第3話 才気の証明

「……えっ」


 膝をついてうずくまり、涙声を混じらせながら呻くマリーに、ヒューズは思わず頓狂な声をあげてしまった。


「い……痛い。すごく痛い……ううう……」


 構え自体は素人のものではなかったはずだ。何らかの型に沿っているのは間違いない。それなのに、一切対応することができなかったのは……


「なにやってんだあの女? 喧嘩とかしたことないんじゃねえのか」


 ……フレッドの言葉のまま、彼女が見た目通り、戦いと無縁な存在だった。と、そう結論付けざるを得ないものだった。


「肉、肉、肉! ごちそうだ!」


 魔族が舌舐めずりをし、マリーに喰い掛からんと牙を剥く。

 マリーは未だ起き上がらない。あまりに無抵抗な有様にヒューズは心臓をより強く脈動させると、勢い任せに雷を滾らせた。


「邪魔だッ!」


 眼前の敵を蹴り飛ばし、顔面を踏んで跳ねる。絶命には至らないものの、ナイフのような雷撃を帯びた烈脚はそれの行動を縛るには十分だった。


 足の速さには自信がある。この程度の距離なら、踏み込み一歩で足りる。より疾く、より強く、最大の一撃を。

 瞬き一つのうちに、ヒューズの身体はマリーのすぐ傍へと移っていた。


「——"飛雷トートルド"!」


 空中での上段蹴りが、白雷を放って突き刺さる。開かれた大口を焦がしながら、魔族の顔が潰れていった。上顎骨が小気味よく砕ける音がした。


「……っ、マリーさん! 何してるんだよ!」

「ご、ごめん、ありがとう。……あ、呼び捨てでいいよ?」

「呑気か! 死ぬとこだったんだぞ!?」


 マリーはそれを聞いて頷くと「死ぬかと思った」と胸を撫で、感謝の意を込めた笑みを投げかけた。

 やはり、どこか浮世離れしている。普通の少女とも思ったが、全く別だ。決定的に『危機感』が欠如している。ヒューズは頭を抱えた。


「ていうか、異能は? 戦闘向きの力を持ってるんじゃないのか? じゃなきゃ対魔科に選ばれた理由が……」

「も、もちろんあるよ! あるけど、ここで使ったらダメだと思うの」

「訳がわからん!」


 そうして話している間にも戦局は進む。放置していた魔族、それに『飛雷』を喰らった魔族もよろめきながら動き出し、ヒューズたちに向かってきたのだ。


「嘘だろ、まだ動くのか!」


 フレッドと組み合っている個体も、コンクリートさえ泡立たせる炎を何度も浴びながらも動きを止めない。「魔族」と呼称するにふさわしい、驚異的な生命力だった。


「クソがっ、いい加減死にやがれ……!」

「肉! 肉! くわせろォ!」


 食欲に突き動かされ、涎を待ち散らしながら叫び続ける。そのおぞましい姿は、戦いに飢えるフレッドの肌をも粟立たせた。


「そうだ、先生! こいつら、何か弱点とか……」

「あるけど教えない」

 

 ジンからは一言。それだけだった。


「上等じゃねえか、死ぬまで殴ればいい話だろ! おい電撃白髪! 女々しいこと聞いてんじゃねえ!」

「なんだとこの脳筋! 喧嘩じゃなくて狩りなんだぞ!」


 魔族の攻撃を捌きながら、子供じみた口論を交わす。はたから見ればこれも十分な呑気であったが、当人は至って真剣だ。合間合間に全力で攻撃を叩き込むが、魔族は怯みはすれど絶命することはない。有り体に言って、手詰まりだった。


