第24話 翼持つ流星

 レインの能力は、防衛という点に極めて優れていた。ヒューズやフレッドのような「放出」を主な戦闘手段にしない分、壁の上で氷刃を射出するだけで十分な牽制になり得る。

 故に、傷を負うことなく壁を守り続けられていたのだが——


「っ、こっちに落ちてくる……!」


 突如空から現れた、正体不明の人型。それが踊るような軌道から一転、流星のように、真っ直ぐにこちらに進んでいるのだ。

 凄まじい速度で飛来するそれは、時折白いもやに似た物体をはためかせている。そしてレインが対処する間もなく、巨大な氷壁に正面から衝突した。


「くっ!」


 衝撃波と振動で、レインの足元がぐらつく。直後、バキ、という破壊音が耳に届いた。あろうことか、飛翔物が堅牢な壁に亀裂を入れ、止まることなく突き抜けようとしているのだ。

 音の連鎖は止まらない。亀裂は次々に広がっていき、やがて呆気なく崩れ去ってしまった。

 落ちて行く氷の悲鳴が街中に轟いていた。


 着地したレインの前に、ふわりと人型が舞い降りる。自分たちと変わらぬ背丈に、華奢な女の肉体。本来腕があるはずの箇所には鮮やかな青い羽が生え揃った翼が、下半身には猛禽類を思わせる、黄色い枝のような脚があった。


人面鳥ハーピー!? なんでここに……」


 ハーピー。人間と鳥を合わせたような外見に、優れた飛行能力を持つ魔族だ。その生態には謎が多いが、他種の魔族と共に現れることも、そもそも人前に姿を現すことも少ないと聞いていた。

 ハーピーは、少女めいた顔にヘラヘラとした笑みを浮かべながら、翼についた氷片を払っている。翼と脚を除けば、自分たちと変わらないような歳に見えた。


「へっへっへー、空の上からあたし参上! さてさて、タイマの人たちはどこかなー?」


 軽快な語りと奇妙なポーズをとり、自信満々といった様子で辺りを見渡すハーピー。滲み出る幼さにしばし唖然としていると、ハーピーはレインを視認し、にこにこと笑いかけてきた。


「ねえ、タイマシがいっぱいくるって言われたから助けに来たんだけど! なにか知らない?」

「……僕が退魔師だけど」

「あっ、そうなの? あたしはシャウラ! 人面鳥ハーピーのシャウラ! あなたの名前は?」


 怪訝な顔で名乗り返して、レインは腕の力を緩めた。流暢に喋る魔族はもう珍しくもないが、こうも無邪気さを前面に露出させたものは初めて見る。その外見も相まって、レインはハーピー……シャウラへの警戒を自然と薄めてしまっていた。

 と、その時、破壊された氷壁の瓦礫を乗り越えた人狼たちが咆哮を上げながら走って来るのが見えた。


「そうだ、人狼が! 止めなくちゃ——」

「じゃあお仕事始めよっか! タイマシさん!」


 シャウラが羽ばたいた瞬間、動き出そうとしたレインの首元に違和感が走る。何か見えないものに、四方から押さえられているような感覚だ。瞬間的に強まったその力に、背中が粟立った。


「——!」

「"羽捻ツイスト"!」


 咄嗟に頭を下げる。すると、首の圧力が失われた身代わりに、背後にあったレンガの壁が揺らぎ、不自然に捻れ、ぐしゃり、と圧し潰された。


「あらら、外しちゃった」


 レインの心臓は、肌先にまで迫った「死」にその鼓動を早めていた。もし頭を下げていなければ、自分は死んでいたのだ。原理はともかく、シャウラが手を触れることなくレインの首を捩じ切ろうとしたということは分かった。

 押し寄せる有象無象の人狼より、快活な笑みを浮かべるシャウラという人面鳥の方が余程危険だ。レインは直感的にそう判断し、今も傍を潜り抜け、街へと駆ける人狼を放置した。


