第21話 久遠の崩れる刻

 起床し朝食を振る舞われた四人は、神妙な面持ちで玄関に立っていた。「楽しい旅行」は魔族の存在によって緊張感漂うものへと転じ、四人の間にも息の詰まるような雰囲気が現れていた。


「……じゃあ、話した通り。街を見回りつつ、魔族の襲撃に備えよう。観光にもなるしね」

「バラバラで? それともみんな一緒?」

「ばらけた方がいいと思う」


 レインの指示に、マリーはしょぼくれたように肩を落とした。元々旅行を提案したのはマリーだ。心の底から楽しんでいたのも分かる。彼女のような人にとっては特に、こんな形で楽しみが潰れるのは心苦しいことだろう。


「俺はもう一回森に行ってくるよ。シリウスに話を聞く」

「分かった。……警戒はするんだよ。仲良くなってから寝首をかく気かもしれないんだから」


 レインはこの話題について、周りより特に神経を尖らせているように思える。対魔科の生徒としての思考より、個人的な魔族への敵対心が現れていた。

 そうして庭を歩く途中、フェリシアとすれ違った。


「おはよう、兄ちゃん。出かけるの?」

「ああ。森に行ってくる」

「それならこれ持っていって。許可印がないとまた騒ぎになっちゃうから」


 そう言うとフェリシアはポケットの中から銀色のペンダントのような装飾品を取り出し、ヒューズに手渡した。森に入るものは、これを所持していなければならないとのことだった。昨日これを持っていれば、人狼との戦いは避けられたのかもしれない。


「ありがとう。今日は仕事?」

「うん、お掃除の手伝い。シリウスさんに会ったらジャムの感想、聞いておいてよ」

「おう。それじゃ」


 笑顔で対応し、足早に歩き去る。フェリシアにはまだ自分の立場を伝えていない。それどころか、雷の異能についても詳しく話してはいなかった。巻き込みたくないという思いもあった。フェリシアがヒューズにそのことを詰め寄らないのも、兄の心境を機敏に感じとっているからなのだろう。




 敷地を出たヒューズは、駆け足気味に森の奥へと向かった。許可印の効果かシリウスの命令かは分からないが、道中で襲われることはなかった。


 森の奥——花々に彩られた空間には、シリウスが一人で立っていた。


「……やはり来たな、小僧。退魔師大人どもをけしかける選択肢もあっただろうに、やはり似るものだのう。兄妹揃って根が素直で温厚よ」

「じっくり考えた結果だ。昨日の言葉について、もっと詳しく聞きたい」


『人狼によって災いがもたらされる』。この言葉が本当かどうか、そしてそれをわざわざヒューズに伝えた真意を知りたかった。最初はあれほどに殺意を向けていたヒューズが一対一で対話を求めようとする辺り、彼も情に絆されたと言える。

 シリウスは笑いながら「どこから話そうか」と呟くと、頬の毛を掻き流してから話し出した。


「そもそも、アルフェルグの目標を把握しておるか?」

「いや、詳しくは。人間を殺そうとしているって話は聞いた」

「そうか。……アルフェルグが……我らが掲げる理想は、人の世を終わらせ、魔族を頂点に立たせることだ。この時点で人との衝突は避けられぬ」


 魔族を頂点に……つまり、現社会を根底から転覆させようというのだ。その考えに至った過程やアルフェルグの内面については、シリウスは一度話そうとして止めた。他人について語るのは野暮だ、とのことだった。

