四人目 神官の話
魔王が倒された。
その御触れが出たのはちょうど今朝のことだった。活性化していた魔物達が数日前から少しづつおとなしくなり、世界は徐々に昔のような光景へと戻っていった。魔物を生み出す元凶である魔王が居なくなった証拠だ。数日の観察を経て魔物の増加が一向に見られないことから魔王の討伐が成されたと判断され、今朝の御触れへと繋がった。民はこれで魔物に怯える心配が無くなったと喜び、周囲の神官も不安が無くなったと安堵の声をあげていた。
自分はそれに混ざることができなかった。魔王討伐を素直に受け入れることができなかった。本当であれば無邪気に喜ぶことができたのだろう。魔王と英雄が誰なのかを知らなければ、魔王を退治した状況を想像しなければ、皆と同じように喜ぶことができたのだろう。あの日、偶然出逢った無愛想な少年が隣に居た朗らかな少年を殺したのだと、ただそれを知らなければ喜ぶことができたのだろう。
あの朗らかな少年はもうこの世には居ないのだろう。そう思うと少し哀しくなって涙がじわりと浮かんできた。魔王が倒されたという事はきっと彼が死んだということだ。だって魔王はあの朗らかな少年で、英雄はその友人の無愛想な少年だったのだ。偶然気がついてしまった事を周囲に言うこともできず、ただただ彼らに救いが無いのだろうかと過去の文献を漁ることしかできなかった。けれど彼らを救える方法はなかった。きっとあの少年もそれを知っていたのだろう。だからこんなに早く魔王は討伐されたのだ。もう仲の良さそうな彼らを見ることは叶わない。それがとても哀しくて、それがとても辛かった。
彼の犠牲で世界が正常に戻ることを知らなければよかった。
その少年達がやって来たのは今から10日程前の事だった。まだ年若い彼らは神殿というものを見たことが無かったようで、半分観光気分でここにやって来ていたようだった。せっかく来たのだからと神官の一人が祈りの間へと彼らを連れていった。祈りの間は神に祈りを捧げる場所で時々神の声を聞く人も居るのだと聞いて「そんなものあるわけないよね」と言いながらも祈りの間に入ると真剣な表情で祈りを捧げていた。地面に片方の膝を付き、両手を組み、頭を垂れ、目を閉じる。先ほど聞いたばかりの祈りの形式。口では面白がりながらもきちんとした祈りを捧げるその様子に、自分は少し感心していた。
様子が変わったのは祈りだして少し経った時だった。朗らかそうな少年がいきなり顔を上げて少し困惑したように周囲をきょろきょろと見回しだしたのだ。2階に居た自分の姿は見えていなかったようで、隣の無愛想な少年を少し見てから不思議そうに首を傾げ、何かを振り払うかのように頭を左右に振った。
その直後無愛想な少年も顔を上げた。朗らかな少年と同じように周囲をきょろきょろと見回して、同じように隣の少年をじっと見つめた。朗らかな少年はそれに全く気づいていないようだった。無愛想な少年は何かを感じ取ったのかまた目を閉じて祈りを捧げた。朗らかな少年はその間も何か他のことに気を取られているようで、急に眉をしかめたり、驚いたように目を見開いたり、嫌だと何かを否定するかのように頭を振っていた。最後に口を一文字に結び何かを耐えるような顔をした後、一瞬だけ何かを決意したような表情をしてから隣の少年の方へと顔を向けた。まだ祈りを続けていることに少し安堵したような表情でその祈りが終わるまでじっと少年の方を見ていた。
それから少しして、無愛想な少年も再び顔を上げた。隣の少年がこちらを見ていることに気づいたようで、そちらを向いて首を傾げ何かを尋ねた。しばらく何かを喋った後、二人揃って祈りの間を出ていった。用事を済ませた後神殿の入り口に行くと、二人の少年が神官達に囲まれていた。彼らは神の声を聞いた。神託を受けたのだと言われていた。二人揃って神託を受けるなんて縁起がいいとも言われていた。
その時気がついた。いや、気がついてしまった。
神託を受ける人は決まっている。あまり知られてはいないが自分の読んだ文献にはそのことが記されていた。神託を受けるのはその時代で世界を変える影響を与える人。今の世界を変えるという事は魔王の討伐に他ならない。実際に英雄と呼ばれた人達の大半は神託を受けた事があると記されていた。受けた事の無い者は祈りを捧げた事が無かっただけで、祈りを捧げていればきっと神託を受けただろうということも。そしてもう一つ。昔、爺様に聞いた話だ。爺様の友人は英雄だったらしい。神託を受けて、意気揚々と討伐に向かい、魔王を討伐して、英雄になった。その友人には仲の良い親友が居たらしい。けれどその親友は魔王討伐の際に生命を落としたのだと。先代の英雄だった友人は常常こう言っていたそうだ。
「親友が死ぬことで得た英雄という称号なんて、俺には何の価値もないんだよ。英雄の称号がこんなに嫌なものだとは思わなかった。」
