第7話 親睦・晩餐会
雷槍と氷盾の衝突。それは一瞬のうちに莫大な光へと転じ、一帯を白く染め上げた。白む視界と炸裂音の中で、びしり、と何かが致命的に崩れるような音が響いた。
そして晴れた目に映ったのは、大きく抉れ土を露出させた、見るも無残な訓練場だった。
氷盾は砕け散り、辺りに結晶が煌めいている。
レインの姿はなかった。
(——いない!?)
盾を破壊した喜びに浸る間もなく、周囲の気配に気を尖らせる。ヒューズが察知したのは、頭上から迫る強烈な冷気だった。
頬に擦り傷を付けたレインが、巨大な氷の剣を振りかぶりながら降下してくる。研ぎ澄まされた透明な刃が灯りを反射し、麗しい水色に輝いた。
「——"アドミールの"……!」
氷山にも似た質量が、ヒューズを両断する——と、その時。
「レイン。ストップだ」
ジンの静かな、それでいて鈍重な声が届く。瞬間、氷剣は僅かに軌道を逸らし、ヒューズの真横に着弾した。人工芝の貼付が揺らぎ、寒風と共に霜が降りた。
「……あ、あぶなっ……!」
心臓が今になって跳ね動く。完全な決定打だった。「死なない程度」とは言っていたが、あれを脳天に喰らえばただでは済まない。例え命が助かっても、後になにが残るか知れたものではない。
レインはゆっくりとヒューズに向き直ると、服に着いた土埃を払い、穏やかに笑った。
「ごめん。ちょっと熱くなりすぎた。……『
「あ、ああ。当たってないからまあ良いけどさ。それにしても凄いな、盾に槍、剣まで作れるのか」
「……ふふ、やっぱりマイペースだね。結構本気で当てに行ってたんだよ? 怒鳴られる覚悟はしてたのに」
レインは盾を撃ち破ったヒューズを賞賛し、ヒューズはレインの見せた底知れない異能の活用を讃えた。先程までの熱は既に消え、同じ志を持つ友人としての関係が生じていた。
「惜しかったな、ヒューズ。正直ボッコボコにされると思ってたけどよ」
ニヒルな笑みを浮かべながら、ジンが二人に歩み寄る。その岩のような手で双方の頭に手をやると、わしわしと力強く撫で回した。
少し痛かったが、暖かで、喜ばしい気分だった。
「ま、無学でレインに肉薄するだけ大したもんだ。この先の授業で、すぐ追い付かせてやるからよ」
「へへ……ありがとうございます」
照れ臭そうに鼻を掻き、小さく俯いてみせる。穏やかな雰囲気のまま授業が終わると思ったが、そう上手くもいかない。黙りこくっていたフレッドが突然立ち上がり、意気揚々と叫び出したからだ。
「おい雪女! 次は俺とだ! お前の頼みは聞いてやった、もう待ってられねえ!」
「雪女じゃなくてレインだよ。……それに、またやっても結果は同じじゃないかなあ」
「うるせえ! 昨日のはたまたま油断しただけだ! 今度は俺が勝つ!」
フレッドは昨晩、レインと戦っていた。経緯はヒューズに戦いを仕掛けた時と同じようなものだったが、レインの氷に右手を何度も凍結させられすぐ決着は付いた。その時に「明日の邪魔だけはしないで」と誓約を結ばされたのだ。
「なんだ、その怪我やっぱりレインにやられたのか! はっは、お前のケンカ癖にゃいい薬じゃねえか?」
「うるせえ!」
殺伐としつつも、和気あいあいと盛り上がる。全員の心が通うことはなくとも、一クラスとしての纏まりが強まった授業であった。
——第三訓練場に赴いた、マリーを除いて。
* * *
夜。ヒューズとレインは、学園の食堂へと足を運んでいた。熾烈な授業の後完全に打ち解けた二人は、「せっかくだから食事でも」と夕食の約束をとりつけたのだ。
フレッドにも声を掛けていたが、「誰がお前らとメシなんて食うか」と反発され、結局二人での移動となった。
そして……
「なあ……あれって」
「マリー、だね。うん。マリーだ。朽木みたいになってるけど間違いなくマリーだね」
食堂へ続く廊下で、杖をつきながらよろめく少女……青白くやつれた顔をしたマリーと再会した。
「おーい、大丈夫か」
