第20話 語らいの夜
ヒューズとフェリシアは、森の中を歩き戻っていた。入ったときに立ちこめていた濃霧は嘘のように消え去り、人狼が襲いかかってくることもない。しかし、四方から監視されているような感覚はあった。シリウスが「客人だ」と宣言したことで殺意は抑えているようだが、やはり退魔師への警戒は高まっているのだろう。
「兄ちゃんは、なんでわたしがここにいるって分かったの?」
「ん? ああ……アイオライト家に友達ができてさ。アステ……いや、学校のクラスメイトと一緒に旅行に来たんだよ。そこでフェリシアのことを聞いた」
「学校かあ……いいなあ、わたしはずっと森で暮らしてたから……」
フェリシアがはにかみながら髪を揺らす。言語や知識面に問題はないことから、学校に通ったことがなくともシリウスに、あるいは別の学習手段で一般教養を頭に入れているのだろう。だが十二の少女にとって、学校という場が強い憧れの的となるのは理解できた。
「……なあ、フェリシア」
「なに? 兄ちゃん」
「あのシリウスって人狼、お前から見てどう思う? どんなやつだった?」
ヒューズは、シリウスに言われたことを思い返しながら、視線を泳がせて聞いた。するとフェリシアは考えるまでもない、といった具合に微笑み、「最初は怖かったけど、すごくいい人だよ」と返した。
「わたしだけじゃなく、街の人にも優しいの。ノルノンドの街が大好きだって言ってた」
「え? 街の人はこの森に人狼がいるって知ってるのか?」
「ううん、知らないみたい。人前には出ないし、『許可印』を持ってる人が森に来たら見守るだけ、持ってない人は姿を見せず追い払うだけって」
森に棲む人狼たちは、数百年もの間ノルノンドとの「不干渉」を貫いてきたのだという。だが実際は不干渉どころではなく、影から街の人々を守るような動きもしてきたらしい。それほどまでに、シリウスはノルノンドという街を気に入っているのだ。
それを聞いて、ヒューズは更に頭を抱えた。
『——近いうち、ノルノンドは災いに見舞われる。他でもない、人狼の手によってな』
シリウスがヒューズに囁いたのは、この一言だった。
(こんな奴が愛する街を、しかもこのタイミングで襲わせるなんてことするか? いや、でも魔族の考えることだ……)
考えれば考えるほど、シリウスがこんなことを、それもヒューズにだけ伝える理由が分からなかった。アルフェルグの仲間としての行動を優先するなら、そもそもあの場でヒューズを殺しても良かったはずだ。
「兄ちゃん?」
「あ、いや。なんでもない。早く戻ろう」
フェリシアの様子から察するに、シリウスは自分が人間と対立する立場にあることは知らせていない。兄と友人……または育ての親が殺し合うことになれば、フェリシアは何を思うのだろうか。ヒューズは、胸に芽生えた「善き魔族」の幻想がそのままであるように、と願うことしかできなかった。
* * *
「——まさかヒューズに妹ちゃんがいるなんてね〜! 可愛いなあフェリシアちゃん!」
「あ、ありがとうございます。ええと……お嬢様?」
「そっか、立場的にはお手伝いさんか。んーでもフェリシアちゃんとはお友達になりたいなあ!」
夜、アイオライト邸。森から戻った二人は、煌びやかな大食堂で夕食の席に着いていた。
マリーはフェリシアをいたく気に入った様子で、初対面とは思えないほど友好的に接してくれている。ヒューズはそれを見て安心していた。
「ヒューズくん。……よかったね」
「ああ。本当に。そっか、事情を知ってるのはレインだけなのか」
「一方的な盗み見だけどね」
「近いうちに二人にも話しとかなきゃな」
そう言ってフレッドの方を見やると、フレッドはいつになくしおらしい態度で、ちらちらとフェリシアに視線を送っては逸らしている。不審感溢れる姿に声を掛けると、彼は紅潮した顔でヒューズを睨みつけた。
「どうかしたか?」
「……! なんっ、なんでもねえよ! なに見てんだよ!」
上擦った声に、ヒューズが怪訝そうに首を傾げる。それを見たレインは愉快そうに笑っていたが、その理由は分からなかった。
「ねえあなた、マリーがお友達になりたいですって。本格的に養子縁組の手続きしちゃおうかしら」
「はっは、それでは友達ではなく姉妹じゃないか。まあ私は特に反対はしないが」
「えっ、養子になるの!? じゃあヒューズとも家族になっちゃうじゃん!」
「ええ!? そんなことある!?」
アイオライト家の冗談かどうか分からない明るい雰囲気に飲まれながら、楽しく、そして贅を尽くした食事会が過ぎていく。夜8時を回った辺りで夕食は終わり、ヒューズたち四人は大部屋へ、フェリシアは使用人の手伝いに向かった。
大部屋には背の高いソファが机を中心に並べられ、巨大なシアター設備のようなものも揃えられている。フレッドが真っ先にソファに腰掛けると、面倒そうに口を開いた。
「で、なんだよ。話したいことって」
次々と席に着いたレインとマリーも、少し神妙な顔でヒューズに視線を送った。夕食の時とは一転して、重苦しい空気が場に漂いつつあった。
「今日、森で人狼に会った。魔族だ」
その言葉を聞いて、フレッドは目をつり上げ、レインは深刻そうに息を吐き、マリーは不安そうに首を持ち上げた。
「森で? 魔族と!? 倒したのかよ?」
「いや、倒してない。……というか、倒せなかった。数十体の人狼と、それを取り纏める「王」がいた。その王様は、アルフェルグの盟友って名乗ってた」
「……よく無事だったね」
レインの言葉に言いづらそうに視線を逸らすと、ヒューズはしばらく目を瞑ってから今日あったこと——七年前の説明から、シリウスに言われた言葉までを全て話した。
「つ、つまり。ノルノンドが人狼に襲撃されるってこと?」
「そう言いたいんだと思う。けど、俺は——」
「妹を救った魔族が、そんなことをするとは思えないって? ヒューズくん、僕らは対魔科の生徒だよ。情に流されるのはマズい」
レインの言い分はもっともだった。魔族、それもアルフェルグとの関係が明言されているものを私情で庇うような真似をするのは、対魔科としては許されないことだ。敵に対する見極めは厳しく、冷酷に行わなければならない。
「その魔族の言葉が真実かどうかはともかく、すぐ先生たちに報告したほうがいいと思う」
「でも、そしたら対魔科はどうあれ先制攻撃を仕掛けようとするだろ。被害を出してない魔族を殺すのは規律違反になる」
「……私は、まだ判断するのは早いと思うな。そのシリウスって王様も、ヒューズの話だと悪者には聞こえないし」
話が
「口でうだうだ言っててもしかたねェだろ。こういう時は「行き当たりばったり」でいいんだよ」
「どういうこと?」
「どっしり構えて待ってりゃいいんだよ。襲ってくるならブッ殺す、こないなら放っといてやる。俺らは旅行中だ、自己判断上等じゃねえか!」
レインが呆れたように反論したが、ヒューズはフレッドの肩を持った。それが自分にとって一番都合の良い結論だったからだ。待つことで猶予が与えられるなら、もっと考える時間もできる。再び森に行き、シリウスを問い質すこともできると思った。
結局レインが押し切られる形で、この議論は幕を閉じた。フレッドが「こっちから殺しに行く」などと言い出さなかったのは意外だったが、彼の中にも心境の変化があったのだろうか。ともかく、四人はそれぞれの部屋に帰り、就寝することとなった。
その日は、やけに寝苦しい夜だった。
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