第2話 魔族との邂逅

「アステリア」。人知を超えた異能をもつ者が集められるこの学園は、そう呼ばれている。同じ年に生まれた十五、あるいは十六歳の能力者を加入させる、表向きは高等学校として機能している国営組織である。

 能力者の持つ異能の種類は多岐に渡る。傷を癒す、透明になる、宙に浮かぶ……そんな幻想じみた力をもった生徒を大きく四種に分け、国益のために教育、研究するのが主だった目的だ。

 中でも炎や雷を操るような、極めて攻撃性の高い異能をもつ希少な生徒たちは、四種のうちの一つ、戦闘部隊に充てられる。対象は、ただの人間では倒せない、同じく常識の埒外に存在する"人喰い"生物。


 ヒューズやフレッドは、言うなれば「怪物を殺す怪物」の卵なのだ。


「そういや名前言い忘れてたな」


 長い廊下を歩きながら、教師を名乗った男は間の抜けた声を上げた。横目に見える人工庭園はさながらスペースコロニーのようで、薄水色の天井には雲を模した投影がなされている。

 学園アステリアは地下空間に存在した。


「俺はジン・ブレンハイム。"剣"の異能力者だ」


 剣の異能力者。そう聞いて、ヒューズはやはり、と頷いた。ジンが差している見慣れない刀剣は、今の時代に使うにはあまりに古臭く、時代錯誤なのだ。儀礼用の軍刀ならまだしも、この大太刀は伊達で帯びるものではない。「剣」に関する何らかの能力を持っていることには納得がいった。


「剣の形が変わったりするんですか?」

「いやあ、そんなに派手じゃない。ただちょーっと刃物の切れ味が良くなるだけの異能だな」

「切れ味が良くなる……?」


 首を傾げるヒューズをよそに、フレッドはわざとらしく舌打ちをすると、「はぐらかしやがって」と悪態をついた。どうやら、ジンとフレッドにはある程度の面識があるようだ。


 そうして話すうちに、一行は階段を二つ上がり、学園の玄関口に到達し、目的の場所である「外」に辿り着いた。眼前に広がるのは屹立するビル群と、アスファルトの道を忙しなく行き交う人々。巨大な都市の姿であった。


「おう、マリー! 待たせたな!」


 外へ出るなり、ジンは人目を憚らない大声と共に手を振った。その先には、制服を初々しく身につけた、一人の少女の姿があった。


「先生! と……あなたたちは同級生だよね?」


 マリーと呼ばれた少女が、薄茶色の髪をふわりと揺らしながら振り向く。大きな瞳に華奢な身体、そして人の良さを満面に振りまく笑顔には、とても「魔族殺し」として選ばれたとは思えない可憐さがあった。

 マリーはと歩み寄ると、ヒューズとフレッドの手を握り、思い切り上下させた。まるで遠慮のない握手だった。


「私はマリー。マリー・アイオライト! よろしくね! 仲良くしてね!」

「あ、ああ。俺はヒューズ。よろしく……」


 溢れ出る善意の勢いに気圧されつつも、ヒューズは笑顔で握手に応じた。フレッドの方は何か言いたげに眉をひくつかせていたが、この空気で手を払えるわけもない。吐き捨てるように名乗ってそっぽを向いた。


(この子も異能力者……なんだよな?)


 腕の振りからは強靭な筋肉は感じられず、攻撃的な性格でもない。肌には傷や痣一つない。さながら世間知らずの箱入り娘、と言った彼女が、なぜ対魔族能力科として選抜されたのか、全く見当がつかなかった。

