保健室の攻防②

 二人だけになった保健室。真柴先生の体から発散されていた圧が消え、幾分風通しがよくなった。

 俺の腹はなり、美術準備室に置き去りにしたサンドイッチの存在を思い出した。


「先生おなかなってるよ。昼ごはん食べなかったの?」

 いったい誰のせいで、食べそこねたと思ってるんだ。怒る気力もなくし、春川のスラックス姿を見た瞬間、ひらめいた確信をいった。


「ただ単に男子の制服が自分に似合うから着たんじゃないのか?」


「さすが、先生。せいかーい。あの美的センスなんて到底理解できないおばさんにはわかんないだろうけど」


 そう言うと椅子から立ち上がり、その場でステージモデルばりのターンをきめた。黒髪もふわりとゆれ、あたりにはなにやら花の香りが立ち込める。


 足の長い春川を魅力的に見せてくれる、パンツスタイル。紺の上下が長身の体にすっきりと馴染む。確かに、似合っている。


「先生も似合うと思うでしょ」

 表情をよまれたかと頬をこすり、ため息をつきながら腕組みをした。俺の意見なんか、何の意味もない。ここは学校だ。全体の共生がなりより大切な場所。

 俺は春川を見上げた。


「そんなことより、お母さんは本当に、被災地にいったのか?」

 春川の言葉はいったいどこまで本当なのかたしかめる必要がある。


「そうだよ。私のこの姿みてがんばってねって言って出て行った」

 母親も応援しているのか……理解のある母なのか、放任主義なのか。


「いくら似合うからって、男のかっこはまずいだろ」


「なんで? 女の子普通にズボンはくじゃん私服で」


「制服は違う。それにここの学校の制服はかわいいって評判なんだから。わざわざズボンはかなくても」

 常識をふりかざす大人を見下ろし、口の端をあげ皮肉な笑みをはりつかせる。


「女子のスカートチェックなんだよ? ネクタイが縞なのに、ガラガラじゃん。おまけにひざ下って一番バランスとれない。丈をもうちょっと短くしたらまだましだったのに、先生たちがいちいちチェックするなんて信じらんない」


「見た目だけの問題なのか?」


「見た目気にしてるのは、先生たちでしょ。緑風高校の伝統を重んじきちんとした服装をしよう。ってその服装は先生たちが想定する服装であって、私たちが似合う服装じゃない。きちんとした服装って私にはこれなの」


「校則で、女子の服装は決められてる」


「なんで女子はスカートはかないといけないの? 女の先生はズボンはいてるのに。生徒だけにスカートをおしつけるなんて、おかしい」


 このままでは正論を言い続ける春川にのみこまれる、教師としてどう言い聞かせるべきか。例え、春川の主張を個人的に俺がどんなに賛成していても、教師の立場でそれは許されない。


「一人だけ、違う服装したら目立って嫌な思いするのは春川だ。それに上級生から目をつけられる」


「クラスのみんな応援してくれてる。だからホームルームの時みんな黙ってたんだよ。それに、もう上級生に声かけられた。でも、いっしょに男のかっこしましょうよって言ったら、めんどくさい奴っていってどっかいっちゃった」


 五月の日差しは強い。室内の温度があがったのか、背中に汗がつたう。


「学校は、勉強するだけの場所じゃない。共同生活のルールを守るのも勉強だ。一人だけ好き勝手にしていたら、みんなの輪を乱す」


 自分が高校生の時に言われ一番腹が立ったセリフを、今はいている。大人はなんと了見が狭いのだと、思春期の何物にも縛られない心で、大人をあわれに思ったものだ。


「先生つまんないこというね。せっかく葉桜がきれいって教えてくれたのに。いろんな色があっておつだって言ってたじゃん。ルールが、ばかばかしい場合でも従わなければならないの? それを変えようって思っちゃダメなの? 決められたことをうのみにして、それで成長できるの? 個性を尊重するって教育方針は、大人の建前か! 先生たちはクローンをつくりたいだけじゃん」


 たたみかけるように言われ、了見が狭くなった俺は何も言い返せなかった。


「つまらないこというね」


 遠い昔に、同じセリフを聞いた。いったのは響子だ。


 響子と出会ったのは、一浪してようやく入った地元の美大。入学してしばらくたった授業中でのこと。

 適当にペアを組み、人物の油彩をかき上げる。それが出された課題。普通は大学がやとったモデルをつかうが、それでは面白くないといった教授の一言でそうなった。


 俺は誰にどう声をかけていいものかわからず、つぎつぎペアができていく広い教室内をひとり突っ立っていた。すると後ろから声をかけられた。

「あなた骨格がきれいね。すごく描きたい」


 振り向くと、ベリーショートに真っ赤な口紅をひいた女性が立っていた。それが響子だった。


 課題は一日で終わるわけもなく、持ち帰り自宅でしあげる。響子は自分の部屋でいっしょにしないかと、誘ってきた。


 一人暮らしの女性の部屋を訪問したことなんてない。どう返事していいかわからない俺を無視し、日時は勝手に決められた。


 古い木造アパートの2DKの部屋。奥の部屋はアトリエになっていた。その窓際にすわり外をながめていると、ふいに唇をふさがれた。


「赤い口紅がうつった」

 

 自分の唇に、響子の口紅がついている。そうイメージするだけで、恥ずかしいやら、いたたまれないやら、逃げ出したいやら。

 拳を握り締め、手の甲でぐいっとぬぐおうとしたら、手をつかまれた。


「なんでとるの? あなたは色も白いしきれいな顔をしてるんだから、似合うよ」


 そういい、もう一度唇を重ねてきた。

 その日、課題は一向に進まず、それから響子の部屋に入り浸る日々が始まった。 


 俺たちの交際は順調だと思っていた。

 大学三年の夏休み、響子は三年間ためたバイト代をつぎ込み、アメリカでバイクをレンタルし、スケッチ旅行にいくといいだした。もちろん一人で。


 女の子一人では危ないから、やめたほうがいいと俺は言った。

 響子の身を心配するなら、ついていけばいいのだ。でもそんなこと絶対言えなかった。


 美大に入り、そうそうに気づいたことがある。自分よりうまい奴なんてゴロゴロいる。絵で食って行こうなんて、夢のまた夢。

 そう思った俺は、堅実な教職課程を履修しだしたのだった。


 響子は違った。愚直なまでに絵に向き合い描き続けた。俺が眠る横で早朝から起きだし、裸のままキャンパスに筆をはしらせる姿を何度見ただろう。


 白いキャンパスをうめるのは、才能だけではない。努力という自分の中に蓄積されたゆるぎない信念も必要なのだ。

 

 響子はこの二つを手にしていた。


 そんな彼女に嫉妬し、アーティストとして大きく羽ばたくかもしれない響子を、女の身に落とし込み翼を折ろうとしたのだ。


 そんなおれの姑息を見透かし、つまらないこというね、そう一言だけ残し響子は旅立っていった。


 そのままアメリカから帰って来ず、響子は大学を中退した。

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