第3話 遠足と落ち武者とチェシャ猫

 眩しいほどの日差し。


 新緑の葉がしげる木々。


 枝の隙間から覗く青空。


 時折吹く爽やかな風。


 間違いなく、絶好の行楽日和だ。

 こんな日に教室の中ではなく、大自然の中にいるなんて、なんと喜ばしいことだろう!

 たとえ、それが登山だとしても、喜ばずにはいられない!

 全身から流れ落ちる汗も、肺が破れそうな苦しさも、早過ぎる鼓動も生きている証しだ!

 ロープウェイを使って楽をしたら、この感覚は味わえなかっただろう!

 そう! 今、私は、全身全霊で生きているのだ!


「山本さん、かなり辛そうだけど、少し休んでいく?」


 ヤケになっていると、前を歩くクラスメイトが足を止めて振り返った。


「だ……いじょぶ……さ、きに……」


「分かった。じゃあ、みんなで先に行ってるね」


 私の返事を全て聞く前に、クラスメイトは先へ行ってしまった。

 少し薄情な気もするが、仕方ないだろう。

 ただ、出席番号が近いからという理由で同じ班になっただけで、身体能力が近いわけではないのだから。


「お待たせー。山本さん、先に行ってて良いって言ってた」

「えー、わざわざそれ聞きに戻ってたの?」

「うん。だって、あとから恨まれても嫌だし」

「あー、たしかにねー」


 ……それに、友情があるわけでもないしな。

 別に何を言ってもかまわないのだが、せめて聞こえないところにして欲しい。

 まあ、本人達は聞こえないと思っているのだろう。


 それにしても、高校二年生の遠足に、登山というのはいかがなものだろうか?

 もっと、こう、博物館とか歴史資料館のような、文化的な場所に行くべきではないだろうか?

 まあ、それはそれで班行動が煩わしそうか。

 せめて、ミナが同じクラスならな……

 いや、そんなことをぼやいても仕方ない。

 それよりも、今は、転ばないように足下を確認しながら進まないと。 


「スバルー、大丈夫ー?」


「こ、れが大、丈夫、に、見、えるのか……え!?」


 不意に聞こえた声に顔を上げると、ミナの顔がすぐ側にあった。


「え!? 大丈夫じゃないなら、少し休んで水飲みなよ! 顔、真っ赤だよ!」


 ミナは私の顔を覗き込みながら、焦った表情を浮かべた。

 いや、焦りたいのは私の方なのだが……


「な……んで、ミナがここにいるんだ?」


 なんとか呼吸を整えて尋ねると、ミナは屈託のない笑みを浮かべた。


「スバルがなかなか頂上に来ないから、心配になって見に来たんだ!」


「……そうか。でも、大丈夫、もう落ち着いてきたから」


「本当! 良かった! じゃあ、お水飲んだら一緒に登ろう!」


 そう言ってもらえるのは、非常にありがたい。

 しかし、ミナと私では、身体能力に差がありすぎる……

 私に合わせていたら、ミナが昼食を食べる時間がなくなってしまうかもしれない。


「ありがとう。でも、私と一緒だと遅くなるから、先に行っててくれ」


 私がそう言うと、ミナは何故か頬を膨らませた。

 あれ? 今、何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか?


「つらそうにしてる友達を置いていけるわけないでしょ! それに、もうすぐ頂上なんだから、ゆっくり登っても大丈夫だよ!」


 ……思わず、目頭が熱くなり、鼻の奥が痛くなった。


 ミナはずるい。


 置いていかれても当然だと思っていたのに、不意打ちで優しい言葉をかけるのだから。

 泣きそうなところを見られたくはないが、下を向いていると涙がこぼれてしま……



「それに、頂上の広場で怖い目に遭ったから、一人で戻りたくないんだよね」


「……またなのか」



 ……前言撤回。

 涙はすぐに止まった。


「そうなの! さっき、頂上の広場でねスバル探してたの。すぐに来るかな、って思ったんだけどさ、今日リコぺんも風邪でお休みだったから、スバルも途中で熱出しちゃったのかと思って、心配になったんだ。だから、広場をぐるっと一周してみたんだ。でも、全然見つからないから、迷子になったのかと思って、茂みの中に入って探してみたんだけどね、そしたら、なんか小っちゃい家みたいなのがあってさ。何だろーと思って覗いてみたら、急にバタバタバタってなんて、ビックリして顔上げたら、ギラッてしてて、もうギャーってなってさ。でも、ちょっとだけね……」


