第2話 パンジーとガンジー

 頭上に広がる青空。


 髪を揺らす爽やかな風。 


 色とりどりのパンジーが咲き誇る花壇。


 やはり、園芸委員会に入ってよかった。

 植物の手入れというのは、心が落ち着くから。

 なんと言っても、花は集団で騒がしく喋ったりしないところが良い。 

 周囲が騒がしくなる昼休みだとしても、こうやって静かに美しく咲いているのだから。 

 

 ……決して、昼食を共にする相手がいなくて教室に居づらい、というわけではない。

 

 別に、昼食くらいミナと一緒に食べれば良いのだし。

 ただ、今年はミナとクラスが別れてしまった。

 ミナは、クラスが別になった今も、私を昼食に誘ってくれる。

 それでも、ミナにはミナの付き合いもあるだろうから、誘いを辞退することもある。

 私はどうも、ミナのクラスメイト達と上手くなじめないから。

 こんな私をミナは面倒だと思っているだろうか……


 落ち込んでいると、背後からパタパタと足音が聞こえて来た。

 振り返ると、弁当箱を持ったミナが、こちらに近づいてくる。


「スーバールー!! やっと見つけたー!」


 ミナはそう言うなり、スピードを上げ……


「とう!」


 ……かけ声と共に、私を抱きしめた。


 これは、何のご褒美なのだろうか?


 いや、頬を染めている場合ではないか。

 今はひとけがないとはいえ、いつ誰が通りかかるか分からないのだから。


「放せ、大型犬。上半身が粉砕骨折したらどうするんだ」


「あ!! ごめんね!」


 私の言葉を聞いたミナは、素直に腕を放した。


 もう少し、駄々をこねてくれても構わないのだが……


「スバル、淋しそうな顔してるけど、どうしたの?」


「べ、別に、何でも無い。それよりも、どうした、は私のセリフだ。なぜ、ここに来たんだ?」


 ごまかしながら問い返すと、ミナは頬を膨らませた。


「だって!! 一緒にお弁当食べようと思ったのに、スバル教室にいないから、探してたんだよ!」


「悪いが、私はもう食べ終わっているよ。月、水、金曜日の昼休みは花壇の水やりがあるから無理だって、この間話しただろ」


 私が答えると、ミナは大きな目を見開いた。


「あ!! そうだった……スバルが水やりしてる間、そこのベンチで食べてていい?」


 ミナは花壇の側に設置されたベンチを指さしながら、首を傾げた。


「ああ、構わないよ」


「よかった!! 今から教室に戻っても、皆食べ終わっているだろうし……」


 そう言いながら、ミナはベンチに腰掛け、弁当箱の包みを解いた。

 そうか、他のクラスメイト達よりも、私と昼食を食べることを優先してくれたのか。

 これは、感無量だ。

 やはり、私達は宿世を重ねても巡り会う、固い絆で結ばれ……



「……でも、スバルを探してるときに怖い目に遭ったから、あんまり食欲はないんだよね」


「……またなのか」



 感慨に耽っていると、ミナは私を容赦なく現実に引き戻した。


「そう!! そうなの!! さっき、リコぺんとすれ違って、どこ行くのーって聞かれたから、スバル探してるの、って答えたのね。そしたら、外の倉庫あたりで見たっていうから、そっちに行ってみたの。それでね、行ってみたら、倉庫の中から、バンッバンッて音が聞こえて、スバルが閉じ込められたのかと思って、ほら、スバル、昔トイレのカギが壊れて閉じ込められたことあったから。それでね、心配になって思いっきりドア開けたの。そしたら、ボタボタボタ、ギャーってなって……」


 そして、遭遇した怪奇現象について、まくし立ててくれた。

 しかしながら、相変わらずの酷い有様だ……

 ただ、非常に怖かったということと、私のことを心配してくれていたというのは、少し伝わった。

 しかし、本題はそこではないのだろう。

 嬉しかったのは確かだが。


「ミナ、ちょっといいか?」


 私が声をかけると、ミナは弁当箱を開ける手を止めた。


「……うん、どうしたの?」


「話の内容が、全く頭に入らない。五・七・五・七・七でまとめろ」


 私の言葉に、ミナは淋しそうな表情を浮かべた。


「今ので、怖さが伝わらなかった?」


「いや、ミナがすごく怖がっていることは伝わったけど……」


 私が答えると、今度はミナの顔に不服そうな表情が浮かんだ。


「なら、それで良くない?」


「良くないから、説明を求めてるんだろ……もうすぐ水やりも終わるし、まとめられないなら、私はこのままジョウロを返して、教室に戻るぞ」


 そう言って花壇から立ち去るふりをすると、ミナは立ち上がり私の腕を掴んだ。


「待って待って!! やってみるから、ちょっと待っててよ!」


「分かった」


 私が頷くと、ミナは安堵の表情を浮かべた。

 そして、ベンチに座り、口元に手を当てて黙り込んだ。

 やれやれ、これで情報が共有できる。

 それにしても、怖がっていることが伝わればそれで良い、か。

 たしかに、ミナは怖い思いをしたことが私に伝わるだけで良いのかもしれない。

 しかし、私はそれでは困るのだ。

 

