第2話「あじゃぱー作戦」
未だ上の空で全くリアクションをとってくれないキヨシ君を横目にして、午後十時、私と赤井は第一回緊急作戦会議を開いた。
「いつの世も、戦いとは即ち情報戦である」
「間違いないね。まずは相手のことをよく知り、彼と彼女の現状の関係性を洗い出さなくちゃあならない」
「ほいキヨシ君。君のお相手はいったいどんな女性?」
赤井に顔を覗き込まれたキヨシ君は、相変わらずのノロケ顔だが、私たちの会話は一応頭の中に入っていたらしく、小さく口を開いた。
「・・・北の方から来た人」
「アバウトすぎる」
「もっと情報はないの?」
「・・・北の方から来たレナさん」
「村上君。我々はこの二つの情報から戦を始めなければならないようだ。」
「とんでもない任務を請け負ってしまった」
この些細な情報だけでは、先手を取ろうにも何から切り出せばいいか分かったもんじゃない。私たちは早速お助けを頼むことにした。
「もしもし、安形さん、お久しぶりでございます」
「おー、村上君じゃあないか。元気してたかい」
安形さんは、昨年の大学祭の実行委員長としてお世話になった経済学部の四回生である。彼の行動力は凄まじく、大学祭では実行委員長として大役を果たしただけでなく、ミスターコンへの出場、ミスコンの審査員、フィジーク大会での応援団長、大学祭の裏で行われた学生運動の扇動から鎮静まで、八面六臂の大活躍であった。いうならば、彼はアクティブ界の若頭である。きっと就職活動も順調であるからお暇もござろう、という勝手な考えから、アドバイスをいただくことにした次第である。
「ふむ、なるほど。それなら作戦は一つだな。」
安形さんは話を聞くなり、瞬きも許さぬほどの早さで答えた。
「その作戦とは・・・?」
「あじゃぱー作戦だ」
「あじゃぱー? 何すか、それ」
「あじゃぱーとは、アパシーの上位互換だ。つまり、無気力の極致に達するということさ。」
「なるほど。そうするとどんな効果が?」
赤井がメモの準備を始めた。
「いいかい。恋に落ちているとき、人の脳はチンパンジーになる。メンタリストが言っていた。そこでだ。どうせチンパンジーになってしまうのであれば、人間のままボーっとしてた方が、相手からは良く見えるのではないかと私は考えている。ゆえに、あじゃぱーの状態でいることが恋を成就させるためには必須なのである。この学説はメンタリスト由来のものではない。私が考えた。どうだい?」
「さすがは先輩です!」
「あじゃぱー最強!」
「つまりだ。今のキヨシ青年の状態はとても良い状態であるのだ。このままの彼であれば、きっとモテモテ効果は半永久的に続くであろう。」
「いやあ、やっぱり安形さんに相談して正解でした。いきなり大当たり!今度なんかおごりますね」
「ははは、苦しゅうない! 大志を抱け若者よ、では!」
そこで電話は切れた。それと同時に、私たちは今回の戦の勝利を確信したのである。
「さすがは安形さん。この難問も悠々と解いてしまった。彼の将来が怖いくらいだ」
「何であんなに素晴らしい人を今まで紹介してくれなかったのさ」
「想像してみろ。お前のような奴が安形さんと仲良くなってしまったら、世の中がひっくり返っちゃうような恐ろしいことをしでかしかねない」
「それは否めない」
「とりあえずさ、今日のところは戦いの祝勝会ということで、パーっといこうじゃないか」
「そりゃいいや」
かくして、宴は翌朝まで続いた。あじゃぱー作戦の良いところは、私たちもキヨシ君もレナさんも、何もする必要がないという点にある。キヨシ君はボーっとし、レナさんはメロメロになり、私と赤井は不労所得で勝利を勝ち取る。つまりは皆ハッピーである。これがインド映画ならば、今頃登場人物総出で喜びのダンスを踊り、笑いと涙の大団円。ボリウッドのアカデミー賞を総なめすること待ったなしである。
私と赤井は朝まで続いた宴をいそいそと片付け、午後からの教習に向けて、いったん仮眠をとることにした。キヨシ君は昨晩講義ノートを手にしたままの態勢で、気づかぬ間に眠りに入っていたようだった。
安形さんが提案した作戦、あじゃぱー作戦は、抜かりのない完璧な作戦だった。論理的で筋が通っていたし、何より安形さんが自信をもって推していたのだから、失敗するはずがなかった。
しかし、結果から言うとこの作戦はものの見事に失敗した。三日間経過観察を行ったが、まるで進展がない様子であったし、それどころかキヨシ君の表情が、日を経るごとに悲しげになってゆく。これを成功と呼んだら風神雷神から天罰が下りそうだ。私は安形さんにこの事実を伝えようと電話をかけたが、いつまでたっても出てくれない。仕方ないのでメールで伝えたら半日後に返事が返ってきた。
「すまん。私は今から企業の最終面接に向かわなければならない。あー、めっちゃ緊張する!! 私よ、大志を抱け!!」
私は尚もボーっとしてやまないキヨシ君に向かい合うようにして座り、両手でほっぺたをムギューっとした。
「キヨシ君。いいかげん目を覚ましたまえ。戦はここからだ」
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