日誌 No.-

 あの時の少女が、アステリアの保護下に置かれることになったそうだ。ノルノンドの森で生きていることは把握していたが、狼王がこのタイミングで彼女を手放したことには作為的なものを感じざるを得ない。喜ばしいが、少し間が悪いというものだ。

 

 簡易的だが、既に根回しは進めている。彼女の検査担当医は私になるだろう。ようやく、ようやっと、この手で彼女の身体を触り、この口で言葉を交わし、この眼で鮮血を眺めることができると思うと、震えが止まらない。


 あの異能力は、極めて希少かつ有用だ。傷の再生を促す——瘡蓋かさぶたのような生体機能に頼るでもなく、外部からの治療——例えば絆創膏ばんそうこうのような人工的治癒とも似つかない。完全に元ある状態へと復元している。まるで時間の逆行だ。それでいて、毒か否かを問わず、復元に伴って変動するはずの体内のバランスにも干渉していない。メカニズムが掴めない。



 謎だらけである。

 その分「異能力」という超常の正体を知るための大きな手掛かりになることは間違いない。

 私はその謎を解き明かしたい。

 盟友はかつて、人間の愚かさの象徴として「底無しの探究心」を挙げた。それが正しいのなら、私は限りなく人間だ。全てが知りたい。探究に論理はあれど、この心に理屈などありはしない。謎を解き明かすためならどんなことでもする覚悟がある。

 この組織に潜入し、短い間に随分のデータを得た。多くの謎と対面し、それを解き明かした。

 まだ足りない。足りない。私の知的欲求は留まることを知らないようだ。足りない。知りたい。研究したい。解剖したい。異能とはなんなのか。彼女には必ず鍵がある。全てを解き明かしたい。足りない。何もかもが不満足だ。納得しない。楽しい。足りない。知りたい。楽しい。知るのは楽しい。止めることができない。手が震える……



 ——取り乱してしまった。学園で日誌を付けるのも最後なのだから、綺麗に終わりたかった。だが今更書き直すのは時間の無駄だ。この日誌は誰も読みはしない。何故なら、最期だからだ。


 あの少女の異能を偶々目撃し、胸焦がれた瞬間を今でも思い出す。ただ、親だろう夫婦を殺した瞬間は酷くつまらなかった。それより、今思えば私は何を考えてあの姿を真似たのだろうか。いくらでも理由は付けられるが、論理が欠けている。興味はないが、その下らない余興の結果予期せぬ妨害に遭っている。彼女の天運とでも言うのだろうか。非科学的だ。考察には値しないだろう。


 あの時は、随分と抵抗された。

 彼女のそばに、あの少年も付いていた。

 今思えば、少年も殺しておくべきだった。あれは障害だ。何よりつまらない。研究に値しない。


 感情はともかく、あの時の映像はありありと脳裏に浮かぶ。棄てて構わない記憶だが、あの邪魔な復讐者を嘲るのには有用だと判断する。これから私が起こすこと、その顛末まで詳しく考えておこう。


 小道具は沢山用意すべきだ。その方がより良い喜劇になる。全て自力では芸がないだろう。確か諜報科には優秀な洗脳の能力者が在籍していた。彼と、あの真面目な主任を利用しよう。


 愉快だ。たまらない。

 主任には笑っていて貰おう。幸せに。私のように。天使のように。慈悲深い道化の顔で。




 愚かな我が盟友からは、アステリアを徹底的に崩すよう言われている。万一退魔師の抵抗が激しい際は、彼女のことは諦めざるを得ないだろう。


 が、事前接触が可能な今、彼女の生死に拘る理由もない。血液さえあれば十分だ。死体でも引き揚げられれば万々歳といったところか。

 第一、まず間違いなく彼女のそばには彼が付いている。要請を主軸に考えるならば、彼女を生きたまま奪取するのはリスクが高い。

 嗤うだけ嗤って、私の笑顔をまぶたに焼き付けたまま死んでもらおう。



 今から、楽しみでならない。七年越しの好奇心に決着を付けるのが楽しみでならない。狼王に邪魔をされて、幾度衝動に身を焼いたことか。幾度かの森を滅ぼそうと画策したことか。もし死体が残っていたのなら、調べ尽くしたのち王の御前に返してやろう。



 ここで研究を続けられないのは残念だが、それもすぐに解決するだろう。人の世が覆れば、その資産も知恵も施設も命も全て私たちのものだ。


 楽しみでならない。




 


 ——○月△日 医療理学科第二研究室 室長 

             リオ・デオラ 










—————

この話は番外編投稿に伴い、本編の補足として追加した話になります。

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