「ああ……ヒューズと、レインちゃん……お疲れさま……」
「お疲れさまはこっちのセリフだよ。何があったんだい、そんなになるまで」
「す……スパルタが……ロシェ先輩の……」
ロシェ。マリーが向かった訓練場にいるという人物だ。教員の誰かと思っていたが、どうやら先輩にあたる生徒らしい。そしてマリーがこうも萎れるということは、気絶寸前まで光の異能の制御練習をさせたのだろう。
「せっかくだしさ……みんなでご飯食べようよ……もう、お腹が空いて……意識が……」
「わ、わかったわかった。レイン、先になんか注文しててくれ。俺はマリーを担いでくからさ」
レインに料理を頼み、マリーに背に乗るよう促す。マリーは消え入りそうな声で「ありがとう」と言ってもたれかかった。まさしく枯れ枝を乗せたような軽さであった。
そして少し経って、料理と共に席に着く。マリーに差し出したのは、野菜を柔らかく煮込んだシチューだった。
「弱ってる時はまず暖かいスープで胃腸をならすんだ。ゆっくり食べるんだよ、マリー」
「ありがと〜……」
マリーが頬を緩ませ、上品にスプーンを口に運ぶ。
次の瞬間、シチューは皿から消えていた。
「ん?」
「え?」
「おかわり〜……」
ヒューズはしばし硬直した後、レインと顔を見合わせた。レインも目を見開いていた。
「……あれ? 消えたよな? 今シチュー消えたよな」
「消えたね。よかった、幻覚じゃなかった」
「いやよくないだろ。おかわり〜ってことは食べてるぞ。一瞬で食べ切ったんだぞこれ」
困惑しながらシチューを再注文し、マリーの元へ運ぶ。少し血色の良くなった唇がスプーンに触れると、またしても皿は空っぽになった。
「ふー……このシチュー美味しいね! 元気が湧いてくる感じ」
マリーはいつの間にかハリのある艶肌を取り戻し、天真爛漫に笑みを振りまいている。そうして席を立ち、注文口で何かを申し付けると——
山のように積まれたバゲットを運んできた。
「……マリー? それ全部食べるのかい?」
「ん? もちろん! 私バゲット大好きなんだ!」
マリーはそう言いながら、これまた上品にバゲットをちぎり、一口ずつ、よく噛みながら食べていく。しかしどうしたことか、手の動きと皿の上のバゲットの量が噛み合わないのだ。溜めた水を流すように、あるいは砂の山を掻き崩すように、みるみるうちに消えていく。今まで見た何より異様な光景に、レインとヒューズは絶句した。
「……ふう。どうしたの? 二人とも、自分の料理食べないの? 冷めちゃうよ」
マリーの体調はすっかり回復している。萎れた花に水をやったような変貌具合であった。
「……わかったぞ」
「なにが?」
「マリーの異能! あのエネルギーの正体は『食事』なんだ!」
「少女の肉体にあんなエネルギーがあるものか」
と以前考察したが、やっと納得のいく答えが出た。マリーの異能の莫大な熱量は、信じ難い量の食べ物、つまり栄養から来ているのだ。身体中の養分を使い果たすというならば、使用後枯れ果てるのにも合点がいく。
「そ、そんなバカげたことが……」
「でも仮説としては成り立ってるだろ? ……いやまさか、パンにあんなエネルギーがあるとは」
「……なんの話かよく分からないけど、食事は大事だよ! 一日三食もりもり食べる! それが毎日の活力だからねっ」
明るく言い放つマリーに苦笑すると、レインは「食べても太らないって意味では、羨ましい力ではあるね」と冗談を言い、自分の食事に移った。
「ね、ところで! レインちゃんとヒューズの試合、どっちが勝ったの?」
「僕の勝ちだよ。圧勝」
「な、圧勝ってこたないだろ! 接戦の末の敗北だった!」
賑やかな食堂に、三人の声が響き渡る。
魔を払う力を秘めた戦士たちの心が、暖かに融けあった一日であった。
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