 とはいえ、悪い気はしなかった。今まで同年代との付き合いがまるでなかったヒューズは、初めて「友人」として明るく振る舞える人物に出会えたような気がした。


「あれ? レインはどこ行った」

「あ、レインちゃんは他の先生にお呼ばれして……しばらく戻れないって言ってました」

「そうか。まああいつにゃ必要ない授業だしな。顔合わせはまた今度だ」


 今期入学の対魔科は四人。どうやら四人目の生徒は不在のようだ。


「行くぞ。ついてこい」


 ジンがまた足早に歩き始める。人の波を掻き分けて歩道を進む途中にも、マリーは嬉々として質問を投げかけてきた。


「出身はどこ? 好きな食べ物は? 私はパンが好きなの! シンプルなバゲットが美味しいんだよ! 音楽とか聴くの? クラシック?」

「質問のテンポが速いよ! ええと出身はだなあ……」


 矢継ぎ早の質問にたじろぎながらも、ヒューズの顔は自然と明るくなっていた。フレッドに襲われたときはどうなるかと思ったが、喧嘩に明け暮れる日々にはならなさそうだ。

 当のフレッドも質問攻めに遭っていたが、「うるせえ!」の一言でマリーは怯み、「また今度質問させてね」と締め括られて会話は止まった。


 ちょうど、ジンが足を止めたあたりだった。


 ビル街の隙間を縫うように進み、いつのまにか落書きやゴミの目立つ裏路地に着いていた。周りの建物には灯りがなく、どうやら廃ビルと化しているようだった。


「この辺でいいだろ」


 困惑した様子で周囲を見渡すヒューズらをよそに、ジンは煙草に火をつけ、のんびりと一服していた。しなびた中年男性の手本のような姿だった。


「あの、先生……特別授業っていうのは?」

「まあまあまあ待てって。すぐさま……そら。獲物が寄ってきたぞ」


 ジンが静かに口角を上げた直後、三人は場の空気が急激に淀むのを感じ取った。人の世とは相容れない瘴気が辺りに満ちるような、生理的な不快感に襲われた。


「——っ! みんな、上!」


 マリーの声で頭上に目をやる。そこに、異物の正体があった。

 薄汚れた濃緑の皮膚に、焼け爛れたように脂肪と皮を垂れ下げた顔面。そして空に浮かぶ、鋭く剥き出されたの牙。それらが、降りかかる人型が紛れも無く「魔」である事を、本能的に感知させた。

 くすんだ黄色の涎を垂らしながら、怪物がヒューズの脳天に爪を振り下ろす。粗雑で、恐ろしいほどに有効な攻撃だった。


「……うおッ!」


 間一髪で身を翻し、即座に臨戦態勢に移る。べちゃ、と着地した怪物は、血走った眼をヒューズたちに向けると、喉を掻き潰したような濁声を上げた。


「肉、肉、肉だ。肉だ。わかい、肉だ。みっつも」


(ただの獣じゃない。喋るだけの知性がある!)


 ジンは呑気に伸びをしながら、メモ帳を取り出しペンをかまえ始めている。この状況で、教師として三人の力を見ようというのだ。


「それが魔族。高い身体能力と捕食本能、残虐性を持つ怪物だな。ちょっと戦ってみてくれ」


 危機感のない態度に唖然としつつ、魔族に注意を向ける。右手に稲妻を構えて威嚇すると、魔族はより呼吸を荒くし、興奮した様子で飛びかかってきた。


「行くぞ!——」

「オラ邪魔だビリビリ野郎! どけッ!!」


 動き出す瞬間、後ろから突撃してきたフレッドに突き飛ばされた。フレッドは魔族よりもさらに昂った様子で笑いながら、灼熱の炎を纏った拳を突き出し、魔族の顔面を殴り飛ばし……


「燃え尽きろ!」


 追い討ちに、視界を染め上げるような大規模の火炎を放出した。


「ハッ、全然大したことねえじゃねえか! 見たかジン! 俺を止められる奴なんざ——」

「おーい、気ィ付けろ」


 高笑いするフレッドの側に、影が現れる。

 ビルの隙間から飛び出したのタックルはその体を捉え、フレッドをコンクリートの壁に叩き付けた。


「いっ……てえええッ! もっと早く注意しろやボケ!」


 壁にめり込みながらも「痛い」と声を上げるフレッドの頑丈さに驚嘆していると、ヒューズの目の前にも緑色の人型が姿を現した。同一種の、三体目の魔族だった。


(あんなパワーの奴が三体、しかも初戦闘で! こっちが三人とはいえ……!)


 魔族の攻撃を躱し、一息に電撃を浴びせかける。悲鳴と共に身体を痙攣させた魔族だったが、一つ吠えるとまた牙を剥き、威嚇なのか地団駄を踏んだ。


 と、その時。ヒューズの視界の先——フレッドの残り火の奥から、煤まみれの一体目が動き出した。


「おいフレッド! まだ生きてるじゃないかよ!」

「ああ!? うるせえよ! 一撃で終わったら味気ねーだろうが!」


 それぞれの対処に追われる二人の傍をすり抜けて、一体目の魔族は駆けていく。その先には、身体を縮めて動かない、マリーの姿があった。


「そっち行ったぞ!」


 魔族を視認したマリーの顔が青ざめる。足は震え、目は泳ぎ、口元が波打っていたが、頬をはたくと一転、覚悟の宿った、真剣な眼差しになった。


(一体、どんな異能を……!)


 体勢を整え、両脚の間隔を開ける。なんらかの武道の構えであった。

 そして魔族との距離が極限まで近付いた、その時。


「ぎゃあっ!」


 ……マリーは、何をするでもなく、殴り飛ばされた。

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