第26話 治癒の奇跡

 ノルノンドの街に、轟音が響いている。

 それは悲鳴であったり、建物が崩れる音、炎が燃え盛る音、あるいは迸る雷鳴、言い表し難い高周波、数え切れないほどの事象が重なり合った音だ。


「フェリシアちゃん! だめよ、今は外に出ちゃだめ!」


 呼び止める夫人の声を振り切って、そんな街に飛び出していく少女が一人。混じり気のない純白の髪を揺らしながら、フェリシアが街の中心へと駆けていた。


「兄ちゃん……みんな……!」


 外に出れば戦乱に巻き込まれる可能性は極めて高く、館の中が安全だということは当然把握している。「身の危険を感じたら家に入れ」というのは、ノルノンドに深く根付いた慣習であった。今思えば、シリウスがこの時のために流布させたものだったのだろう。


 フェリシアの脚に迷いはない。人狼が街を襲った理由、兄とその仲間たちが使う異能……森では触れられなかったが、兄がいつの間にか得ていた発電能力への疑問、整理できない事象を解決するために走っていた。

 なによりも、戦いで傷付いた人々を放っておけなかった。。街のために奮闘する者がいるのに、自分が黙って見ている訳にはいかない。十二歳にして、フェリシアはヒューズと同じ博愛の心を胸に抱いていた。



 * * *


「"弩級砲フレア"——!」


 極大の光線が、押し寄せる人狼の群れを包み込む。野太い悲鳴がその効力をありありと示してはいたが、氷山の一角を削り取ったに過ぎない。数十の人狼を戦闘不能にしても、次の一群が進み出た。


 飛び出した人狼が三体、マリーの喉元を食い破らんと牙を剥く。その間に割って入った雷撃の一閃が人狼たちの胴体を一直線に貫き感電させた。


「ありがとう、ヒューズ!」

「ああ! それにしてもとんでもない数だな、とても二人で止められる規模じゃない……!」


 街の通路で食い止められていた侵攻は既に噴水広場の前にまで及び、観光客の避難速度に追い付きつつある。先程駆けつけたヒューズによって状況は改善したものの、依然として少しずつ後退せざるを得なかった。

 視界の向こうでは、フレッドの異能と思われる紅炎が激しく暴れている。無事合流はできたようだが、レインの氷塊がピタリと現れなくなったことが気掛かりだった。


(あっちの戦いさえ終わってくれれば……!)


 四人全員が集まれば、場合によってはこの大群も押し止められる。このままでは範囲、火力ともに優れたマリーが真っ先に体力を使い果たし、一気に押し切られてしまう。何か、別の一手が必要だった。


 身体を動かしながら思案するヒューズを見て、マリーは決意を固めたように、眼の色を変えた。


「ヒューズ、レインちゃんのところに行って!」

「……!? いや、それは」

「『落ちてきた魔族』さえ何とかしちゃえば全戦力をこっちに回せる、でしょ? 十分くらいなら一人で守り切ってみせるからさ! さくっと倒しちゃって!」


 そうは言っても、マリーは既にかなりの体力を消耗している。微かに白んだ顔色が何よりの証拠だ。

 しかし、その顔には虚勢ではない自信が見て取れる。ヒューズが神妙に「大丈夫なのか」と聞くと、マリーはどんと胸を叩いて笑った。


「大丈夫! 倒れるまであと五発は撃てるから! 私も一緒に特訓したもんね!」


 自然と倒れることまで計算に入れた発言に、ヒューズは乾いた笑いを漏らし、ゆっくりと頷いた。


「分かった。すぐ戻る」


 体に纏った雷の一部が脚に集約し、爆発するように走り出す。道中の人狼を何体か殴り飛ばしながら、白い電閃が街を駆け抜けた。


(俺は、誰かの勇気に乗せられてばかりだな)


 両手を構えるマリーを背に、そう思った。



 * * *


 フレッドの猛炎と、シャウラの乱風がせめぎ合い、互いに押し上げられるようにして空を赤く照らす。氷の異能が下降気流を起こすなら、炎の異能が起こすのは上昇気流だ。激しい熱気は風の攻撃をことごとく上に逸らし、逸らされた炎がシャウラに当たることもなかった。


「ああもう! 全然当たんないじゃん!」

「こっちのセリフだっ、いい加減倒れやがれ!」


 レインに深い傷を負わされているにも関わらず、シャウラが行動を止める気配はない。魔族と人間の違いとでも言うべきなのか、身体機能の衰えは最小限に抑えられ、痛みを意に解する様子もなかった。


「……あったまきた……!」


 翼を大きく払うと、周囲の空気が大きく渦を巻くように塵を吹き上げ、シャウラへと集まり始める。今まで見せたことのない動きだ。風の異能ということを看破されたからか、念動力じみた精密な操作を既に投げ捨てているようだった。


「ちっ、今度は何するつもりだ……!」


 フレッドが身体中に溜まった熱を排出しながら、空中に浮かぶシャウラを見やる。肌を刺すような威圧感に怖気を覚えながらも足を踏み出したところで、納めた翼が解き放たれた。


「みんな、吹き飛べっ! ——"羽凩テンペスト"!」


 ゴウ、と重く猛々しい風が唸りを上げた。

 圧縮された空気の塊がそのまま凶器となり、嵐として無差別に吹き荒れる。こうなれば温度による気流の変化など関係ない。積み立てられた煉瓦の壁が軋み、道は浮き上がり土が露出した。

 想像を絶する破壊の異能。対処の間も無く引き裂かれる寸前で、フレッドを守るように氷の壁が屹立した。


「ハァ、ハァ……"ヴァーダンの盾"……!」


 フレッドの後ろで伏していたレインが、文字通りの死力を振り絞り、吹き荒れる嵐を防ぎ切った。

 フレッドの炎には直接的な防御性能が無い。故に、このような無差別攻撃から自力で身を守るのは不可能だ。脚を潰され、血を垂れ流し、活力も消え果てようとする中で、レインは思考を止めなかった。


「バカ野郎、何してんだお前! マジで死ぬぞ!」

「……まだ、戦うんだ……負けるわけ、には……」


 徐々に呼吸を小さくするレインに、フレッドがこれ以上ない焦りを見せる。一方、風によって一帯を吹き飛ばしたシャウラは、ようやく息を切らして疲労感を露わにしていた。


「これじゃ、俺が来た意味ねェじゃねえか! どうすりゃいい、考えろ、どうすりゃいいんだ……!」


 フレッドが必死に頭を回した、戦闘の切れ目。窮地に、一つの変化が現れた。


「フレッドさん! レインさんっ!」


 鈴のような少女の声に、シャウラとフレッドが反応する。きょとんと目を丸くするシャウラの傍をすり抜けて、フェリシアがフレッドの元へ駆け寄ってきたのだ。


「お、お前! なんでここに……」


 無意識のうちに頬を上気させるフレッドをよそに、フェリシアがレインに顔を寄せる。彼女の傷を見て痛むように目を瞑ると、フェリシアは捲し立てるように言った。


「あの羽の生えた人……あの人は、敵ですよね? 街を襲ってる人たちですか!?」

「お、おう。そうだ」

「分かりました。今はレインさんだけを


 途端、レインの傷口に置いた手が、青白い光を放ち始める。マリーの熱光とも、ヒューズの雷光とも違う、見ているだけで心が安らぐような不思議な光だ。それがレインを包み込むと、数秒のうちに傷が薄く消えて行き、元々無かったかのように消滅してしまった。


 これが、フェリシアが三歳の頃から……つまり、ヒューズが異能に目覚めるずっと前から身に宿していた力。時間逆行にも近い性質を持つ、「いやし」の異能力であった。


 狼狽しながら起き上がるレインを見て、動きを止めていたシャウラが目付きを鋭くする。そして拗ねた子供のように抗議の声を張り上げた。


「ちょっと! 何してんの、反則じゃんそれっ!」


 流石に看過しきれないといった具合に、シャウラが猛スピードで飛翔を始める。しかしレインが復活したことで、形勢は完全にひっくり返っていた。


「——みんなっ、無事か!?」


 こちらに駆けてくるのは、雷光を纏ったヒューズ。彼はフェリシアの姿を見て一瞬驚愕したが、次のレインの指示を受け、その意識を絶った。


「そのまま走って、ヒューズくん! あの鳥を叩き落とすんだ!」


 ここで飛翔するシャウラに追撃を仕掛けるには、研ぎ澄まされた速度が必要だ。停滞していたレインとフレッドには無理な話だが、たった今高速で現れたヒューズなら問題無い。疾風怒涛の「流れ」が、その場の全員の背を押しているようだった。


「フレッドくん、これを!」

「へっ、任せとけ!」


 レインが創り出した氷の武器を、フレッドが天高く投げ飛ばす。それを見てヒューズは意図を察し、雷電の如き勢いで跳躍した。

 飛来するヒューズを目撃し、シャウラの姿勢が僅かに乱れる。その一瞬の隙を突き、ヒューズはシャウラの上を取った。


 掴み取った武器は氷の大槌。雷を纏い、共鳴と共に光り輝いた。


「——"破槌ミョルニル"ッ!」


 炸裂する合技がシャウラの背中を捉え、落雷のような光を伴って放たれた。

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