第11話 冥き死②

「う……ぁ……」


 血の塊を吐き、レインの頭がグラグラと揺れる。突き刺した黒い物体は蛇のように捩れながら引き抜かれ、波打つ影と同化した。


「そんなものか。お前の兄なら躱しただろうに」


 アルフェルグの言葉に、レインが脂汗を滲ませながら正面を睨みつける。傷口では、溢れた血液がその色を暗くしながら凍結しつつあった。


「レインちゃん!」

「レイン、胸を……!」

「……ハァ、だい、じょうぶ。傷は……氷で塞いだ。すぐには……死なないよ……」


 息も絶え絶えに、一言ずつ絞り出すように言う。氷で塞いだとはいえ、常人なら命に関わる傷なのは間違いない。それでも意識を保っていることが、異能力者の頑丈さの証明にもなった。


「それより……アレの正体が分かった……」


 レインはアルフェルグを睨み付け、恨めしそうに顔をしかめると、ゆっくりと言葉を繋げた。


「『最も多くの退魔師を殺した魔族』……「影」の異能を持つ、特級の危険生物だ……!」


 特級の危険生物。それが意味するところはつまり、「プロの退魔師に手配されながらもそれを撃退し続け、殺しを敢行し続ける魔族」だ。その一言だけで、ヒューズは眼前の敵が自分たちでは対処できない敵だと悟った。


「なんでそんなのがここに……!」


 困惑するヒューズらに対し、アルフェルグはこちらを見据えたまま追撃を仕掛けようとはしない。ここからどう動くかを考えるだけの猶予は与えられていた。


「……さて、どうする? そこの女はお前たちの中で一番の実力者だと見受けるが。大人しく私の誘いに乗るか?」


 煽るような言葉に、フレッドが脚を重く踏み出す。ヒューズはそれを静かに止めると、耳元で作戦を伝え込もうとした。


「邪魔すんじゃねえよ……一発ぶん殴らねェと気がすまねえ……!」

「ダメだ、冷静になれ! ここは逃げの一手だ!」

「逃げろってのか、俺に? 馬鹿言うな」


 今ここで最善の手は、レインを連れてこの場から離脱することだ。四人全員が健在ならまだしも、一人が重傷を負った状態で強敵を相手にするのは余りにも危険すぎる。

 しかし、フレッドは完全に頭に血が上っている。挑発に対する怒りよりも、仲間を傷付けられた義憤が燃え上がっているようだった。


「逃げるなら——テメェら二人で逃げやがれッ!」


 炎を噴出しながら、フレッドは飛び出した。アルフェルグが呆れたように首を振り、再び影を蠢かせたのを見て、ヒューズは額に汗を滲ませながら炎に続いた。


「くそ……! マリー! 今すぐ先生を呼びに戻るんだ! 俺たちが時間を稼ぐッ!」


 こうなれば、二人で「影の魔族」に立ち向かうほかない。フレッドの力を信頼していない訳ではないが、あの怪物を一人で相手するのは無謀だ。そう簡単に死なせるわけにはいかない。


「わ、分かった! レインちゃん、手を……」

「いい……僕は、ここに残る。死ぬ前に、助けを呼んでくれれば……いいからさ。——ヒューズくん!」


 マリーの手を払い、レインは最後の力を振り絞ると、創り上げた氷剣を投げ飛ばした。

 ヒューズは走りながらそれを受け取り、電撃を滾らせる。レインは静かに微笑むと、力尽きるように気を失った。


「っ……すぐに戻ってくるから!」


 走り去るマリー。足音を背後に確認しながら、ヒューズとフレッドは影に打ち克たんと互いの異能を放出した。


「くたばれ、陰気野郎ッ!」


 マグマのように煮え立った乱熱が、黒いローブを真っ赤に染め上げる。焼いてやった。フレッドはそう確信した。故に、目の前の光景に全身が慄いた。


「失礼。私の影は遮熱性でな」


 アルフェルグの周りに現れた漆黒の壁が、何の苦もなく炎を受け止めているのだ。「ヴァーダンの盾」をも超える防御性能。渾身の炎が直撃したというのに、男は熱帯夜を疎むような気安さで立っている。


 愕然としたフレッドに向けて、鋭い影刃が突き出された。


「"鳴斬エンクリシス"!」


 雷を帯びた氷剣が、眩く光を放ちながら影と衝突する。ぶつかりあったエネルギーは音に姿を変え、不協和音のような高周波を掻き鳴らした。


(重い……!)