 ミナは、相変わらずもの凄い勢いで、遭遇した怪奇現象について捲し立ててくれた。

 うん、リコぺんさんが今日はお休みで、私のことも心配してくれていたのは伝わった。

 しかし、だな……


「ミナ、ちょっといいか?」


 私が声をかけると、ミナは意外そうな表情で首を傾げた。


「うん、どうしたの?」


「話の内容が、全く頭に入らない。五・七・五・七・七でまとめろ」


 私の言葉に、ミナは残念そうな表情を浮かべた。


「……分かったよ、ちょっと難しそうだけど、頑張ってみる」


 それから、口元に指を当てて黙り込んだ。

 今日はやけに素直に提案を聞いてくれるな。

 まったく、毎回この位すんなり話が進むと、楽なのだが。

 いや、一見すると無駄なやり取りこそが、かけがえのない思い出に……



「祠にて 額の割れた 武士もののふが 宿怨しゅくえんの目で 刀を握る」



 ……うん、たしかにこれは、誰かに伝えたくなるな。

 それに、強烈な思い出になる。


「っていう感じだったんだけど……スバル、これって、いわゆる落ち武者だよね?」


「ああ。間違いなく、落ち武者だろうな」


 まあ、落人伝説というのは全国各地にあるようだが、まさか本当に出会う日がくるとは……

 ミナには悪いが、ほんの少し感動してしまった。


「やっぱりそうかー。時代劇とかコントでしか見たことないから、ちょっと感動しちゃったよ」


 良かった、ミナも同じことを考えいたみたいだな。

 それにしても、今回はそれほど怖がっていないようだし、放っておくという手もあるか。

 この山にまた来る機会なんて、そうそうないだろうし……


「でもさー、何か急に覗き込んだから怒っちゃったみたいで、ごめんなさいって言ったのに、刀を振り回してきたんだー。だから怖くって」


 ……前言撤回、その二。

 やはり、私が処理しないとダメだ。

 万が一、下山するミナについてきて、危害を加えるなんてことがあったら、一大事だ。

 しかし、刀を持った奴を相手にして、無事でいられるだろうか?

 いや、そもそも、ああいった類のモノが持つ刀に殺傷能力はあるのだろうか?

 もしも、失敗したりしたら、ミナに何が起こるか……


「それと、どうせ茂みの中で遭遇するなら、落ち武者よりチェシャ猫の方がいいよね。語呂も似てるし」


「……いや、そんなに語呂は似てないだろ」


 真剣に悩んでいたが、ミナの前衛的な発言に脱力してしまった。


「えー! 似てるよー! だって、両方ともシャが入ってるし」


「その理屈だと、新社会人とチェシャ猫も似てるのか? 両方ともシャが入ってるから」


「んー、ちょっと違う気がするかな。でもなー……あれ?」


 ミナはチェシャ猫と新社会人が似ているかどうかの考察を止め、首を傾げた。


「えーと、私達、なんで新社会人とチェシャ猫が似てるかどうかの話をしてるんだっけ?」


「それは、ほら、ミナが、茂みの中でチェシャ猫に遭遇したい、って話をしたからだろ」


 私が答えると、ミナは軽く目を見開いてから、胸の前で手を打った。


「そっか! そうだったね!」


 どうやら、今回は特に疑問に思うことなく納得してくれたようだ。

 それに、落ち武者についての出来事は綺麗に忘れてしまったか……

 ということは、感動よりも恐怖の方が上回っていたのだろう。

 それなら、ためらっている場合ではないな。


 たとえ、危険な相手だとしても、ミナを怖がらせるモノは絶対に消し去らなくては。


「スバル? どうしたの?」


 心の中で意気込んでいると、ミナが顔を覗き込みながら首を傾げた。


「なんでもないよ。それより、そろそろ山頂まで登ろうか。迎えに来てくれてありがとう」


「いえいえ! どういたしまして!」

 

