アステリアの白雷

東 京介

一章 異能学園アステリア

第1話 白雷と灼光

 何故自分は学校の廊下で、それも入学した当日に燃やされようとしているのだろうか。爆裂する火炎が白い髪を揺らし、ヒューズ・シックザールは困惑した。希望に満ちるはずだった学園生活は、予期せぬ災難で幕を開けた。


「早く見せろよ腰抜け、骨ごと燃やしちまうぞ」


 目の前では、狂気的な笑みを浮かべた少年が挑発するように右手を遊ばせている。指先に灯った炎が、不規則に揺れていた。


「落ち着けって、何かの間違いだ! 俺は君と戦うつもりはない!」

「間違ってねえよマヌケ。つまんねえこと言うんじゃねえ!」


 ヒューズは必死に訴えたが、少年は聞き入れようとしない。血の気が多い輩はスラムで腐るほど見てきたが、まさかここで初めて出会った人物がその類だとは思いもしなかった。この学園の常識なのだろうかと考えると、行く末の不安が押し寄せてくるような気分になる。


「売られたケンカくらい買ってみせろや」


 赤光が少年の腕全体に広がったかと思うと、それは大きく燃え上がり、獣のように鳴動した。周囲の窓に亀裂が入った途端、風に押されて砕け散る。隣棟からは、生徒たちの怯えた声が上がっていた。それを聞いて少年の気分はさらに高揚したようで、見せつけるように大仰な構えを取った。


「ほら——出せよ、お前の"異能"ッ!」


 全身を焼き尽くさんと迫る害意に向けて、ヒューズは咄嗟に腕を広げた。防衛本能というやつだ。身の危険を前にしても不戦を掲げられるほどの慈悲深さを、彼は持ち合わせていなかった。


「くそ……!」


 電灯がちかちかと明滅し、泡が弾けるような音がした。ヒューズの顔には仄かな光が生じ、糸くずにも似た筋が浮かんだかと思うと、その白い髪を無造作に逆立てた。

 次の瞬間放たれたのは、その場一帯を力任せに引き裂くような白い刃。彼の操る「雷」が空気を膨張させ、炎を間一髪で逸らしていた。


「やっと出しやがった! そうか、雷か!」



 目を爛々と輝かせ、少年が叫ぶ。この「雷の異能」こそが、少年の見たいものだった。


「これで満足だろ!?」

「いいや、ここからだ。お前の腕っぷしを確かめなきゃいけねえ!」


 戦闘の放棄を訴えるヒューズをよそに、少年は散らばったガラス片を溶かす勢いで熱を発している。そうして心底楽しそうに笑い、走り、拳を突き出す。ヒューズは拳を受け流し、雷を閃かせながら距離をとった。


「ふざけてんのか? マジメに戦え!」

「『対魔科の生徒はむやみに異能を使ってはならない』って言われたろ! なにより大遅刻なんだよ、他の科はもう——」

「じゃあ素手で殴り合えばいいだろが!」


 どうやら話を聞くつもりは微塵たりともないらしい。狂犬のような男だった。


 ことの発端——といってもヒューズ自身、争いが起こった理由に納得していないのだが——、入学式の後、教室の場所を失念したことが第一の失敗だった。どこかで道を聞こうと校内を小走りで彷徨さまよっていたところ少年に遭遇し、ほっとしながら「"対魔族能力科"の教室はどこか」と尋ねると、少年は嬉々とした表情で「お前も対魔科なら腕試ししようぜ」と叫び、火炎による攻撃を仕掛けてきたのだ。


 まさしく烈火の如く繰り出される荒削りな乱撃を、辛うじて躱し続ける。拳が空を切る音で分かる。一撃一撃が岩を砕くような剛拳だ。


 同級生、それも確実に同じ教室に並ぶことになる「友人候補」を殴るわけにはいかない。そう思って牽制以上の行動は取らなかったが、その拳が肌を掠めるたび、痛みが襲いかかるたびに、ふつふつと敵意が湧いてきた。