爺様はその言い方に何か引っかかるものを感じていたらしいけれど、それが何かはわからなかったと言っていた。きっと引っかかったのははじめの所だ。「親友が死ぬことで」という言い方は親友が魔王との戦いで死んだのなら少し違和感がある。この言い方だと親友が死ななければ英雄になれなかったと言っているように聞こえる。魔王を討伐したから英雄になるのであってそれに親友の生死は関わりないはずだ。その親友が魔王だったという嫌な想像を除けば。この想像が正しいのなら、彼ら二人は魔王と英雄になる。おそらくあの様子からして朗らかな少年が魔王なのだろう。英雄の神託では魔王を倒すのが自分だとしか教えられないらしいから。だからあんなに辛そうな顔をしていたのは、きっと自分が魔王なのだと知ったからなのだろう。
いや、こんな事を考えてみてはいるもののただの杞憂の可能性もある。もともと想像力だけは人一倍あった自分だ。こんな嫌な想像もただの自分の妄言だと、そう信じたかった。話を聞きたがる神官達を突破して出ていった少年達が魔王と英雄だという想像なんて嘘だと信じたかった。
それから過去の文献をしらみ潰しに探った。この嫌な想像が真実でないと、それを示す文献を必死に探した。けれど嫌な想像を肯定するような内容しか見つけることはできず、その後探した魔王を救う方法も無いという結論しか見つけられなかった。
ある英雄は言った。魔王の弱点は心臓だ。心臓を壊さなければ魔王が死ぬ事は無いだろう。
ある英雄は言った。魔王は心臓が大好きだ。だから私の親友も心臓を潰されて死んだのだ。
ある英雄は言った。魔王を殺すことはとても難しかった。けれどそれが自分の役割だったからそれを全うしただけだ。
ある英雄は言った。魔王を殺すことはきっと誰にでもできただろう。でも私が英雄になったのは必然だった。
ある英雄は言った。英雄になんてなりたくなかった。こんな終わりが待っているなら英雄の称号なんていらなかった。
ある英雄は言った。魔王について語ることは無い。ただ、魔王との戦いはとても辛いものだった。
ある英雄は言った。親友が死ぬことで得た英雄という称号なんて、俺には何の価値もないんだよ。英雄の称号がこんなに嫌なものだとは思わなかった。
そして、今まで記録されている英雄達は近しい人物を必ず一人、魔王討伐の際に喪っている。それは親友だったり夫だったり妻だったり恋人だったり義理の兄弟だったりと様々なものだった。けれど必ず一人を亡くしている。これはただの偶然か? いや、そうではないのだろう。死んだ人はきっと魔王だったのだ。だから英雄は英雄になりたくなかったのだ。
そして、この証言からするに魔王の核は心臓なのだろう。現代の技術でも心臓と脳だけは再生することができない。つまり魔王は救えない。なんて哀しい話だろう。世界を救った英雄はどうやったって救われない。世界を救う代償がこんなものだなんて。けれど彼らは世界を救った。それがどれだけ辛いことでも。それを決断できたから、きっと彼らは英雄だったのだ。
魔王討伐の御触れが出てから数日後。神殿に無愛想な少年がやって来た。隣に朗らかな少年は居なかった。独りでここまで戻ってきた。きっと嫌な想像は当たっていたのだろう。無愛想な少年は口を引き結び、何かを堪えるような表情で祈りの間へと足を進めていく。その辛そうな表情を見て、思わず彼に声をかける。
「祈りの間は今誰もいません。神様に恨み事を言っても誰も聞きません。今の間に、皆に英雄と呼ばれる前に、言いたいこと全部吐き出してください。我慢するものではないですよ。」
ああ、言ってしまった。どう考えても変な人だとしか思われない発言だったと少し後悔した。どうしようかと再び口を開きかけた瞬間、少年の目から涙が零れた。ぼろぼろと零れ落ちる涙を拭うこともせずにこちらへ彼は問いかけた。
「なぜ……俺……英雄だと……」
やっぱり彼が英雄だった。嫌な想像は当たっていた。
「以前この神殿に来た時に、気がついてしまったもので。よく、頑張りましたね。」
持っていたハンカチで涙を拭う。次々と零れ落ちるので一枚ではどうしようもないけれど、少しはましになるだろうと。
「あいつ……最期……笑って……なんで……俺……英雄……魔王……」
文章にもなっていない単語の羅列。泣く合間に喋ろうとして、涙で言葉が繋がらない。まだまだ成人には程遠いほどの少年だ。それがこんなに大きな秘密を抱え、親友を殺し、世界を救ったのだ。自分では慰めることしかできないが、少しでも心が軽くなればいいと思う。だから存分に泣いて恨んで、また立ち上がってくれれば良いと願う。
「ありがとう。お姉さん。少し祈りの間へ行ってくる。」
しばらく泣いた後、少年は薄く微笑んで祈りの間へと向かっていった。
ああ、世界はとても残酷だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます