやく対等である、ということだった。
「良いぞッ、ヒューズ・シックザール! その挑戦を受けて立つ! ——来い!」
「シリウス! 俺はお前を乗り越えるッ!」
目にも止まらぬ連撃が、シリウスの体を殴打し続ける。それに応えるようにして、シリウスの拳もヒューズを捉えた。殴り、殴られ、蹴り、殴り、蹴られ、殴り——意志と意志、肉体と肉体がぶつかり合う。僅か数秒で、両者の体は血に濡れていた。しかし、一瞬たりとも動きが止まることはない。
「おおッ!」
高速の蹴りを正面から受け、シリウスはその脚を潰すかという勢いで握り取った。それを慣性に合わせ、全力でアスファルトに叩きつける。地面が簡単に裂け、ヒューズは大きく咳き込んだ。
「こんなものか、お前の極致は! 越えてみろ! まだ死ぬな! その命の輝きを、決意の至りをこの狼王に示すまでは!」
咆哮しながら、シリウスは何度もヒューズを叩きつけた。硬質な地面は砕け、砂塵となって辺りに撒き散らされている。流れたヒューズの血が砂と混ざり合い、赤黒い泥となっていた。
猛攻に、ヒューズの体は感覚を失っていた。痛みも苦しみもまっさらな中で、ただ一つはっきりと感じていたのは、滾る白雷の明滅だった。
「——兄ちゃん! 負けないで!」
フェリシアの声が聞こえた。視界の端に、今にも泣き出しそうな、慈愛と憂いの混ざり合ったような顔でこちらを見つめる、妹の姿があった。
「フェリシ——」
フェリシアを視認したシリウスが、僅かに気を散らしたのをヒューズは見逃さなかった。
白雷が弾け、握られていた脚がシリウスの腕を跳ね除ける。雷光に照らされたヒューズの体は、態勢も整わずばらばらに乱れた足取りを押し進め——
——王の顔に、血塗れの拳を突き立てた。
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