 ぎりぎりと、剣が軋んでゆく。「斬る」という思考が自然と閉ざされるような、常識外の硬さだ。ヒューズが渾身の力を込めてなお、軌道を逸らすことが精一杯だった。


「その程度の力では、お前の追う人狼には指一本触れられまい。諦めた方が身の為だ」

「……! 知っているなら話してみろ。そいつを探し出すまで、俺は! 絶対に諦めないぞ!」


 再び、全力で斬りかかる。フレッドも共に殴り付けていたが、その悉くを無数の触腕のような影に妨害される。間合いには潜り込めるのに、間合いからの攻撃が届かない。それでいて、アルフェルグ本人は影の中心から一歩たりとも動いていないのだ。


「さて。そう易々と逃すわけにはいかない」

「何を——、っ!?」


 アルフェルグの一瞥と共に、先程とは比べ物にならない速度で、一閃の影が空気を裂いた。

 次の瞬間には、ヒューズの腹が、フレッドの肩が、認識できないままに貫かれていた。


「がああっ……!」


 二人が苦痛に身を悶えるうちに、アルフェルグの足元から飛び出した影は蛇のように地を這いながら伸び、建物の入口付近まで到達した。その先に見えるのは、必死で外へと駆けるマリーの姿だ。影は無慈悲にもマリーの足首に絡み付くと、猛然と元の位置まで引き摺り始めた。


「あうっ!? ま、って……!」


 何度も地面で跳ねながら、マリーが引き戻される。そして影はその身体をアルフェルグの眼の前で逆さ吊りにすると、そのまま固定した。


「マリー・アイオライトか。お前の存在が最も不可解ではあるな。力を求められたとはいえ、お前に魔族と戦う理由は無いはずだ。お前はなぜ戦う? なぜ父母の栄光に縋らない?」


 マリーは一瞬怯えたように体を縮めたが、すぐに持ち直すとその善意の溢れ出る顔を無理に強張らせ、必死にアルフェルグを睨み付けた。


「みんなを傷付けるような酷い人に、そんなこと聞かれても答えたくないよ! 私はね——持って生まれた力を! 人の為に使いたいだけ!」


 空中にぶら下がったまま、マリーが両腕を構えて光球を展開する。その溢れ出る熱量から、初日に見せた光砲と同じものだと分かる。全力の攻撃を、今ここで使い切ろうというのだ。

 それをしたとして、状況が変わるかは分からない。むしろ悪化するかもしれないし、マリー自身の突飛な行動なのかもしれない。しかし、「彼女には賭ける価値がある」。ヒューズはそう直観した。


「ぐ……フレッドォ! まだ行けるか!」

「当たり前だ!」


 アルフェルグは仮面の奥で眼の色を変え、マリーに影の刃を差し向けようとする。それが彼女に届く前に、二人が間に割って入った。

 身代わりとなった二人の服が、鮮血に濡れる。朦朧としつつも、滾る炎が、迸る雷が影を伝い、ローブの中の「本体」を僅かに怯ませた。


「——"弩級砲フレア"!!」


 少女の細胞一つ一つから活力を吸い上げ、太陽が如き熱光が放たれる。凄まじい光が男を包み込み、影が解け、マリーの体が落ちた。


「うあああああっ!」


 影とぶつかり合う光が、一瞬のうちに反力を生む。その間隙を縫い、マリーは両足で黒壁を蹴り込むと、流星のように宙を駆けた。

 マリーの、刹那的な判断だった。浮いた体はまっすぐに建物の入り口へと向かい、尾を引いて舞い上がる。その先には、普段とは別人のような鋭い眼光を覗かせる、対魔族能力科の教師——ジンの姿があった。


 ジンは枯れ木のように萎んだマリーの体を受け止めると、その場にゆっくりと降ろし、建物の奥に目をやった。

 弩級砲フレアによって灰塵と化した地面。血を流して倒れ込む、フレッドとヒューズの姿。そして瓦礫の中から、煤けたローブを引きずって現れる、深淵を切り取ったような影の姿。

 アルフェルグは、紅い双眸をジンに向けると、静かに仮面を付け直した。


「——よう、"黒影"のアルフェルグ。何の用だ」

「ブレンハイム。お前を殺しに来た」


 掛け合いの中で、ジンは携えていた袋を紐解き、ゆっくりと鈍銀の刀身を現した。

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