第53話 命の輝き
シャウラが倒された。アルフェルグとジンが戦う場所からも、空中で貫かれ、落ちていく光景がはっきりと見えていた。
「……シャウラ……」
アルフェルグが僅かに気を逸らし、消え入るような声で呟く。そこに篭る念は怒り、憐み、憎しみが折り重なった、どす黒い奔流のようだった。
「死んだのか? お前の仲間……人面鳥だったか」
そこへジンの剣が振り下ろされる。既に力が入っていなかった。剣の自重だけで攻撃しているのに、堅固な影は変わらず引き裂かれていた。
「教えてくれよ。もう眼が見えねえんだ。音だってぼんやりしてる。俺の生徒が討ち取ったのか?」
「眼の前のこれは死体だ」とアルフェルグは思った。とっくに体は死んでいる。それでもなお、自分に——魔族を救える
だが、遂に限界が来た。剣を握っていた腕がだらんと沈み、持ち上げられなくなっている。そんなジンにアルフェルグは迷わず影を差し向け、胴体を串刺しにした。
「そうだ。槍……氷の槍がシャウラの胸を貫いた」
それを聞き、ジンは笑った。
アルフェルグは突き刺した影を鞭のようにしならせると、ジンの体を思い切り放り捨てた。感情の昂りと蓄積した痛みで息が上がっていた。
「おい……良い、のか? 俺はピッタリ、くっついてた。それを突き飛ばしたら。狙ってるぞ」
ジンは天を仰ぎ、全身を脱力させている。指先一つ動かないのに剣だけは落とさず、ゆっくりと言葉を吐き出していた。
「優しい、奴なんだ。ある意味では……お前に一番似ている。待っててくれたんだな……俺はもう死ぬって言うのに、傷付けまいとして……」
「何の話だ……お前の命はもう」
「周りを見ろ。そして備えろ。……俺の"次"が来るぞ。で、最期に、警告だ……」
ジンの笑みは、アルフェルグからすると極めて気味の悪いものだった。彼の敵に回れば誰でもそう思うだろう。倒したというのに、一切苦痛の表情を見せない。むしろ勝利を確信した清々しい顔をしている。脅威と言う他なかった。
「天敵なんじゃないか? ——『
正面……アステリアの残骸の前から、凄まじいエネルギーを込めた光が放たれている。アルフェルグは咄嗟に影で身を固めようとしたが、もう遅い。
救出作業は既に終わっていた。マリーはずっと、堪えながら発射の時を待っていたのだ。
「——
圧縮された光の異能が、地面を抉りながら直進する。瞬きのうちにアルフェルグは飲み込まれ、熱光をその身に浴びた。
「いっけええええッ!」
「……! これは、この光は……!」
アルフェルグは、一度マリーの「
ジンの斬撃で穴だらけの影では、光を完全に防げない。いや、傷が付いていなくとも貫通したかもしれない。マリーも成長していた。規格外の威力が、鍛錬のうちにゆっくりと力を伸ばしていた。
アルフェルグが吹き飛んだ隙に、マリーが倒れたジンに駆け寄っていく。彼女にとっては、それが追撃より優先すべきことなのだ。
「先生!」
「よお……やるなあ、マリー。前よりずっと強い。その異能なら、俺の付けた傷が癒える前に、アイツを倒せる。……あと、頼んだぜ」
「……はい! 私、精一杯がんばります!」
大粒の涙を浮かべながら、マリーは満面の笑みで答えた。握ったジンの手は鉄のように硬く、冷え切っていた。
「マリーだけじゃねえだろ。俺もいる」
「フレッドか。……お前も成長したよな。スラムから出てきて良かっただろ?」
「けっ、なんだよ最後の最後で恩着せがましい。『良かったです感謝してます』なんて絶対言わねェからな、俺は」
後ろからふてぶてしく歩いてきたフレッドは、傷だらけの体から目を逸らして舌打ちした。その悪態に、彼なりの思いが詰まっていた。
「私はちゃんと感謝してますよ。先生のことは尊敬してたし、大好きでした! ……あ、好きっていうのは愛とかじゃなくて、人間的な意味で!」
「賑やかだなァ、お前は。太陽みたいなやつだ。……へへ、メソメソされるよりよっぽど心地良い」
ジンにとって、死ぬ前に生徒と会話できたのはこれ以上ない幸福だった。ロシェたちやヒューズ、レイン……他の生徒とも話したい気持ちはあったが、「そりゃ贅沢だな」と呟いて目を瞑った。
「ヒューズとレインにも……いや、皆に伝えといてくれよ。"これはお前らの勝利だ"って」
マリーはそれを聞いて息を呑んだ。ジンは自分が居なくなった後、残された者たちが敗北するとは微塵たりとも思っていないのだ。
フレッドは拳を握り締め、よろけながら立ち上がるアルフェルグを睨み付けた。そうしてジンから離れると、絞り出すように言った。
「お前、紛れもなく最強だったぜ」
その言葉には重みがあった。「強くなること」を生きる目的としていたフレッドにとっては、ジンは最初から最後まで憧れの人だった。
敵に向けて炎を滾らせるフレッドに連れ添い、マリーも呼吸を整えた。戦士の眼をしていた。
「俺も誇りに思う……愛してるぜ、お前ら——」
笑顔を途切れさせることなく、ジンは息絶えた。握ったままの剣が雲間から覗いた陽光を鈍く反射し、その顔を照らしていた。
「フェリシアちゃんは?」
「無事起きたぜ。
「そっか。じゃあ安心だね」
二人が構えを取り、異能を解放する。向かってくるアルフェルグは血を吐き、ボロボロの体を持ち上げながらも影を鋭利に尖らせていた。
恐ろしくはあったが、負ける気はしなかった。
「みんな! 力を貸してッ!」
マリーの号令に合わせて、一発の銃弾が飛来した。ロシェの拳銃だ。不意を突かれたアルフェルグはそれを防ぎ切れず、着けていた仮面が割れる。影の剥がれた、幽鬼のような顔が覗いていた。
ロシェだけではない。ナイフ、糸、ガス、短刀、爆弾……果てには周囲の石ころに至るまで、あらゆる攻撃がアルフェルグに向けて放たれた。瓦礫の下から救助された生徒たちのものだった。
(先生は託したんだ。私たちだけじゃなくみんなに! だから真っ先に救出を頼んだんだ!)
「絶対に……絶対に! 勝つんだ!」
叫びに共鳴するように、生徒たちの声が上がる。その数にアルフェルグは怯み、影で払いながらも脂汗を滲ませていた。
「こんな、馬鹿げたことが……! ブレンハイムを倒したというのに、勝利は確定したというのに!」
「馬鹿げてんのはテメェだ! 俺を……俺たちを舐めてんじゃねえッ!」
飛来物への防御で影を消費し切ったところで、フレッドの炎熱がアルフェルグを捉える。影が遮断できるはずが、「獄炎」と形容できるほど火力を増した炎は黒影を燃やし、ローブに包まれた身体を焼き始めた。
「ぐ、あああ……! こんなッ、こんなことが!」
炎に悶え苦しむアルフェルグが体に巻き付けていた影を振り払い、熱を散らす。直後、空いた体にロシェの銃撃が迫った。それを注視したのが間違いだった。銃弾を防ごうと影を伸ばしたことで、アルフェルグを守るものは完全に離れていた。
「マリー!」
「やれッ! マリー!」
アルフェルグは青ざめた。咄嗟に眼を向けた先には、今までの規模をゆうに超えた、まさしく太陽の如き橙色の光球があった。遠くからの砲撃ではない。懐まで潜り込んだマリーが、決死の覚悟で光球を押し当てている。引き戻した影がマリーの首を断とうと迫ったが、手遅れだった。
「やめろ……やめろ——」
「——さよなら、強いひと」
解放された光が影を掻き消し、吸血鬼の肉体が水に溶け出すように、跡も残さず消えていく。
マリーは静かな祈りと共に、腕を押し込んだ。
「"
撃ち放たれた光は、マリーの細胞から活力を吸い上げ、最大の一撃をアルフェルグに浴びせかけた。
押し上げるような光は肉体を無に還しながら、止まることなく天に昇っていく。太陽が覗く空の切れ間に吸い込まれ、残っていた雲さえも払い、光の輝きはようやく収束した。
黒いローブの切れ端が、青空に舞っていた。
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