「ど、どうするの?」

「どうするもこうするもないだろ! あんたの異能でなんとかならないのか?」

「なんとか……ううーん……」


 ヒューズの陰で攻撃を凌ぎながら、マリーが意味ありげな唸り声を上げる。手が無いことはないようだが、何か踏み切れない理由があるのだろう。

「何でもいいから言ってみてくれ」と、そう口に出しかけた、その時だった。


「……あー、学園うちの権力は大層なモンでな。建物程度ならすぐ直しちまうんだ。街で騒ぎになっても、これもすーぐ収めちまう。魔族討伐のアフターケアはお手の物ってな」


 ジンが目を明後日の方向にやりながら呟く。突然何を言い出すのか、と疑問が脳を掠めたのも束の間、その意図はすぐに理解できた。


「だから、まあ。つまらんことは気にしなくていいぞ。マリー・アイオライト」


 振り向くと、マリーが目を大きく見開いて納得したように頷くのが目に入った。

 ヒューズはまた困惑した。まさか、それが異能を使わない理由だと言うのか。町の破壊、人々への迷惑を危惧していたのか。だとしたら、やはり彼女はとんでもなく常識外れ……いや、この場で一番"常識"を弁えた人物だと言える。


(……それよりも、マリーの力はつまり……)


 マリーはその場で足を止めると、仁王立ちのまま深く息を吸い、ゆっくりと両腕を構えた。


「……うん、それなら心配なし! みんな、ちょっと離れててね!」


 マリーの体から、暖かな光が漏れ始めた。

 真っ直ぐに突き出した両手の先には、日の光を一点に集めたような、半身を覆い隠すほどの眩い光球が浮かび、焼き付くような熱を散らしている。


「あ……? なんだ、この光……」


 フレッドが思わず力を緩めると、殴り合っていた魔族はフレッドを弾き飛ばし、怯えるような声を上げて駆け出した。残りの二体も同様だ。光球を見るなり真っ先に踵を返し、よたよたと逃亡を始めた。


「射程OK、照準……多分OK! 充填完了……」


 マリーは歯を食いしばり、金色掛かった大きな瞳に、魔族の後ろ姿を見据えていた。自身の恐怖心を押し込めるように、息を短く、そして強く吸い込むと、光球はより激しい閃光を瞬かせた。

 なびく髪の毛が、黄金に煌めいた。


(この光……圧力……熱量! まるで太陽の……!)


 空気が乾く。


「ごめんね——」


 静かな謝罪の声。三体の魔族、人知れず幾多の命を奪った悪鬼たちへの、せめてもの祈りだった。


「——弩級砲フレア!!」


 一瞬の無音が弾けるように、少女の叫びが放たれた。同時に光球は一筋の光となって、しかし先程とは比べ物にならないほど極大の直線を描き、土が焼け焦げる音、鉄を撃ち抜かんとする音、空気を膨張、炸裂させる音……数々の轟音を重ね合わせ、鼓膜を顫動させた。

 ヒューズは必死に耳を抑え、あまりの光に目を細める。すぐ隣を突き抜けたそれの威力を、彼は肌を突く焦熱で実感した。


 ようやく光が収まると、変わり果てた光景が目に飛び込んで来た。マリーを起点に床は大きく抉れ、巻き込まれた建物の瓦礫が辺りに散乱し、斜めに焼き貫かれた廃ビルに覗く豪快な大穴からは、暖かな陽の光が射し込んでいた。

 当然、魔族の姿はない。血も、骨も、悲鳴さえも残さず消滅していた。


「は、……冗談じゃねえ。あの女は、確実にだ。体の動かし方で見え見えだ。……なのに、あの異能は……あれだけは」


 フレッドは引き攣った顔で笑っていた。あまりに荒唐無稽だったのだ。いや、目の前に実証がある以上、こう言い表すのは語弊かもしれない。しかし、それほどにデタラメなのだ。


 戦闘経験もなく、戦場にまるで似つかわしくない日輪のような精神性を獲得し、闘争心の削がれた、平穏そのものの環境で生まれ育った、一人の少女。

「形だけ」の武術と、規格外の"光の異能"。ただそれだけを買われ、対魔族能力科に選抜された者。


「うん。……がんばった!」


 それが、マリー・アイオライト。

 アステリアに選ばれた、三人目の能力者である。

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