第19話 狼と純白の少女

 アルフェルグの盟友。その言葉を聞いて、ヒューズは緩んでいた神経を一気に引き締めた。アステリアに正面から敵対しているアルフェルグの味方となれば、間違いなく敵対関係だ。しかしシリウスはその様子を見てにやりと笑い、諌めるように首を振った。


「そう警戒するな、お前は大切な友人の兄だ。退魔師とはいえ殺しはせんさ」

「俺はそうはいかない。アレに味方がいるなら、ここで数を減らさなきゃならない」

「わはは、その勇気には賞賛を贈ろう! だがしかし、お前ではわしに勝てまいよ。余地多きその命、無闇に散らすものではない」


 シリウスは、今までに出会ったことのない魔族だった。こちらが敵意を剥き出しにしているのに対し、小指の先にも力を込めていない。とてつもない強さ……それこそ、アルフェルグを彷彿とさせるような力を誇るのはすぐに分かったが、それをヒューズに向ける気が微塵たりともないのだ。

 堂々と、目が眩むほどの王気を放つ人狼だった。


「……じゃあ、質問だけ。なんでフェリシアと一緒にいるんだ?」

「それは本人に聞けばよかろう。儂はフェリシアに何一つ手出しはしておらんとだけ言っておく」


 そう言って声を掛けると、二人の会話を不安そうに見つめていたフェリシアがびくりと肩を揺らし、遠慮気味にヒューズの顔色を伺って深呼吸をした。


「え、えーと……久しぶり、兄ちゃん。会えて……生きて会えて、本当に良かった」


 やはり七年越しの再会、唐突な別れからの思いもよらぬ再会ということもあり、状況がよく飲み込めていなかったようだ。いざヒューズと向き合ったフェリシアは、その宝石のような瞳に大粒の涙を溜めながら、絞り出すように口にした。ヒューズもそれを受けて、涙を堪えて唇を噛んだ。


「フェリシア、七年間なにをしてたんだ? あの後一体何が……?」

「えっと、順を追って話すね。まず——」


 そうして、フェリシアはゆっくりと話し始めた。


 * * *


 ——七年前。ヒューズが八歳、フェリシアが五歳だった。両親を失い、各地を渡り歩いていた二人の前に、親を殺した狼頭の魔族が現れた。


『お前——うああっ!』


 一瞬のうちの出来事だ。魔族はヒューズを殴り飛ばし、フェリシアを強引に抱きかかえて逃走した。十にも満たない子供……それも、まだ雷の異能に目覚めていなかった彼には、魔族を止める術などない。


『にいちゃんっ!』


 動けないヒューズを嘲るように、魔族はフェリシアを連れて走り、そして見えなくなる……と、ここまでがヒューズの知っている話だ。

 その先の話。ニタニタと粘っこい笑いを浮かべる魔族がフェリシアを連れて逃げる途中に、それは現れた。


『——おい、貴様。人狼の誓いを忘れたか。無垢な幼子を手にかけるとは何事だ』


 背後から聞こえた声に魔族が振り向いた瞬間、獣の力を込めた豪腕がその顔を殴り潰した。

 放り出されたフェリシアを、巨漢の人狼……シリウスが救い上げたのだ。シリウスは泣きじゃくる少女に、優しく声を掛けた。


『小娘よ、疾く家に戻れ。儂の——』


 シリウスは何かを言いかけてその動きを止めると、少し考え込んだ後、こう言った。


『……いや、なるほどな。小娘、儂と共に来い。どうやらお前はらしい。しばらくの間、儂がかくまってやろう』


 そうして、シリウスはフェリシアをノルノンドの森へと連れて行った。


 * * *


 一連の話を聞いて、ヒューズは顔をしかめていた。納得のいかない部分、不透明な部分が多すぎたからだ。ヒューズは大きく息を吸い込むと、睨みつけるようにシリウスに顔を向けた。


