第9話 実戦投入

 ——ある地区の閉鎖された施設に足を踏み入れた者が、次々と行方不明になっている。魔族が関与している可能性が高い。

 ジンに知らされた概要は、大まかにこのような具合だった。被害者の数から急を要する事態ではないため、出撃許可には時間がかかるらしい。前もって準備を整えられる分、ヒューズたち新人にとっては良い実践の機会だと判断したようだ。


 与えられたのは、五日の訓練期間。現場の検証も退魔師の仕事であるため、どんな魔族が相手になるのかは分からない。しかし、五日という時間は、四人の力を底上げするのには十分な長さであった。


 基礎体力向上、戦闘知識の学習、新たな技の開発を繰り返し——そして、出撃の日が来た。


「着いたぞ」


 ヒューズたちは、隣町の工業街に訪れていた。空には灰色の雲が立ち込め、不穏に緊張感を煽っている。初日のような、「訳もわからず戦わされた」ものとは違うのだ。人を襲う魔族と、正式な許可を得て戦う。十五、六の少年少女にとっては、かなりのプレッシャーであるのは間違いない。


「……これ、何年前の建物ですかね?」

「具体的には分からんが、かなり古いな。オカルト染みた噂もあるみたいで、取り壊しも先送りなんだと」


 眼の前にある目的地は、大きな工場跡のようだった。稼働している様子はなく、ところどころに露出した鉄筋が錆び付いている。唸り声のような風の音が、その不気味さを引き立てていた。


「今回はお前らだけじゃなく、本職の退魔師も作戦に参加してる。もしもの時のバックアップは任せてあるから、そんなに心配するな」


 バックアップということは、やはりメインで動くのは生徒達のようだ。しかし大人が味方に付いているのは心強い。ヒューズは静かに深呼吸すると、勇ましく顔を引き締めた。


「よし、行くぞ!」

「おー!」


 勢いの良い掛け声に、マリーが元気に続く。

 フレッドもレインもさして緊張はしていないようで、一方は拳を鳴らしながら、もう一方は神妙な面持ちで足を進めた。


 四人が足を踏み入れたそこは、元々が工業施設だとは思えないほどに陰鬱で、冷え切った空気の流れる場所だった。塗装も看板も剥ぎ取られた、コンクリートの空間が広がっている。あちらこちらに不自然な岩が散乱している様は、灰色の荒野と形容できた。


「……やけに埃っぽいね。随分風化してる」

「ガレキまみれでぐちゃぐちゃじゃねえか。地震でもあったのか?」


 確かに、不自然な崩れ方ではあった。まるで重機に掘り起こされたようだ。それでいて倒壊に至っていないのだから、何か作為的にも思える。


「まァそれはどうでもいい。とにかく魔族を見つけてブッ殺せばいいんだろ? さっさとやろうぜ」

「もっと警戒しろよ。初日の魔族で学んだだろ? 無闇に燃やして死ぬような相手じゃないって」

「うるせえぞ静電気野郎! この腰抜け!」


 自信家で好戦的なフレッドと慎重派なヒューズはやはり少し相性が悪く、最早互いが何か言うたびにいがみ合うのが恒例のようになっていた。ただ険悪なムードになるのではなく、女子二人が笑って和ませてくれるのが幸いではあるが。


 それはともかくとして、不気味なほどに生物の気配がない。未だ魔族の一体も見付けられずにいると、マリーが何かに気付いたように声を上げた。


「ん……? ねえみんな! これ見て——」


 異変が起こったのはその時だった。

 何かが崩れるような轟音と共に、建物が激しく揺れる。同時に砂塵が舞い上がり、視界を真っ白に染め上げた。

 突然の出来事に、皆が唖然とした。


「な……」


 視界が開けると、マリーが消えていた。


 もうもうと舞う灰色の砂塵に顔を背けて息を止め、ヒューズは血相を変えてその発生源へと駆け寄る。そこには、錆びた鉄筋を露出させる陥落の跡があった。大穴を覗き込むと、何か巨大な影が蠢いているのが見える。マリーの息遣いも微かに聞こえていた。


