第25話 風よ凛烈の鋭刃に

 レイン・ハイトマンには、二人の兄弟がいた。

 どちらも故人だ。

 兄、ノエル——かつて『夕立』という異名を得た水の異能力者は、魔族との戦いで命を落とした。天才と持て囃された彼は、魔族に襲われた名も知らぬ誰かのために命を捧げたのだ。


 弟、スノウは兄姉とは違い、生まれつき持病に苦しめられ、異能も有していなかった。だからこそ、人を超えた力で魔族と戦う兄を「ヒーローだ」と誰よりも慕っていた。


「レイン、スノウ。二人は僕がずっと守るよ。だから二人も、僕を支えていて欲しい」


 優しい兄の言葉を、今でも鮮明に覚えている。


「——兄さんが、死んだ?」


 訃報を聞いた時、レインの脳内は真っ白になった。兄の死を受け入れられなかったのだ。彼の強さを誰よりも知っていたのは、他でもない妹たちだった。

 知らせは、当然スノウの耳にも届いた。スノウは何を言うでもなく、泣き叫ぶでもなく、ただ零れ落ちる雨粒のような涙を流し続けた。


 スノウはその二日後に病を急速に悪化させ、危篤状態に陥った。レインの眼にはその理由が明らかだった。


「ねえ、やめてよ。いかないでよ。私がっ、私がいるから! 私にも兄さんと同じ力がある! あと

二年すれば私もアステリアに入学できる! 私がスノウのヒーローになるよっ、だから——」


 病室のベッドで弟の手を握り、必死に訴える声がいやに反響していた。弟が目を覚ますことはなく、二度と言葉を交わすこともなかった。


「——姉さんが……代わりになるから……」


 その日、レインは「兄」になることを決意した。



 * * *


「タフだね〜、女の子なのに! あたしも女の子だからお互い様かもしれないけどさっ」


 血塗れの体を引き摺るレインを、シャウラが羽ばたきながら笑っている。滴り落ちる前に氷結する血液が、レインの肌に徐々に積もっていた。


「——"ローヌの矢"!」


 払われた右手を起点に、冷気が矢尻へ姿を変える。レインの踏み込みと共に放たれた百数の矢が、断続的にシャウラへと射出された。


「あたしには効かないよ、それっ! "羽遊フロート"!」


 シャウラの翼のはためきが、飛び交う矢の軌道をピタリと止める。もう一度翼を動かすと、矢の主導権がシャウラに奪われた。まるで一つ一つが意思を持ったように、レインを追尾しながら迫ってくる。

 それを睨み付けながら、レインは足元に冷気を放ち、そこから氷の柱を乱立させた。飛んでくる矢を柱の陰でいなし、次の柱へ跳ぶ。階段状に延ばされた柱は、あっという間にシャウラの飛行高を上回った。


 最後の柱を蹴り上がり、剣を上段に構える。周囲の建物を越えた空中で、氷剣の攻撃が放たれた。


「"アドミールの剣"ッ!」


 振り下ろされた刃が、翼の先端を掠める。肉には達していないが、青色の羽根がふわりと千切れ落ち、小さな氷の結晶が纏わり付いた。

「うわっと!」と未だ余裕そうな声を上げるシャウラが、急激にバランスを崩す。先刻まで端の端にしかなかった氷が、片翼の央部にまで広がっているのだ。


「うぇっ!? こ、こんなに……!」

「落ちろ人面鳥ハーピーっ!」


 追い討ちを掛けるように、空中で氷剣を放り投げたレインが、空いた右手でシャウラの鳥脚を掴み取る。

 崩れた体勢に引き掛かる体重。がくん、とシャウラの位置が降下したが、未だ地面に着くには至らない。羽ばたきを止めたにも関わらず、その身体は宙に浮き続けているのだ。


「ぬっ、落ちて、たまるもん、かっ! 放してよこのっ!」

「ぐ、う……!」


 片脚でレインの頭を蹴りながら、なんとか振り落とそうと暴れ回る。「放すもんか」と呟いて、レインは掴んだ手を凍てつかせ、強固に結び付けた。

 それに不快感を露わにしたシャウラが、片翼を細かに振動させた。次の瞬間、レインの頭部にまた押さえ付けられるような感覚が襲い掛かる。今ここでその頭を捻り飛ばすつもりらしい。