「狙われたって何に? 匿うって七年間もか?! というか、その魔族はあんたが仕留めたのか?」

「落ち着け。慌てずとも順番に説明してやる」


 シリウスは一つ溜息をつくと、思考を纏めるように指先を踊らせてから言った。


「まずな、お前達の両親を殺したという人狼だが、あんな顔の人狼はおらん。最初からな」

「え?」

「儂は全ての人狼を纏め上げ、王としてここにいる。つまり儂が知らぬ人狼などいない。もし居たとしても、人狼の情報網ですぐ把握できる」


 ヒューズは、シリウスの言っていることがよく分からなかった。ではあの人狼は何だったのか、と口に出そうとするのを、シリウスが視線で制した。


「つまりお前達の仇は、『人狼に化けたなにか』だ。そして、それはまだ生きている。儂が攻撃したその後、忽然と姿を消していたからな」

「じゃあ、フェリシアを狙ってるのも……」

「そやつだ。あの後、探るような気配が薄らと残っていたのでな。まだフェリシアを諦めていないと考えた。後で話を聞いてみれば、そもそもそやつはお前に興味を示していなかったようではないか」


 心当たりがあった。その「仇」は、ヒューズや両親を問答無用で殺そうとしたが、フェリシアだけは傷一つ付けず攫っていった。最初からフェリシア一人を標的にしていたようにも思える。

 そして、肝心な狙われる理由——これにも、思い当たるものがあった。


「……そこまでは分かった。じゃあそもそも、なんでフェリシアを助けたんだ?」

「ふ、ふははは! 理由など決まっておろう。儂のきまぐれよ! 乗りかかった船というやつだ!」


 一番聞きたかった所を突いたヒューズは、シリウスの頓狂な答えにしばし絶句した。つくづく、こんな魔族は見たことも聞いたこともない。後ろでは、それを見たフェリシアが楽しそうに笑う声も聞こえた。


「三百年以上生きておると、このような刺激も欲しくなるものでな! 事実、お前の妹は素晴らしく愉快だった。永き人生で五指に入る華よ!」


「のう!」と同意を求めるシリウスに、フェリシアが笑顔で応対する。本当に七年間共に過ごし続けたと言うのなら、兄妹で過ごした時間よりも長い付き合いだ。二人の間には、種族の垣根を越えた信頼関係が見て取れた。

 ヒューズとしては複雑と言う他ない。魔族を抹殺するのが、異能を持つ退魔師としての役目なのだ。


「まあ、お前の考えることも分かる。フェリシアも十二の歳だ。いつまでも人狼の下に置くのもな。そこでここらの領主に……いや、今は領主とは言わぬか。とにかく、人間の下に行くよう指示を出した」

「アイオライトさんっていう、すっごく大きい家なの。兄ちゃんは知ってる?」


 それほど表情に出ていたのだろうか、ヒューズの思考を当然のように先読みしたシリウスが、頷きながら極めて常識的な判断を述べた。

 やはり、緑色の魔族や岩石の魔族と比べると特異的だ。ヒューズは、密かに魔族への認識を改めていた。


「……さて、そろそろ戻るがいい。儂はこのじゃむとやらの味を確かめねばならぬ。お前も、あまり一度に情報を入れると混乱するだろう」


 そう言ってシリウスはフェリシアに渡されたビン詰めを自慢げに振ると、そのまま手を払って立ち去るよう示した。フェリシアが素直に従おうとするのに合わせて、ヒューズも不服そうに視線を逸らしながら続く。それを、シリウスが呼び止めた。


「おっと、待て小僧。お前に一つだけ。……フェリシア、少し離れて耳を塞いでくれるか」

「? は、はい」


 訝しげな表情になりつつも、シリウスの手招きに従って近付いていく。ヒューズの肩を掴んで引き寄せながら、シリウスは小さな声で告げた。


「——……以上だ」

「……お前! それ、どういう……!?」

「嘆かわしいことではあるがな。儂にも立場がある。よく考えて動けよ、若き退魔師」


 ヒューズが何を聞く間もなく、シリウスは早々に踵を返し、森の中に消えていった。


「兄ちゃん?」

「……いや、なんでもない。行こう」


 妹との再会で、歓喜に震える心はある。しかし、ヒューズの顔に現れていたのは、どうにもし難い苦悩の感情だった。

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