 相手との間にそう実力差はない。戦いが嫌いなわけではなかったし、何よりも「そろそろ当たる」と確信した以上、黙って受けるという選択肢はなかった。


 隙をつき、少年がヒューズを殴る。同時に、その動きを全て模倣したかのようにヒューズの拳も少年の腹に突き刺さった。


 二人の痛みが空気の塊と共に吐き出される。互いに飛び退き、荒い息遣いのまま睨み合った。


 ——喧嘩慣れしている。


 口には出さなかったが、この認識は共通していた。並外れた膂力、軽やかな体捌き、そして鋭い判断力。武術としての確固たる軸のある動きではない。だからこそ、目の前の名前も知らない同胞は血の中で戦いを学んできた人種なのだと理解した。


「いいじゃねえか、俺はフレッドってんだ。名前なんて言うんだ? まだやれるよなァ」

「俺はヒューズ。……いや、もう戦えないよ」


 ヒューズの言葉に顔をしかめたその時、少年——フレッドの身体は唐突に支えを失い、膝を突いた。痙攣けいれんする両腕に向けて目を見開き、ゆっくりと持ち上がった顔は、怒りに歪んでいた。


「てっめえ……異能は使わねえって言ったじゃねえか」

「こうでもしないと止まらないだろ」

「この野郎ぶっ殺して……! ああくそッ、力が入んねえ!」


 ヒューズは、拳と同時に電流を打ち込んでいた。筋力を弛緩させたのだ。

 普通の人間ならもう動けない——が、フレッドの闘争心が収まる様子はない。むしろ強引な方法で勝負を中断されたことへの憤りで、さらに体温を上げているように思える。一通りヒューズを罵倒し終わると、全身の震えが一瞬止まり、首からみし、と不穏な音が鳴った。


(力ずくで……! 無茶苦茶だ!)


「なめてんじゃねえぞ、ビリビリ野郎ッ!」


 頭だけを強引に動かし、大きく口を開ける。喉の奥は煮え滾る溶鉱炉のような色に染まり、そこから炎が飛び出そうとうねっていた。


「この、いい加減に……!」


 最早穏便に済ませることはできない。ヒューズが雷が吠えた。空中には層をなして重なった紋様が刻み込まれ、鱗を逆立てた龍のように暴れ始めた。

 直撃すれば無事ではいられない、ともすれば死ぬかもしれないほどの圧を感じてなお、どちらも力を弱めることはなかった。

 射出された炎と雷が、付近一帯を染め上げる。

 しかし、衝撃は訪れなかった。


(攻撃をやめた……いや、消えた?)


 時が止まったように訪れた静寂に、二人の思考もまた空白になった。


「そこまで」


 間に、男が立っていた。大柄で武人という言葉が似合いそうな、黒い短髪の男。それが抜き身の片刃剣を携えて、呆れたように笑って溜息をついていた。

 ヒューズは、自分の雷撃が消える瞬間を見た。微かな銀色の光が射した時……この男が現れた途端に、蒸発するように攻撃が消滅したのだ。


「異能はみだりに使っちゃ駄目だって説明受けたよな? まあ折角能力者に会えたんだ、腕試ししたいって気持ちは分かるけどよ。闘気の矛先と、その時々の状況は考えないとな」


 そう言って、二人の頭頂部を小突く。拳骨とは思えない鈍重な痛みが駆け抜けた。


「テメェ! 邪魔すんな!」


 抗議の声を上げるフレッドの頭に、ごつん、ごつん、と加えて二発の拳が下りる。フレッドは痛みに身悶えしながらも、反抗的に男を睨み続けていた。


「あの……あなたは?」

「教師。お前らの担任」


 男は剣を納め、それを細長い布袋にしまいながら「ついてこい」と踵を返した。


「もう十八分の遅刻だ、さっさと授業始めるぞ。女子が首長くして待ってる。ちゃんと謝っとけよ?」


 フレッドが不服そうに頭をさすり、ゆっくりと立ち上がる。既に痺れは取れているようで「次は殺すからな」と物騒な宣戦布告を投げかけてきた。ヒューズも、相次ぐ変化に混乱しながら後に続いた。


「一時間目は特別授業。——『魔族狩り』だ」


 五十名の特異な能力者のうち、四名が選抜された戦闘部隊。"魔族"と呼ばれる人喰いを狩るための、人側の怪物を集めた、曲者揃いの集団。それが「対魔族能力科」……ヒューズが所属することになる、国営組織の死の学科であった。

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