 当然、レインは抵抗した。


「降り注げ、"浄化ローヌの矢"!」


 天上に漂った雲のような冷気が収縮し、再び矢の形となる。鋒をシャウラに向けた刃たちは、激しい夕立の如く一斉に降り注いだ。

 力をレインの方向へ向けていたシャウラにそれらを防ぐ手段は無い。がら空きとなった背中に極冷の矢が突き刺さり、悲鳴と共に血飛沫が上がった。


「ぎゃっ、痛い、痛い痛いッ! なにすんのッ!」


 苦痛に身を捩らせながら、可憐な少女の顔に強い怒りが浮かぶ。今まで見せなかった「追い詰められた表情」に口角を上げた、その時。シャウラは翼を大きく揺らし、流星の如く地表へと降下した。


「うぁ……っ」


 地面に叩きつけられ、踏みにじられ、口からは鮮血が噴き出した。強靭な猛禽の爪がレインの腹部に食い込んでいた。

 もはや激痛の域を通り越し、受け止めきれない感覚を脳が本能的に遮断した。しかし意識は途切れない。勝利への執念が、レインの精神を重傷の身体に杭打っていた。


「はあっ、こんなに長引くなんて思ってもみなかった! もうおしまいよ、冷たいタイマシさんッ!」


 飛び退いたシャウラが、氷の付着した翼を振るう。それに追随するように、レインも血を吐き捨てながら飛び上がった。首に圧しかかる力を無視し、手元に氷槍を創り出して脚を進めた。


「死んじゃえッ! "羽捻ツイスト"!」

「"コーウィルの槍"ッ!」


 めき、と、骨肉が捻れる音がした。

 静寂の中、人狼たちの遠吠えが小さく響く。

 落ちた血液の塊が、赤煉瓦を鮮やかに染めた。


「……げ、ほっ……」


 血を吐いたのはシャウラだった。その横腹に突き刺さった氷の槍に、人面鳥の生き血が伝っている。

 槍を刺し入れたレインは、右脚を潰されていた。シャウラの力に、頭ではなく脚を捻られていたのだ。幸い「捩じ切る」とまでは行かず、ただ痛々しく傷を露出させるだけだった。


「あ……あれえ? 頭を、ひねったつもりなのに」

「無知で……助かったよ、人面鳥ハーピーのシャウラ。君の異能力が、ようやく分かった……」


 レインが体を震わせながら笑う。槍に置いた手の力が、徐々に弱まっていた。


「『風』の異能力……違う?」


 ぴくりと反応したシャウラの体が、正答を示す。「風」の異能力。ただ強風を起こす、物を吹き飛ばすという次元ではなく、「気流を自由自在に操り動かす」力。故に、空気を操ることで物体を捻る、浮かせる、止める、といった念動力に極めて近い技を使用するに至ったのだ。元来飛行能力を備える人面鳥ハーピーだからこそ成せる技だ。


 そして、レインを相手取るにはその「風」が仇になる。辺り一面に散らばった氷、凍てついた翼、突き出された氷槍。その強烈な冷気が下降気流を起こし、首を狙った攻撃を脚にまで逸らしていた。


 一方、攻撃が逸れたのはレインも同じだった。心臓を一突きするはずが、攻撃が腹部までずれてしまった。レインは既に体力の限界を超えていた。


「……へ、へへへっ! 難しいことは分かんないけど、すごいねタイマシさん! すごいよ!」


 口に溜まった血液をびちゃびちゃと散らしながら、シャウラが無邪気な笑みを浮かべる。血塗れの口許と端麗な少女の顔との齟齬そごが、レインに底冷えするような恐怖を植え付けていた。

「まだ動くのか」と、レインは薄れる意識をなんとか保ちながら口にした。


「あたしは魔族の同盟、そのメイシュのひとり! アル兄やシリウスのじいさまを置いて! ここで倒れるわけにはいかないのッ!」


 シャウラの異能……捩じ切る風が、再度レインに狙いを定める。軌道はもう変えられない。氷を生み出す体力も残っていない。レインが歯を食いしばった、次の瞬間には辿り着いた。


「——ごちゃごちゃうるせえぞ鳥畜生がッ!」


 烈火の如く現れたフレッドが、目にも止まらぬ勢いでシャウラを蹴り飛ばす。不意を突かれたシャウラはそれを避ける間も無く、レンガの壁に激突した。


「……フレッド、くん……」

「はん、情けねえなァオイ! 俺をぶっ倒した時の冷徹さはどこ行った? ハリキリすぎなんだよ!」


 フレッドを見たレインは、壊された脚で体を支えるのを止め、崩れるようにその場に座り込んだ。

 壁に叩きつけられたシャウラが、ふらふらと起き上がる。フレッドは傷を負ったその魔族に敵意の籠もった眼差しを送ると、嘲るように笑った。


「お前は血ィ止めて休んでろ。あんなボロカスの鳥一羽、俺がどうにかしてやらあ!」


 そう意気込み、フレッドは炎を滾らせた。

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