 ミナが見たモノが何か私に伝わらなければ、意味が無い。

 それが、ミナを救うことに繋がるのだから。

 だから、たとえどんな恐ろしいモノを見ることになったとしても、私は……



「事切れて 倒れた人の 舌と血が 倉庫の床を 赤く彩る」



 ……まあ、もう少しマイルドだと嬉しかったなとは思う。

 しかし、こんなことで挫けているわけにはいかない。


「っていうものに遭遇したんだけど……スバル、青い顔してるけど、大丈夫?」


「ああ、まあ多少はショッキングだと思ったが、問題無い。それより、本当に誰かのご遺体があった、と言うわけではないんだよな?」


 私が問いかけると、ミナはコクリと頷いた。


「うん。慌ててドアを閉めたんだけど、気になってもう一回開けたら、何も無くなってた」


 ミナはそう言うと、深いため息を吐いた。


「やっぱり、見たらマズイやつだよね、これ……」

 

 そして、涙目になりながら私の顔を覗き込んだ。


「まあ、でも実際にご遺体に遭遇するよりはマシだろ。第一発見者になると、色々と面倒って話を聞くし」


「そうなんだろうけどさー……やっぱり、呪われてるのかなー、私……」


 ……正直、あながち間違いではないのかもしれない。

 のろいと呪い《まじな》いは、読みが違うだけで同じ字だ。

 それならば、ミナは……


「スバル? やっぱり、青い顔してるけど、大丈夫?」


「……ああ、問題無い。ちょっと、嫌なことを思い出しただけだから」


 答えてすぐに、口を滑らせてしまったことに気づいた。

 嫌なことを思い出したなんて口に出したら、ミナは心配して何を思いだしたのか聞いてくる。

 現に、私を見つめる表情が、不安げに変わっている。

 なんとか、上手くごまかさなくては……


「スバル、そんなに悩まないで。去年の自己紹介で緊張して、好きな花はガンジーです、って言ったことなんて、皆もう忘れてるから!」


 ……うん。

 別に、これで良いではないか。

 聞かれたく無かったことは、聞かれなかったのだから。

 ただ、どうにも釈然としない。


「……なぜ、私がそんな言い間違えを思い出していた、と思ったんだ?」


「だって、ほら、パンジーいっぱい咲いてるから」


 ミナは弁当箱が膝から落ちないように手を添えながら、花壇を指さした。

 それから、弁当箱からおにぎりをとりだし、頬張りはじめる。

 まあ、たしかに、ミナの言うとおりパンジーは咲いているけれど……

 ああ、折角、見頃の時期だというのに……

 ミナの言葉のおかげで、見るだけで苦い思いがこみ上げてくるようになってしまった。


「でも、ほら、あだ名がガンジーになるのは、阻止できたんだから!! いつまでも気にしてちゃダメだよ!」


 苦悶していると、ミナは頬張っていたおにぎりを飲み込み、私を励ました。


「……まあ、ガンジーのことは尊敬してるけど、一介の女子高生がその名を背負うのは、恐れ多いからな」


「大丈夫だよ!! スバルならいつか立派なガ……あれ?」


 脱力する私に何か不穏な言葉を言いかけて、ミナは首を傾げた。


「どうしたんだ? ミナ」


「えーと、私達、なんでガンジーについて話してたんだっけ?」


「それは、ほら、パンジーとガンジーの語呂が似てるからだろ」


 投げやりに答えると、ミナは感心したように胸の前で手を打った。


「そっかー……うん、そうだったね!」


 ……少し、返事に間があった気がする。

 今回は、上手くいかなかったのだろうか?

 しかし、食事はできていたから、失敗ではないはず……


「そうそう。ひとまず、私はジョウロをしまってくるから、そこで昼食を食べながら待っててくれ」


 内心冷や汗をかきながらも、冷静を装ってミナに声をかけた。

 すると、ミナは八重歯を覗かせながら、屈託のない笑みを浮かべた。


「分かった!! いってらっしゃい!」


 ……よし。

 今回も、上手くいっているようだ。


「ああ。じゃあ、行ってくる」


 まるで新婚夫婦のようなやり取りを済ませて、私は倉庫へと向かった。

 

 倉庫は校舎の裏側の日当たりが悪い場所に設置されている。

 倉庫といっても大きな物ではなく、スチール製の物置と言った方が正しいのかもしれない。

 それでも、この学校で倉庫といえば、この場所以外の選択肢はない。


 だから、ミナが怪奇現象に遭遇したのも、この場所であっているはずだ。


 私は、ジョウロを地面に置き、倉庫の扉に手をかけた。

 そして、目を閉じてミナの詠った歌を思い出した。



 事切れて

 倒れた人の

 舌と血が

 倉庫の床を

 赤く彩る


 


