第41話 箒星の偽演

 いつか聞いた、空間を裂くような刃の音。それが鼓膜を微細に震わせると同時に、たちこめていた煙幕が一筋の切れ目を描いて払われた。


「……やべえぞ」


 かつてないほど深刻な声でフレッドが呟く。

 失念していた。『変身』の異能、他人の能力さえも真似てみせるセントールの力が、最も使われてはならない方向に使われた。「それ」を扱えるならば使わない理由がない。ヒューズたちへの威圧としても最適だ。この局面で発動するのはつまり、セントールが手を抜いていたことの証左でもあった。


「——"構成変質メタ・タラマウ・断剣"」


 セントールが変身先に選んだのは、ジンだった。


「……!」

「フン……ブレンハイムは心底気に食わんが、この異能だけは評価に値する。隠匿も策謀も考慮せず、ただ膨大な力だけを振るう……羨ましい限りだ」


 携えた剣はレインの異能で造り出したのだろう、ガラスのような光沢を帯びている。それを厭らしい笑みを浮かべながら二、三振り回すと、白い床がゼリーのように容易く切断された。

 汗を滲ませながら唾を飲み込むヒューズを一瞥し、セントールが剣を上段に構える。引かれ動く空気の流れが、暴風のような圧力を放っていた。


 隆起した筋肉が氷剣を軋ませ、圧倒的な膂力を持って振り下ろされた。ヒューズとフレッドは剣の間合いの外にいる。刃が当たるはずもない。だというのに、その瞬間に目の前が白むのを感じていた。


 ぱこん。と、戦闘に似つかわしくない頓狂な音が響いた。いや、ある意味では最も適した効果音なのかもしれない。余りに荒唐無稽だ。振り下ろされた剣の刀身ではなく、それに伴った衝撃波が斬撃となり、訓練場を床から壁、天井までを真っ二つに両断していた。

 斬れたまま数秒静止して、自覚したように天井が崩れ落ち始める。降り注ぐ岩塊を切り刻み、高笑いするセントールが力に酔いしれていた。


(訓練中、先生とは何度か立ち会った。四対一で挑んだこともある。けど、一度も勝ったことは……)


 真横に残った断面を見つめながら改めてジンの力を思い知り、ヒューズは酸素の薄い息を吐いた。

 ふと、フレッドの方に顔を向ける。彼は怒ったような、考え込んでいるような複雑な表情を浮かべていた。何か引っかかるものがある、という具合だ。実を言えば、ヒューズも同じだった。この攻撃には何か違和感がある。気付いたのは二人同時だった。


「俺よォ、さっき『やべえ』って言ったよな」

「"なかったことにしろ"って?」

「……へっ、分かってんじゃねえか。そうだ、忘れろ。全然やばくねえ」


 ヒューズの言葉に相槌を打つと、フレッドは毅然とそう言い放ってみせた。


「この太刀筋なら勝てるぜ。本物とは比べものにならねえ」

「ああ。真似できるのは姿と異能だけみたいだな。恐ろしくはあるけど、剣の振り方が全然違う」


 ジンとは何度も手合わせをし、その異能を間近で見ることもあった。中でも脳裏に焼き付いているのはアルフェルグと戦ったときの剣術だ。『檜星流ひせいりゅう』と言っただろうか。「巴葉」「雪花の梢」という二つの技しか繰り出さなかったが、あの鮮烈な映像を未だに覚えている。

 剣術とはただ斬るものではない。積み重ねた技巧と経験、高めた精神で道を拓く術だ。素人が『万物を切断する能力』をコピーしたところで、求道者と同等の力を引き出せる筈がなかった。

 セントールはそれに気付いていない。勝算は十分にあった。


「思い知らせてやるか。人の力を盗んだくらいでイキがってんじゃねえぞってなァ」

「俺たちは先生の一番弟子だ。こんなのに負けていられないもんな」


 そうして微笑み、態勢をゆっくりと前に傾ける。動揺をすぐにかき消した二人に、上機嫌だったセントールは露骨に気を害したようだった。

 稲妻と共にヒューズが高速で移動を始め、フレッドはその場で堂々と炎を構えた。放射と機動という各々の役割を無言で通わせていた。


「オラ、斬ってみろよ! 届くだろ?!」

「……つくづく不愉快な小僧共だ」


 挑発するフレッドに狙いを定め、また断剣が振り下ろされた。空気が裂け、真空を埋めようとまた暴風が吹き荒れる。二度の斬撃で、訓練場は最早廃墟のような様相と化していた。

 刃の波に合わせて体を傾ける。躱してなお耳に掠った攻撃が、痛々しい裂傷を残していた。


 その合間に、ヒューズが敵の懐に潜り込もうと距離を詰めていた。見る人が見れば、この陽動は幼稚に映ることだろう。だが、これで十分なのだ。近付きさえすればいい。慢心を咎めるには派手すぎるほどだった。


「フン、作戦が稚拙だなッ!」

「フレッド! 準備に入れ!」


「神経加速」を発動し、足元に向けて体を滑らせた。セントールの迎撃は横方向への薙ぎ払い。仰け反った態勢で、振った方向の壁が一筋に切り抜かれているのが見えた。当たれば即死だろう。

 下段から懐に入ったヒューズは両手で身体を持ち上げ、しなやかなバネのようにセントールの腹を蹴り上げた。


「ぐっ、おのれ……!」


 空中に飛ばされたセントールに向け、次に仕掛けたのはフレッドだった。崩れた瓦礫の塊を持ち上げると、あろうことか全身から熱を放射し、表面が溶けるほどの「火山弾」を作り出したのだ。

 剛力を発揮し、赤熱する塊を投げる。当然、セントールはそれを斬り伏せた。

 結果、作戦は成功した。


「忘れてねえか? その剣、氷で出来てるんだぜ」

「——!?」


 レインの異能で造り出した氷剣は、材質通り熱に弱い。分厚い氷盾ならまだしも、細身の剣ではフレッドの熱に耐えられない。剣は既に折れていた。レイン本人であれば、確実に起こさないミスだ。彼女は異能の弱点とその克服法をよく熟知している。

「何が情報を統べる、だ」と、フレッドは笑いながら罵った。


「——反復、反復、反復」


 焦るセントールの耳に、不気味な呟きが届いた。

 ヒューズが雷を棒状の——剣さながらの形状に変化させ、下から猛然と迫っていた。


(思い出せ。先生の技はどんな形だった?)


 変身と模倣は似ているようで真逆だ。ヒューズは必死で脳内の回路を組み立て、ジンの剣術を身一つで再現しようとしていた。ある種の意趣返しだ。


「付け焼き刃ってところは同じだけどな」

「貴、様——」


 己の復讐よりも味方への侮蔑に怒りを覚えていたことには、ヒューズ自身も疑問に思っていた。

 思えば、既に気付いていたのかもしれない。

 何かが違うのだ、と。


「それでも! お前の無理解よりは上等だッ!」


 雷剣の煌めきが、弧月状の軌道を描く。


「模倣——"巴葉ともえば"!」


 電撃の刃がセントールを切り裂き、泡立つように破裂した。ジンのような「両断」には程遠いが、それでも致命的な一撃だ。セントールは白目を剥き、変身の解けた姿で墜落した。


 降り立ったヒューズの元に、フレッドが神妙な顔付きで近付いていく。敵は倒した。この異変ももう終わりだ。あとは、微かに息を残すセントールに止めを刺すかどうかだった。


 フレッドの眼から見ても明らかだ。ヒューズは「すべきこと」を成した後でも、復讐を実行するのを躊躇っていた。


「迷ってんのか?」

「いや……わからない。怒りはあるんだ。親を殺した仇を絶対に殺すっていう信念もあった。……でも、今は殺意が湧いてこないんだ」


 既に倒したからだろうか。それとも、魔族を殺しても人は殺せないというエゴだろうか。いや、最も大きい理由は——


「そこで殺せなきゃ失格でしょう、復讐者として!つまらない人ですねえヒューズ・シックザール! 結局のところ復讐なんて建前だったんじゃありませんか? なんとなく自分の過去と照らし合わせて"して当然なこと"を貼り付けてただけ! いやあ実につまらないけれど研究テーマとしては結構味があるかも! 精神はちょっと管轄外なので私はお断り申し上げたいですけどね!」


 犯人はと直感、あるいは累積された違和感で感じとっていたからなのだろう。


「……!」

「誰だテメェ!」


 振り向いた先に居たのは、白衣を纏った中性的な人物だった。滑らかな金の髪に、特徴的な早口の喋り方をしている。医療科の教師兼医者、リオだった。


 状況が飲み込めない二人に向けて、リオは端正な顔を悪辣に崩し、愉悦のこもった声で述べた。


「やあどうも、黒幕のリオ・デオラ、もとい——

アルフェルグさんのお友達、ちっぽけな魔族の盟主の一人! "オリオン"と申します!」

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