第23話 戦局の昏迷
「——燃え尽きろ!」
渦を巻く炎が、人狼を包んで焼き焦がす。レインの設置した氷壁の外側で、フレッドが猛々しく攻撃を仕掛けていた。
道が塞がれたことで、人狼たちの意識は「突破」から「破壊」に傾いたと言える。なにも壁だけではない、行く手を阻むフレッドに対しても、より攻撃性を高めていた。
フレッドといえど、強靭な肉体を誇る人狼の群れを一人で相手取れば無傷ではいられない。攻撃の数、倒した数でこそ上回ってはいたが、フレッドの体には多くの傷が入っていた。
「くそ、次々湧いてきやがって! 舐めてんじゃねえぞッ!」
自身と敵の血で汚れた髪の毛を荒々しく揺らしながら、ごう、という音と共に熱波が放たれる。熱されたレンガから上がる陽炎がその火力を物語っていた。
『技の開発もこの先重要になるぞ』というジンの言葉を、フレッドは自分には無関係だと捉えていた。入学前、喧嘩に明け暮れていた頃は、そもそも炎の異能など使わずとも負けることは無かったのだ。純粋な力で叩きのめし、追い討ちに炎で更なる力を見せつける。要は飾りだった。それを使っても勝てない「規格外」を何人も見つけてから、フレッドの中で何かが崩れたように思えた。
大して危険視されていない魔族から、ヒューズ、レイン、アルフェルグ……そしてジン。荒廃したスラム街で「頭」として君臨していたフレッドを引き摺り下ろし、アステリアに引き込んだのがジンだった。
——世の中にはな、強いやつがたくさんいるんだ。お前にもその素質がある。どうだ、怪物の世界に挑む気はねえか?
「——怪物なんぞ俺の敵じゃねえ! 俺の名はフレッド! この世で誰よりも強くなる男だ!」
回顧から覚めたフレッドが叫ぶと同時に、足元からレンガの赤熱が広がっていく。炎ではない、純然たる「熱気」そのもの。それが空気を揺らし、地表を焼きながら人狼の群れへと吹き込まれた。
「"
度を超えた熱の中では、呼吸すら死滅の口火となる。ひとたび空気を吸い込めば、口腔から肺まで焦熱の餌食となるのだ。フレッドが編み出した、初めての「技」であった。
襲い来る熱波に、人狼たちが前列から倒れていく。フレッドは異能の負担と傷の痛みに脂汗を滲ませながらも、歯を見せて笑っていた。
「見たかワンコロ! まだまだ行くぞォ!」
勇ましく脚を踏み込み、威嚇するように吠える。どちらが魔族かわからないような光景の中、動き出した一つの影があった。
赤毛の人狼が、フレッドが迫る中その場に屈み込み、溜めるように膝を曲げていた。そしてその口角が薄らと上がり、牙の先が覗いたかと思うと、射出されたように跳躍した。
「ああ!? なんだいきなり……!」
フレッドは目を疑った。飛び跳ねた人狼は、空気抵抗など解することなく宙を突き抜け、氷壁の高ささえ超えたのだ。明らかに他とは一線を画していた。
人狼は壁の向こうに行こうとしている。止めようにも、交戦中のフレッドには追い付けない場所にいた。焦りが色濃く現れた、その時だった。
「——"
彼方で煌めいた閃光が、一瞬のうちに飛来する。尾を引く白雷が弾けると共に、電気を帯びた蹴りが、その人狼を叩き落とし、壁の内側でレンガに伏した。
そうして壁の頂上に降り立ったのは、ゆっくりと息を吐くヒューズの姿だった。
「お前っ、電撃野郎! 遅えんだよバカ!」
「悪い、遅くなった!」
怒気を含んだ叫び声がヒューズの鼓膜を震わせる。かなりの高低差がある中でも、思わず耳を塞いでしまうような声量だった。
「今どういう状況だ? この壁は?」
「氷女が道塞いでんだよ、こいつらが街に入らねえようにってよ! 見渡してみろ、あと二つ壁があんだろ!」
「見えた! ……でも、なんだ? 向こう側の壁には人狼が来てないぞ」
「はあ!?」
三つの壁のうち、防衛手がいない壁には全く人狼の侵攻が及んでいないのだ。ヒューズが見たところ、全ての戦力をこの壁……フレッドの守る壁と、レインの守る壁の二つに割いているようだった。
「へっ、丁度いい! 今そっち行った奴いたろ、それの相手任せてやるよ! なんか他の奴とは違うっぽいからなァ、うっかり死んだりすんなよ?」