 私が答えると、ミナは屈託のない笑顔を浮かべた。

 ミナが側にいてくれるなら、この山道もぼやかずに進めそうだ。

 これから大仕事も待っていることだし、早く山頂まで登ってしまおう。


 当たり前のは無しだが、ミナと合流したからといって、山道の険しさは変わらなかった。

 しかし、すぐ側で励ましてくれる人がいるというのは、とても心強かった。


「あと、もう少し……もう少し……はい! 到着!」


 ミナの声と共に、私は山頂に辿り着いた。

 そこには、展望台や、軽食店や、ロープウェイ乗り場がある広場が広がっていた。

 

「おめでとう! スバル!」

 

 ミナはそう言うと、私の頭を力一杯なでた。


「あ……りが……とう」


 正直なところ、かなり苦しかったが、ミナの言葉のおかげで達成感は得られ気がする。

 うん、かなり苦しかったのは、事実だが。

 本当に、苦しかった。

 下りは、絶対にロープウェイを使ってやる。

 ……しかし、苦しい方が好都合か。


「ミ……ナ、私は少……し休んでるか……ら、友達のと……ころへ」


 きっと、これでミナも私の元を離れてくれるはずだ。

 少し淋しいが、他の友人達も待っているのだろうから。


「え? でも、もの凄く苦しそうだから、心配だよ!」


 しかし、予想に反して、ミナは私の側を離れようとしてくれなかった。

 たしかに、何事もないときならば、側にいてくれることは非常に嬉しい。

 しかし、今日はそんなことを言っている場合ではない。

 

「急……に私……のところにき……たんだ……ろ? なら、みんな心……配してるんじゃ……ないか?」


 息も絶え絶えになりながら問い返すと、ミナは淋しそうな表情を浮かべた。


「うん……それも、そうだね……じゃあ、先に行ってるから、落ち着いたらスバルもすぐに来てね!」


「ああ……そう……するよ」


 私が答えると、ミナは満足げな表情で頷いた。

 そして、軽快な足音と共に、遠くに見える友人達に向かって走り出した。

 ……よし、これで、準備はできた。

 呼吸もなんとか落ち着いて来たし、あとはミナが見たっていう祠を探さないとな。


 あたりを見渡してみると、たった今登ってきた道の側に、細いけもの道を見つけた。

 道には真新しい運動靴の足跡がついている。

 多分、この道だろう。


 足下に気をつけながらけもの道を進むと、すぐに問題の祠は見つかった。

 同級生達の声がハッキリと聞こえるから、広場からそこまで離れていないのだろう。

 しかし、周囲に木や草が生い茂っているため、ここは見つからないはずだ。

 ならば、さっさと終わらせてしまおう。

 

 私は祠の屋根に手を置き、目を閉じた。

 そして、さきほどミナが詠んだ歌を思い出した。


 祠にて

 額の割れた

 武士もののふ

 宿怨しゅくえんの目で

 刀を握る




「……口惜しい」



 歌を唱え終わると、恨みがましい声が耳に入った。

 それから、周囲にカビ臭さと血なまぐささが混じった臭いが立ちこめる。

 ゆっくりと目を開けると、ミナが詠んだ通りのモノが姿を現していた。


 額が砕け頭の中身が覗いている、鎧姿の男性。

 しかも、手にはくすんだ色をした刀身の刀を握っている。


 見た目のグロテスクさは、今まで見てきたモノの中でも穏やかな部類に入る。

 しかし、恨みに満ちた目と、手にした凶器に今までにない恐ろしさを感じる。

 さて、どうするかな……

 

 思案していると、落ち武者は目を見開いた。

 そして、怯えた表情を浮かべて、ガタガタと震えだした。

 手にした刀を今にも落としてしまいそうだ。

 ……急に、怯えだすなんて、一体何が起こったのだろうか?


 あたりを見渡して見たが、私と落ち武者の他は木ぐらいしか見当たらない。

 落ち武者さえ怯えだすようなモノがいるなら、どうにかしてミナを安全な場所に避難させなくては……


「ば、化け物! 来るな、来るな、来るな!」


 不意に、落ち武者が叫び声を上げ、刀の切っ先を私に向けた。

 顔には相変わらず怯えた表情を浮かべ、目は私を見据えている。



 そうか、私のことを化け物と呼ぶか。



  やーい! バケモノ!

