第22話 討ち払う退魔の志
「……そんな……どうして」
アイオライト邸の二階廊下、その窓際では、フェリシアが街の様子を覗き込んでいた。
森から次々と現れる人狼たちが、冷たい眼、あるいは血に飢えた眼を光らせて街へ雪崩れ込んでいる。その中には、逃げ遅れた人々を襲い、喰らっているものもあった。
フェリシアの心中には、絶望にも近い暗がりが広がっただろう。七年間自分を守ってくれた人狼が、昨日まで何の変化もなく話していた友人の臣下が、突如として人間に牙を剥いたのだから。
「シリウスさん……」
館の裏からも人狼は出現していたが、なぜか館の中に立ち入ろうとはせず、敷地を綺麗に避けて街の中心部へと向かっている。街で暴れている人狼も、頑なに建物を壊すようなことはしなかった。
フェリシアはどうしようもなく騒めく気持ちを鎮めようと深呼吸をして、ただ窓の外を見続けた。
その視界の中、街の一角で紅々とした火柱が上がる。発生源には押し寄せる人狼と、じりじりと後退しながら攻撃を放つフレッドの姿があった。
「だあああっ、多すぎんだよ! これじゃキリがねえ!」
敵が束になっている分、炎の範囲攻撃を喰らわせることは容易だ。しかし、魔族の強靭な生命力が難点となる。距離をとっての火炎ではせいぜい足止めか、良くても数体に傷を付けることしかできない。かといって一点集中で仕掛ければ、他の人狼に道を突破されてしまう。
フレッドは苛立っていた。このような両手が塞がった状態で思考を巡らせるのが、彼の最も苦手とするところだったからだ。
「——炎の異能力者だ!」
「殺せ! ただの人間殺しより余程価値がある!」
「示せ! 示せ! 開戦の
人狼たちが咆哮を上げ、波状にフレッドに襲いかかる。フレッドは同じく獣のように叫びながら、その顔に拳を叩き込んでからまた数歩引いた。
「うるせえんだよ、一丁前にベラベラ喋りやがって! 犬は犬らしくワンワン吠えてやがれ!」
啖呵を切ったはいいものの、状況としては依然不利なままだ。ほとんどが片手間で対処できる程度の魔族だが、中には炎を浴びても動じないようなものも紛れている。そしてこの波がこれで打止めなのかも分からないのだ。
「くっそ、こうなりゃ一気に……」
「——フレッドくん! 下がって!」
熱のこもった頭が、上からの冷気で冷やされる。フレッドはその声を聞くよりも先に、本能的に跳び退いていた。
「氷盾、展開。——"キュベオーの城砦"!」
空から投下された氷塊が、着弾するとともに身が凍るような冷気を放って膨張する。爆発するように広がり質量を拡大したそれは、堅牢な壁となって立ちはだかり、通り道を完全に遮断した。
壁の内側でフレッドが振り向くと、白い息を吐いて佇むレインの姿があった。壁の向こうからは人狼の怒号と、激しく壁を打ち叩く音が聞こえる。
「氷女! そっちの戦いはどうした?」
「氷女じゃなくてレイン。僕の方もこうやって塞いできたんだよ。森から人狼が通る道は大きく分けて三つ。ここを塞いで、後一つだ」
「あいつはどうしたんだよ?」
「マリーには避難誘導をやってもらってるよ。人混みの中だと戦いにくいからね」
レインは凛とした態度でそう言ったが、フレッドは彼女の右手、その指先が微かに震えているのを見逃さなかった。色も僅かに紫がかっていた。
異能は他でもない自身のエネルギーを使って顕現する。その規模を広げれば、身体に負担がかかるのは当然だ。盾など比べるまでもないほど巨大な防壁を連続で生み出すとなれば、その反動もかなりのものになる。フレッドはそれを見て舌打ちをしたが、指摘することはしなかった。
「……それと、フレッドくん。気付いたかい?」
「あ?」
「人の襲い方が妙なんだ。明らかに人を選んで襲ってる。マリーが一番に教えてくれたんだけどね」
顔をしかめ、「具体的には?」と聞く。
「住民に手を出してない。観光客だけを狙ってるみたいなんだ。それにまとまった住宅地には人狼が一体も攻め込んでない。……守りやすいって意味ではありがたいんだけどさ」