「アルフェルグの時といい、どうして乱入者っていうのはこうも危険なんだろうね……!」

「お、アル兄に会ったことあるの? あの人に会って生き残ったってことかなあ」


 レインが氷剣を構え、シャウラは翼を翻し空中を浮遊し始める。額から零れた汗を拭いながら、レインは人狼を通したことを心中で詫びた。


 * * *


「氷の壁が……!」


 崩れ行く氷壁を見つめて焦燥しながら、ヒューズは呟いた。倒れ伏したカノープスは未だにその狂った笑い声を止めず、壊れたステレオのように呪詛を垂れ流していた。


「あっ、おいてめえら! どこ行きやがる!」


 近くの壁の向こうで、フレッドが慌てたように叫ぶのが聞こえる。透き通った氷からは、人狼たちの影が徐々に遠のいていくのが見えた。


「フレッド、どうした!?」

「魔族どもが急に引き返しやがったんだよ! こりゃ逃げたってことでいいのか?」

「……! 違う、レインの方に行ったんだ! 壊された壁から街に乗り込むつもりだ!」

「ああ!?」


 フレッドの方からは、音こそ聞こえれど壁が崩れる様は見えなかったのだろう。レインが突破されるはずがない、と言わんばかりに、フレッドが上げた声には驚愕の念が籠もっていた。


「あの時と同じ感じがする。強力な魔族が現れた可能性が高い!」

「……クソが! 舐めたマネしやがる、何度も思い通りにさせてたまるかよ!」


 壁の向こうで、フレッドが猛然と走り出す。それに合わせてヒューズも脚を進めると、「待て!」と呼び止められた。


「てめえは街ん中だ! 人狼を止めろ!」

「え!?」

「マリーだけじゃ全員止める前にブッ倒れんぞ! こっちは俺がやる、お前はあっち手伝ってやれ!」


 レインの方が予想通りの状態にあるならば、人狼の侵入はもはや食い止められない。そうなると避難した人々を守るのはマリーただ一人となってしまう。一群ならばまだしも、この数では「弩級砲フレア」でも仕留めきれないだろう。フレッドの指示には筋が通っていた。


「……お前、入学の時とは別人だな……!」

「言ってる場合かボケ! 分かったら走れ!」


 そうして、二人はそれぞれの目的地へと走り出した。


 * * *


「"アドミールの剣"!」

「うわっと! アハハ、思ったより強いね!」


 攻撃を躱し、シャウラが楽しそうに笑う。嘲りではなく、純粋に戦いを楽しんでいるようだった。

 一方のレインは苦悶の表情で息を切らしている。自在に宙を舞う人面鳥に、自分の攻撃を尽く避けられているのだ。


「じゃあこっちからも行くよ!」


 シャウラが空中で二度羽ばたくと、そこら中に散っている氷の破片が舞い上がり、その切っ先をレインに向けた。そしてもう一度羽ばたくと、無数の氷刃が一斉に襲い掛かった。


(物質の浮遊まで……!)


 レインは、シャウラの持つ力を未だ見極められていなかった。飛行はハーピー特有の身体特徴として、遠隔での「捻る」攻撃、そして物体を自在に動かす力。何らかの異能であることは間違いないが、その実態が掴めない。「念動力に近い何か」としか定義できなかった。


「く……"ヴァーダンの盾"!」


 剣を盾に持ち替え、押し立てて身を守る。それを見たシャウラは見透かしたように目を細め、一層強く翼をはためかせた。

 ごう、という空気の揺らぎと共に、盾を押さえる手に圧力が掛かる。嫌な予感がしたのも束の間、レンガをねじり潰したのと同じように、シャウラの未知なる異能が、強固な盾をも粉々に破壊したのだ。


「な……」

「へへー、ガラ空き!」


 守るものが無くなったレインの身体に、氷の刃が突き立てられる。微細ゆえに致命傷にはならないが、全身に入った裂傷にレインは悶え苦しんだ。

 シャウラの追撃も止まらない。怯んだレインの懐へ勢いよく飛び込むと、その猛禽の如き強靭な脚で、強烈な蹴りを叩き込んだ。


「ぐっあ……!」


 呻き声を上げ、地面に転がされる。激しい痛みを拒絶するように、乾いた咳が何度も吐き出された。

 強い。端的に、そう思った。


(また……また負けるのか、僕は)


 硬いレンガに爪を立てるように、ゆっくりとレインが立ち上がる。目の前に浮かぶ敵は未だ無傷、突破口も闇の中にある。血だらけの身体を揺り動かしながら、レインはそれでも立ち上がった。


「僕は……もう、負けられないんだ」


 誰に言うでもなくそう呟いて、レインは氷の剣を創り上げる。シャウラはまた嬉しそうに笑っていた。遊び相手は頑丈に越したことはないのだ。


 レインは、再び無謀にも走り出した。

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