「下だ! 床下に空間がある!」

「降りよう! マリーを助けに……うっ!」


 再びの地響き。揺れが収まる間も無く、その発生源は姿を現した。


「だれだ われらのねむりを さまたげるのは!」


 鉄を擦り合わせるような声音と共に、レインの足元から岩塊が迫り上がる。人の手の形をしたそれは三人に明確な敵意を持って襲いかかり、一帯を薙ぎ払った。


「こいつは……!」


 岩塊が起き上がり、甲殻類の節のようにひび割れる。それは鈍重な仕草で立ち上がり、砂埃を散らしながら、屹立する巨人となった。

 当然と言うべきか、一体だけではない。彼らの前に無慈悲に立ちはだかったのは、四つの巨体だった。


「チッ、岩に隠れてやがったのか!」

「ヒューズくん、ここは僕らに任せて! 君はマリーの方を!」


 フレッドが灼炎を手に滾らせ、レインが氷の剣を構える。レインの言葉を受けると、ヒューズはその場を彼女らに託し、即座に地下へと飛び降りた。


「マリー!」


 薄闇の中で、岩石がぶつかり合う音だけが大きく響き渡る。あの巨人が地下に、それも複数存在することは間違いなかった。


「う、ぐぬ……! 離してよ、この……!」


 マリーの呻きが聞こえる。音の方へ顔を向けると、一体の巨人がマリーの体を鷲掴みにし、今にも握り潰さんと力を込めているのが目に入った。


「やばい……!」


 攻撃の威力を見るに、あの魔族の腕力は人とは比べ物にならない。か細い少女の体一つ、簡単に捻ってしまうだろう。ヒューズが血相を変えて走り出したその時、マリーの叫び声が地下に轟いた。


「離してってば! もうッ!」


 次の瞬間、巨人の手の隙間——正確にはマリーの体から、眩い橙色の光が漏れ出した。光は瞬きのうちに爆発的にその熱量を増すと、岩石を纏った掌を焼き砕き、ボロボロに瓦解させてしまった。


「げほっ……し、死ぬかと思った……!」


 締め付けから解放されたマリーが、咳き込みながら膝をつく。僅かに顔が白くなったようにも見えるが、遠目には気付かない程度の変化だ。強烈な異能を使用したにも関わらず、気絶することはなかった。


「マリー! 無事か!」

「大丈夫! ちょっと苦しかったけど、それだけ」

「体力は? また倒れたりしないか?」

「ふっふっふ、ちゃんと訓練したからね! 全部使い切っちゃわないよう加減したよ!」


(……あの威力で手加減か!)


 やはり、異能の火力だけが突出している。改めて感嘆していると、辺りの巨人たちは地面を叩き鳴らしながら怒りの咆哮を上げた。


「ここは われらの なわばりだ」

「でていけ!」


 片言じみた言葉を紡ぎ、二体の巨人が猛然と突進してくる。ヒューズとマリーは互いに戦闘態勢に移ると、熱光と雷撃をその手に溜め込んだ。


「戦闘、期待してもいいのか?」

「任せて! 先輩に死ぬほど叩き込まれたからね」


 命を賭けた戦いの前とは思えない、穏やかでのんびりとした空気。マリーの持つ雰囲気を塗り替えるような呑気さが、ヒューズの精神をほどよく綻ばせていた。


「よーし! 頑張ろう!」


 マリーの朗らかな掛け声が、鉄筋に染み渡るように反響した。


 * * *


「もしもし、俺だ。……ああ、今一年生の——何?」


 建物の外で、ジンが一人電話を取っている。曇天からは少しずつ雨粒がこぼれ落ち、地面を暗く色付けていた。


「確かに観測したのか? ……分かった。ああ。そう伝えておいてくれ」


 通話を終え、ジンは暫し目を瞑ると、顔をしかめながら空を仰ぎ、呟いた。


「……最悪のタイミングだな——」


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