「わかった、任せろ! そっちは頼んだ!」
フレッドの指示を受け、壁の内側へと飛び降りる。先程蹴落とした人狼が、丁度起き上がろうとしているところだった。
「……くっ、不遜な! 貧相な人間風情がっ、俺に蹴りを入れるなど! 汚らわしいッ!」
赤毛の人狼は気が触れたように吐き散らしながら、歯軋りをして身体中を掻き回している。ヒューズが着地するのを見て、人狼はナイフのような殺意をそちらに向けた。
「お前は! 神聖なる森を穢し、王に無礼を働いた退魔師だな!」
「よく喋るな、人狼は皆教育でも受けてるのか?」
「はッ、見くびるなよ人間。我々の知能は貴様らより遥かに上! 言語習得など赤子の手を捻るより容易いわ!」
傲慢と憤怒を形にしたような語り口に、ヒューズは顔をしかめながら臨戦態勢に移った。同じ人狼でも、人間に対して極めて寛容だったシリウスとは全く違う。恨み、もしくは逆怨みのような黒々とした感情が、外側からも見て取れた。
「俺は他の魔族とは違う……名を持つ魔族、カノープス! 「
人狼……カノープスは再び膝に力を溜めると、壁に向かって凄まじい勢いで跳ねた。家屋の壁を蹴って向かいの壁へ、その壁から道のレンガへ、そしてまた壁へ、と縦横無尽に跳ね回り始める。
壁を蹴る脚が、奇妙な反発力を有しているのだ。それが相乗するように力を生み出し、弾丸の如き速度で移動を繰り返していた。
「死ね!」
鍛え抜かれた肉体が、反発の力を乗せて飛び掛かる。ヒューズはそれを間一髪で躱したが、掠った服の端には、その威力を言い表すような摩擦熱が残っていた。
「反発力……反発力か」
ヒューズは眼球をしきりに左右させ、カノープスの動きを目に焼き付けていた。もはや残像の筋しか視認できないような、凄まじい速度だった。このまま手を出しても当たらないどころか、まぐれで当たりでもすればその速度で腕ごと持って行かれかねない。今出来るのは観察だけだった。
「ちょこまかと! 大人しく身を委ねろ!」
「誰が当たるか、攻撃が直線的なんだよ!」
煽りを挟みつつ、しかし冷静に目を凝らす。カノープスはその態度に余程腹を立てたようで、織り合わせたような罵声を吐き続けた。上下左右に振れる金切り声に、耳がきんきんと痛んだ。
激情型、直線的な動き。それさえ分かれば、あとは簡単だった。
「カノープスって言ったか、異能の魔族!」
「黙れ! 俺の名を呼ぶなどと——」
「宝の持ち腐れだ、森の門番の方がよっぽど強かった!」
反発が生じるのは、脚で物を蹴る時のみ。つまり、壁を蹴るために一度体勢を翻す必要がある。水泳の「ターン」と同じ要領だ。いくら速くとも、減速する瞬間が決まっているなら恐れることはない。
ヒューズの纏った雷光が、ばちり、と明滅する。次の瞬間には、ヒューズは壁際でカノープスの頭上を取っていた。
「貴様——」
「落ちろ、"
膨張した電撃が、轟音と共に降下する。それはカノープスの身体を捉えると、吸い寄せられるように直撃し、赤い体毛を焼き焦がした。
「ぐ、お……あ」
痙攣するカノープスが、呻きながら空を仰いでいる。止めを刺そうと雷を放出しようとした時、どういうわけか、カノープスはだらしのない顔で笑っていた。空の一点を見つめて、狂ったような笑みを浮かべていたのだ。
「はは……はははは! 終わりだ、人間! 天は貴様らを見放した! 第三の盟主がここに来る!」
「……!? 何言って——」
突如として、耳をつんざくような音が響いた。何かが鋭く風を切る音だ。
咄嗟に空を見上げると、一目でその発生源が分かった。雲を両断して狭間に青空を呼び込み、優雅に遊ぶように飛翔する「人型」。いや、正確には人ではない、翼の生えた生物が、遥か上空に存在した。
それはくるくると宙を舞いながら、流星のように落ちてくる。ここではない。しかし、この街に向かって確かに落ちている。
それが落ちたのは、三つ目の氷壁。レインが守る場所だった。
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