「そりゃつまり、昨日の話が関係してるってのか? シリウスとかいう野郎が悪者じゃないとかなんとかってよォ」
「悪人さ。多かれ少なかれ、人に危害を加えれば立派な駆除対象だ」
冷徹に言い放つレインと二秒ほど見つめあって、フレッドは鋭い目つきのまま顔を背けた。考え自体には同意だった。フレッドにとっては、魔族が何を考え、どういう理由を持っていようが関係ない。向かってくるならば戦うだけだった。
「まあどうでもいい。んで? 俺ァどうすればいい」
「ここと、向こうの壁。二つの防衛を任せたい。ヒューズくんが戻ってくれば丁度一つずつ守れるんだけどね」
「はっ、そのくらい朝飯前だ! あの野郎なんざ必要ねえ! 要は全員ブッ潰せばいいんだろ?」
そう言うフレッドに微笑みかけると、レインは「よろしくね」と言い残し、次の場所へと向かった。フレッドは氷の崩れたようなへりを足場にして壁を駆け上がりながら、再び舌打ちをした。
「……まだ戻らねえのか、電撃野郎。森の中でそのまま死んでんじゃねえだろうな……」
壁の頂上で、それを破壊せんと群がる人狼たちを見下ろす。険しい顔で両手に灼光を滾らせると、フレッドはその中へ臆することなく飛び込んだ。
* * *
「——みなさん! 落ち着いて、落ち着いて避難してくださーい! 散り散りにならず、一纏まりで!」
街中で、マリーの声が響いている。人々の悲鳴や叫び声が飛び交う中でも、はっきりとした響きを保った、鼓舞するような声色だった。
人の動きは対照的な二つに分かれた。そそくさと建物の中に隠れこむ町人と、無我夢中で広場の方向へ走る観光客。この場合、正しいのは町人だ。人狼が観光客だけを狙っていると気付いたマリーにとっては、この対極化が魔族にとってひどく都合の良いことに思えた。
「うわああああっ!」
道の端で、男性が叫び声を上げた。慌ててそちらを見ると、人狼が男性の首元に喰いかかろうと顎門を開いていた。
大きい通路を塞いだとはいえ、ここは街だ。裏道や細道もある。判断の速い人狼の中には、もうここまで追いついているものも存在した。
マリーは血相を変えて駆け寄り、手のひらに光球を輝かせる。人狼の鋭利な牙が男の喉を食い破る寸前、マリーの掌底がその身体に届いた。
「"
光の筋が人狼に打ち当たり、その毛並みを焦がしながら吹き飛ばす。眩い光が散ると共に、赤レンガの壁に叩きつけられると、人狼は痙攣したまま動きを止めた。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「ひっ……ひいいい!」
優しく呼びかけたつもりが、男は怯えきった表情で立ち上がり、よろけながらも走り去ってしまった。マリーは一瞬悲しそうに眉を下げたが、すぐに首を振り、周囲への警戒を一層強めた。
「もうこんなところまで入ってきてる……みんな無事だと良いけど……」
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん!」
今度は叫びではなく、こちらに向けた囁き声が耳に届いた。その方向に顔を向けると、家屋の扉から顔を覗かせた老婆が、こそこそと手招きをしていた。
「あんた、アイオライトさんの所の娘さんだろう? こっちにおいで。家の中なら安全だよ」
そう言われてマリーはパッと笑顔を見せ、「大丈夫です」と首を横に振った。
「私はここでみんなを守らなきゃいけないので! 安心してください、普通の人よりは強いです!」
虚勢を張ったわけではない。心の底からの、明け透けな善意の声だった。魔族の襲撃に対して、今動けるのは対魔科の四人だけだ。「力を持つ者は、人のために施さなければならない」という高潔な信念が、ごく自然に、それが当たり前のようにマリーの体を動かしていた。
「絶対に、負けたりしない!」
逃げ惑う人々の背後で、己を奮い立たせるようなマリーの言葉が響き渡っていた。
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