 だがそれではシリウスの態度との折り合いがつかない。そう問い詰めると、シリウスは堂々と言葉を返した。


「王というものは節制で、しかして強欲であらねばならぬ。儂はノルノンドを愛しておるが、その一方でアルフェルグの理想にも同調した。なにが言いたいか、解るか?」

「……わからない」

「『人の世を終わらせる』ことには力を貸す。だが『愛するものを守る』ことも放棄せぬ。儂は魔族の世で、己が愛を貫き通す。昨日の言葉はその現れよ」


 ヒューズが「よく分からない」と言わんばかりに目線を右上にやると、シリウスは豪快に笑った。

 その笑いに更に困惑していると、周囲から森がざわめくような、重なり合った風と青葉の音が鳴り響き出した。


「儂の仕事は『力の告示』。そのためには見せしめが必要だ。……だがその対象に最も近しい人里を選ばぬというのは、何とも腰の引けた話だろう?」


 その言葉を理解できないでいると、森のあちこちから、力強い足音が上がり始めた。慌てて音の方を見れば、無数の人狼が隊列を組み、ゆっくりと、しかし確実に街の方へと進んでいるのがわかる。

 ヒューズは青ざめた。その光景がなにを意味するのかを、即座に理解したからだ。


「あれが解答だ。……走れ、若き退魔師」


 もはや猶予など無いということだ。シリウスの行動の真意など最早気に掛けている場合ではない。あれほどの数の魔族に襲撃されれば、ノルノンドは半日と保たずに壊滅してしまう。

 ヒューズは歯を食いしばりながらシリウスを睨みつけた。が、手は出さなかった。出しても倒せないと理解していたし、依然として相手からの敵意を感じなかった。


「どうしても、俺を殺さないんだな?」

「わはは、今回はな! 言っただろう、お前は友人の兄だと。余程楯突たてつかれぬ限りは手出しせん。部下にまでそう命ずるのはここまでだがな」


 そう言うと、シリウスはどこか遠い目をしながら、ヒューズを追い払うような仕草で俯いた。

 結局、シリウスの思考については分からずじまいだ。しかし、あの行動に至るまでには、想像もできない複雑な考えがあったのだろう。確信はないが、そう感じた。

 走り去る後ろ姿を見送って空を仰ぎ、シリウスは呟いた。


「それに——三百年の付き合いだ。興が乗らぬ」



 * * *


 街では、レインらがそれぞれ別区画の見回りを行なっていた。どこも観光客で混雑し、市場や飲食店は熱を帯びて盛り上がっている。


「安いよ! そこの姉ちゃん、ひとつどうだい!」

「いえ。間に合ってます」


 客引きの声を冷たくあしらい、周囲を見渡す。レインは、徐々に早くなる鼓動をじわりと火照る肌で感じていた。根拠はないが、何か嫌な予感がしていた。


 そして時刻が正午に差し掛かろうという、その時。街に、サイレンのようなけたたましい音が津波の如く押し寄せた。

 狼の遠吠えが何重にも併せられた音だ。


「……ほら、だから言ったんだ……!」


 苛立ちがありありと篭った一言と共に、たなびく帯のような冷気が放出される。その眼が街の向こうに捉えたのは、ゆっくりと輪郭を表す、おびただしい数の人狼たちだった。


「なんだなんだ」

「あの集団なんだ? コスプレか?」

「ここってそんなお祭りあったっけ?」


 観光客たちは身を乗り出して人狼の大群に視線を送り、写真を撮り出す者もいた。それとは対照的に、地元の人々は人狼を見るなり血相を変えて店仕舞いをし、家屋の中に潜り込んでしまった。


(……ヒューズくん、この数は僕ら四人じゃ……)


 無理だ、と心の中で言いかけて、レインは自分の頬を叩いた。敵を前にして怖気付くなど兄ならば絶対にしない、兄ならば絶対に諦めない、と自分を奮起させた。


「避難してください」


 放った冷気が両手に集約し、武器の形を作り上げてゆく。硬質な音と同時に、その腕には一体の氷剣が握られていた。

 観光客たちはそれを見て怯えたように後退りながらも、避難を始めようとはしない。レインは溜息を吐いて、猛然と人狼に向かって駆け出した。


 ノルノンドの地で、戦いが幕を開けた。

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