第10話 冥き死①

 岩石の巨人、二体の魔族がぎしぎしと関節を擦らせながら突進してくる。ヒューズは臨戦態勢にこそ移ったが、動きとしては様子見以上のことはしなかった。マリーがいかにして戦うのかを確かめるためだ。


「いくよ!」


 巨人が、マリーに照準を定めて拳を振りかぶる。が、マリーはまだ動かない。剛毅に固められた一撃が、風圧を伴って彼女の体を粉砕する……その直前。ふわりとステップを踏むと、拳の勢いを全て手前に受け流し、悠々とその巨体をよろめかせた。


 間違いなく、初日にやろうとしていた行動だった。知識としての武術を特訓によって引き出したのだろう。


「これがアイオライトの護身術! そして——!」


 脚のもつれた巨人の横顔に、柔らかな手のひらが触れる。そこに焦熱の光球が発生すると同時に巨人は慌てて身を捩ったが、もう手遅れだった。


「——"陽華ソーリエ"!」


 爆発にも似た光の飽和が、薄闇を眩く照らした。

 光の異能は堅牢な岩石の鎧をいとも容易く撃ち破り、その圧倒的な火力で巨人を沈めた。まだぎこちないところはあるが、初日の惨状からは信じられないほどの成長ぶりだ。ヒューズは思わず目を輝かせていた。


 しかし、のんびりと眺めていられたのもそこまで。動かなくなった巨人に歩み寄ったマリーが、まだ生き残っている敵がいるのにも関わらず、何やら祈りを捧げ始めたのだ。


「ちょっ、マリー後ろ……!」

「……どうか、安らかに……」


 やはりというか、感性がずれている。死した生命に祈りを捧げるのは人として善性極まるものではあるが、戦闘中の行動としては的外れだ。ヒューズは冷や汗を流しながら、迫る巨人に向けて飛び出した。


 空中に、視界を裂くような稲妻が走る。それは徐々に激しく高まり、巨人の頭上でちかちかと明滅すると、竜の逆鱗のように炸裂した。


「落ちろ、"嵐結アルゲス"ッ!」


 膨張した電撃が、轟音と共に降下する。

 巨人の脳天に吸い寄せられるような落雷は、着弾と同時にその体の隅々に行き渡り、全身の血管に至るまで焼き焦がした。いくら頑丈な魔族といえど、体内への攻撃に耐え切れるはずもない。そうして、地下に存在した魔族は完全に沈黙した。


「ふー……戦いっぷりはすごかったのに。なんだってそんなにのんびり屋なんだ」

「ごめん、ごめん。のんびりしてる訳じゃないんだよ? ただこうやってお祈りする習慣が体に染みついちゃっててさ」

「すごい敬虔さだなぁ……どんだけ上品な家で育ったんだか」


 両者息を切らすことなく会話を続ける。魔族の強さがそこまでのものではなかった、というのもあるが、ジンに叩き込まれた「魔族との戦い方」が想像以上に効果的だったのだ。異能を目一杯に活用し、魔族の急所を穿つ。それだけで、ヒューズたちは実力以上の戦闘能力を獲得していた。