  こっちにくるな、バケモノ!

  キモチワルイから、どっかにいけ!



 どこかから、どこかで聞いたことのある言葉が聞こえてくる。

 さて、一体いつ誰から聞いた言葉だったか。

 似たような言葉を聞きすぎているから、思い出すのも億劫だ。

 まあ、どうでも良いか。

 バケモノは、バケモノらしく振る舞うことにしよう。


「ぐああぁぁぁぁぁあ!!」


 私が睨み付けると、落ち武者は赤黒い沼に飲み込まれていく。

 どうやら、いつの間にか呼び出していたようだ。

 たしかに、私の力は化け物じみている。


 しかし、ミナを傷つけようとする悪辣なやからに、化け物呼ばわりされるのは心外だ。


 気分が悪い。


 腹が立つ。


 お前など、跡形もなく消えてしまえ。

 そう、チェシャ猫のように。


 腹を立てているうちに、落ち武者は完全に赤黒い沼に飲み込まれた。

 それから程なくして、赤黒い沼も消えていった。

 どうやら、今回も無事に終わったようだ。


 それにしても、先ほどの捨て台詞は我ながら良かったな。

 いっそのこと、決め台詞に……いや、やめておこう。

 多分、大人になってから思い出して、その場でジタバタするはめになりそうだから。


 さて、決め台詞にこだわっていないで、早くミナのところへ戻るとしよう。


 けもの道を引き返し広場へ戻ると、人影は先ほどよりまばらになっていた。

 まあ、最終的な集合時間に登山口にいれば良い、というゆるい日程だから、下山し始めた奴らもいるのだろう。

 

 広場を歩き回ってみると、同じ班のクラスメイト達の姿は既になかった。

 それに、ミナの姿も。

 前者は仕方ないと思っていたが、後者は少し辛いな。

 しかし、ミナも他の友人達と班を組んでいるのだから、いつまでも私を待っているわけな……


「スバル、はっけーん! とう!」


「うわぁ!?」


 感傷に浸っていると、背後から衝撃を感じた。

 振り返ると、ミナが笑顔で肩に抱きついていた。


「い、いきなり何するんだ!?」


 照れ隠しに抗議すると、ミナは頬を膨らました。


「だって! 捕獲しておかないと、スバルすぐ、先に行け、とか、待ってろ、とか言って、どっかに行こうとするじゃない!」


「べ、別に、今日は、ど、ど、どこにも行ってないだろ。それに、ミナだって今までどこにいたんだよ?」


 慌てて話題をそらすと、ミナはキョトンとした表情を浮かべた。そして、私の肩から腕を放し、ジャージの上着のポケットを探った。


「えっとね、さっき軽食屋さんの売店コーナーでこれ見つけたから!」


 ミナはそう言いながら、キジトラ猫のマスコットがついたキーホルダーを私に見せつけた。

 可愛らしいが、何というか、目付きがジトッとしているな……


「見て見て! スバルにソックリでしょ!?」


「……別に、似てない」


「えー!? 絶対、似てるよー! だから、スバルの分も買ってきたのに!」


 ミナはそう言いながら、再びポケットを探り、同じキーホルダーを取り出した。


「おそろいなのは嬉しいが、断じて似ていない」


「似てるってー……ん? 今、おそろいが嬉しい、って言った?」


「さて、私は昼食がまだだから、軽食店にいくとしよう」


「あー! ごまかさないでよー!」


「ついでに、ミナにソックリな犬のマスコットを二人分探すかな」


「え! おそろいのマスコット!? やったー!」


「ははは。ミナは素直で可愛いな」


「えへへ! ありがとう! でも、スバルも可愛いよ!」


「それはどうも」


 いつの間にか、私達はとりとめのない話をしながら、軽食店に足を進めていた。

 やはり、ミナと一緒にいる時間はとても楽しい。

 だから、ずっと側にいたいと願ってしまう。

 ミナは、そんなことを許してくれるだろうか?



 たとえ、私が化け物だったとしても。

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