「ぐっ……ぅっぐっ、ぐっぅっ……」




 歌を唱え終わると、くぐもったうめき声が耳に届いた。

 それから、生臭い臭いが立ちこめる。

 目を開けて扉を開くと、中にはやはりミナが詠った通りのモノがのたうち回っていた。


 血溜まりに倒れ込む口元を真っ赤に汚した人のようなモノと、不格好にちぎれた舌のようなモノが。


 これは、かなり衝撃的な部類に入るな。

 ミナが上手く、この光景を忘れてくれているといいのだが……

 

 もともと、ミナはこういう類のモノを見ると、しばらくその恐怖を引きずっていた。

 私のスカートの裾を掴んで、ずっと放さないなんてことはざらにあった。

 それに、酷いときは、数日間食事を一切受け付けなくなるなんてこともあった。

 私にくっついてくるだけなら構わないが、拒食は下手をしたら命に関わる。

 

 だから、私はミナにおまじないをかけた。


 どんなに怖いモノを見ても、私にその様子を伝えられれば忘れてしまう、そんなおまじないを。


 おまじない、と言うより催眠術に近いものだったのかもしれない。

 いや、洗脳や……それこそ、呪いと言った方がより正確か。


 ミナは、私がいなければ、恐怖を忘れられなくなってしまったのだから。


 ……私に伝える、という条件を入れずにおまじないをかけたこともあった。

 しかし、その場合は、おまじないが上手く発動してくれなかった。

 だから、今の形でおまじないをかけた。

 残酷なことをしてしまったという自覚はある。

 それでも、ミナの命を救うことに繋がるのならば……



「ぐっ……ぅっぐっ、ぐっぅっ……ぐっ」


 

 物思いに耽っていると、耳障りなうめき声が耳に入った。

 視線を床に落とすと、血まみれのモノは苦悶の表情をこちらに向けていた。

 多分、コイツも、壮絶な何かを抱え込んで、自ら舌を噛み切るに至ったのだろう。

 

 ただ、自ら命を絶ったのなら、わざわざ同情を求めに来るなと言いたい。

 

 そうすれば、ミナが怖がることもなかったのに。

 

 目の前のモノに怒りを感じていると、私の足下に赤黒い沼が現れる。

 沼は徐々に広がり、倉庫の中にも入り込む。



「ぐっ……ぅっぐっ、ぐっぅ……」



 そして、血まみれのモノは、うめき声を上げながら沼の中に飲み込まれていく。

 それから、沼は徐々に色を薄めて消えていった。


 ……今回も、上手くいってくれてよかった。

 

 それにしても、飲み込まれていくときのアイツ、すごい形相だったな。

 ひょっとしたら、恨まれたのかもしれない。

 まあ、そんなことを気にしていたも仕方が無いか。



 ミナを脅かすモノをまた一つ消し去れたのだから、今はただ喜ぶことにしよう。



 こんな物騒なことを考えているのだから、私はガンジーを名乗ってはいけないな。

 ……さて、感傷に浸っていないで、花壇に戻らないと。

 ミナがさみしがっているといけないから。


 花壇のあたりに戻ると、ミナは空になった弁当箱を膝に乗せて、ベンチに座っていた。

 どうやら今回も、おまじないは完璧に発動してくれたみたいだ。


「あ、スバルー!! お帰りー!」


「ただいま、ミナ。弁当は美味しかったか?」


 隣に腰掛けながら尋ねると、ミナは屈託のない笑みを浮かべた。


「うん!! すっごく美味しかった!」


「そうか、それは良かった」


 ずっと見ていたくなる笑顔を浮かべるミナの隣で、私は心の底からそう思った。

 ……いつかは、ミナのおまじないを解いて、私が居なくても平穏に生きていけるようにしないといけない。

 しかし、そのためには、ミナが恐ろしいモノに遭遇する原因を究明して、根絶する必要がある。

 あるいは、ミナを怖がらせるモノを殲滅するか、か。

 どちらにしても、途方もなく労力がかかりそうだ。

 それでも、いつか、必ず……


「スバル? 怖い顔してるけど、どうしたの?」


 不意に、ミナがキョトンとした表情で私の顔を覗き込んだ。


「……いや、次の時間、英語の小テストだから、少し心配になっただけだよ」


 あまりの顔の近さに焦りながらも、咄嗟にごまかすことができた。

 すると、ミナは意外そうな表情を浮かべた。


「えー、スバルなら、余裕じゃないの?」


「そうでもないよ、予習が不十分だから、八十点台しか取れないかもしれない」


「それだけ取れれば、十分じゃない!! スバルのブルショア!! セレブ!! えーと……小テスト長者!」


「何なんだよ、その罵り言葉は……というか、罵っているのか?」


「うーん、どちらかと言うと、称賛してる?」


「それはどうも」


「いえいえ!」


 いつの間にか、私達はとりとめのない話に花を咲かせていた。

 今はただ、この何でも無い時間を楽しんでいよう。


 いつか、が来るその日まで、ずっと。

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