「さて、上に戻らなきゃな」

「うん。みんなも怪我してなければいいけど」


 そう言って、崩れ落ちた瓦礫を足場によじ登る。

 一階に戻った二人が見たのは、地面に張り付いた氷塊と、立ち昇る炎上痕だった。ここでの戦いで、どれだけふんだんに異能が使われたかがはっきりと分かる。

 二人を視認したレインは血の付着した氷剣をかき消すと、穏やかな笑みで迎え入れた。


「やあ、無事でよかった。こっちもちょうど終わったところだよ」

「図体だけはでけェから期待したが、とんだ見かけ倒しだったぜ。話にならねえ」


 フレッドは消化不良といった具合に肩を回した。周囲には巨人の死体が転がっており、その体表には凍結や燃焼の跡が痛々しく残っていた。


「これで全部、かな?」

「そうだね、意外と早く終わった。先生に報告しに行こう」


 そう言って、四人は建物の外へと足を進めようとする。やり切った、という達成感の漂う空気の中では、次に聞こえた声はあまりに不釣合いなものだった。


「よく観察しろ。まだ魔族が残っているぞ」


 ぞっとするほど低い、押しこもった声。振り向くと、建物内の暗闇に溶け込むように佇む、黒いローブを纏った男の姿があった。


 辺りに緊張の糸が張り詰めた。風貌だけならそれは人に見える。しかし、本能に重く沈み込むような、不気味な威圧感が眼前にはあった。顔も、手も、肌らしいものは何一つ視認できなかったことが一層その感を煽った。

 自分を認識したことを確認すると、それは大儀そうに身動ぎしてから顔を上げた。鈍色の、暗い雨雲のような仮面が張り付いていた。


「……人間、だよな?」


 ヒューズは皆と顔を見合わせると、小声でそう言った。姿形はもちろん、その語り口には今までの魔族とは比べようもない「知性」が籠もっている。黒いローブという文化的な衣服を纏っているのも裏付けだ。しかし、「あれは人間だ」とは断定できずにいた。


「人間に見えるか。傲慢だな。知を持ち、文化を手にするのは人だけではない。——私は魔族だ」


 四人の神経が、一斉に研ぎ澄まされる。魔族と名乗った男はそれを見ても身動ぎ一つせず、仮面の奥に覗く紅い双眸でこちらを見据えるだけだった。


「少し、話がしたい」


 男はそう言うと、四人の顔をじっと眺めて頷いた。


「スラムの無法者、"夕立"の妹、財閥の第三子……そして、人狼を追う復讐者。良い顔をしている。信念を胸に抱いた、夢ある若人の顔だ」


 ヒューズは戦慄した。なぜ、目の前の魔族は自分について知っているのだろうか。仲間にも言ったことのない内容であった。「人狼を追う復讐者」。それが自分であることは間違いないが、それを魔族が知っているのは明らかな異常なのだ。


「今からでも遅くはない。アステリアを抜ける気はないか?」


 男は両手を開いて、確かにそう口にした。


「……おい、あの野郎なに言ってんだ?」

「分からない。分からないけど……敵意はない、ってことでいいのかな」


 フレッドとレインが、声を押し殺して会話する。四人の心情を一言で表すならば、「困惑」以外にないだろう。ただの悪しき獣だと思っていた魔族が、流暢に、学園を辞めろなどと語れば、そうなるのも当然だ。


「私の名はアルフェルグ。私は、お前たちが不憫でならないのだ。アステリアに口先だけの契約を交わされ、命を賭して『謎の敵』と戦わされる。ああ、不憫だ。そんな立場など放り棄て、今すぐ平穏な暮らしに戻れ」


 男——アルフェルグは、一つ論を上げた後、こちらを見つめて黙り込んだ。どうやら返答を求めているようだ。四人は少しの間視線を送り合うと、静かに頷いて次の行動を起こした。


「……何を言っているのか分からない。僕らは学園を辞める気はないよ。貴方が本当に魔族なら、今すぐここから立ち去るんだ。危害を及ぼさない魔族は、殺さない決まりになっている」


 代表としてレインが一歩踏み出し、毅然とした態度でそう言い放った。四人の総意であった。

「よく分からない」というのが、アルフェルグの言葉を聞いた感想を如実に表している。そんな戯言を聞き入れるつもりは無かった。


「そうか……」


 アルフェルグはゆっくりと俯き、もう一度顔を上げた。


「ならば、身を以て恐怖を教えよう。——何も、異能を宿すのは人間だけではない」


 背筋が凍る。全身が危険信号を鳴らしたときには、もう遅かった。


「——あ」


 一瞬。風の騒めきと共に現れたのは黒い刃だった。男の足元で蠢く『影』。そこから伸びた黒く、鋭利な凶器が、レインの胸元を刺し貫いた。

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