【加筆修正版】
葉桜の公園①
その生徒に目をとめたのは、入学式が始まるちょうど五分前。腕時計からふと顔を上げると、俺が担任を受け持つクラスの中に、彼女はいた。
体育館の傍には、春の日を存分に浴びた桜の大木がたっており、今が盛りと咲いていた。薄紅の雲が天から舞い降り、地上の木にやどったかと見まごう程の立ち姿。
そのすぐ下に、入場を待つ緊張気味な顔をした、花冷えにふるえる新入生の列が。
みな真新しい揃いの紺のブレザーに、縞のネクタイをしめている。女子はチェックのスカート、男子は紺のスラックスをはいて。胸には新入生の印、紅白のリボンをつけていた。
田舎の地方都市の中では、しゃれていると生徒からも保護者からも人気の制服だった。
時折風が吹き、豪勢に花びらをおとすその桜を彼女は見上げていたのだ。
他の女子生徒から、頭一つ抜きんでている。手足の長いすらりとした体躯に、肩甲骨のあたりまで伸びた、まっすぐでつややかな黒髪。
切れ長の目はどこか中性的で、髪を短くしても似合うのではないかと、いらぬ連想をさせた。
教師になり、数十回は繰り返してきたありふれた入学式の情景。でもたった一点の違和感が俺をひきつけ、目が離せなかった。
その生徒は美しく咲く桜を、殺しかねない物騒な目つきで、睨みつけていたのだった。
突然、春のきまぐれな突風が吹き荒れた。あたりは新入生の、黄色い悲鳴に包まれる。
騒然とする中、物騒な彼女のまなざしは桜からそれ、右に左に何かを追いかけさまよい始めた。
俺もつられて、その視線の先を追う。白くかすむ空に、紅白のリボンがひとつ風にあおられ、高く高く吹き上げられていた。
大空にとけかけたリボンは風がやむと、見る間にグラウンドの土の上に落下した。
マイクを通したざらついた耳障りな声が響く。
紅白の垂れ幕で飾り立てられた体育館から、教頭の晴れがましい声で
「第65回 私立緑風高校入学式を始めます。新入生入場!」
と号令がかかった。それを合図に、体育館の重い扉が思わせぶりに開かれた。
入学式がはじまる。
*
その年の春、世間は未曽有の混乱の渦中にあった。その落ち着かない世情に引っ張られてか、何時までも寒さがひかず桜は咲き続けた。
東日本で起こった地震がこの列島に大きな爪痕をのこした、そんな春だった。
新年度の教師は目が回るほど忙しい。それが、一年生の担任ともなればなおさらだ。
入学式で提出された書類のチェック。家庭調査票、腎臓心臓、各種保健調査票。それに加え、携帯電話の学内持ち込み許可申請書。
それらに不備があれば、保護者に連絡しなければならない。連絡がつくのは、夜ときまっている。帰宅は毎日九時をまわった。
新学期早々行われた学力テストの答案をそろえていると、思わずつかれの滲んだため息がもれた。
隣の席の数学教師が、耳ざとく俺のため息に気づき声をかえてきた。
「何ため息ついてんですか。いいじゃないですか。美術は受験科目じゃないんだから。こっちは頭が痛いですよ。今年の新入生、数学が苦手な子多くて。平均点が出るまで胃が痛いったらないっすわ」
俺より十は若い教師に、コケにされた。いや、コケにされたんじゃない。羨ましがられているんだ。そう思い、曖昧な笑みをかえす。
地方の進学校で美大に進む生徒など皆無。美術など無用の長物だ。生徒にとって息抜き程度の科目。そんなやる気のない生徒にも、教えないといけない。それが教師の仕事だ。そう割り切る事で、この仕事を続けている。
その翌日に新学期恒例の服装検査が行われた。廊下に生徒を一列に並べ、校則で規定されている服装を遵守しているか、一人ひとりチェックしていく。
まず男子から。ネクタイを締めなれない生徒の歪みをなおしてやり、第一ボタンまでしまっているか、前髪が眉にかかっていないか見ていく。おおよそ男子はスムーズにいくのだが、問題は女子だ。
「君、眉毛整えてるよね。ダメだから。後、前髪。眉にかかってるから切るかピンでとめなさい。なおしたら、職員室に言って教頭先生にみてもらって」
そこまでいって、スカートの丈をチェックするためかがみこんだ。
「男の先生が、スカートの裾覗き込むとか、気持ち悪いんだけど」
俺の頭上から辛辣な声がかかり、一瞬でその場の空気が凍りついた。顔をあげそのセリフをはいた生徒を探す。
入学式の日、桜を睨みつけていた春川桜子だった。
「すまない、きまりだから」
もっと強く言うべきだ。生徒指導の松尾先生にはいつもそういわれる。最初が肝心なんだから、威圧的にいかないと、なめられる。そう何度も言われた。
それでも、一糸乱れぬ服装に何の意味があるのかわからない俺は、生徒に強くいえない。そこまで俺は器用ではないし、厚かましくもない。
春川の番になった。スカート丈が短い。膝が出ている。そう恐る恐る注意すると、しぶしぶウエストで折り返していたスカートをさげた。
その顔は不服そうにゆがんでいた。
思ったことを口にし、思ったとおりの表情をする。そんな、あからさまな若さを笑うどころか、まぶしく感じ春川から目をそらし次の生徒に向き合った。
新学期がはじまって、最初の休日。一人住まいの部屋は、耳が痛くなるほどの無音。家に持ちかえった書類の整理をする俺の傍らには、コンセントがぬかれたテレビ。
震災から一か月たとうとしていたが、未だその被害の全貌はみえない。日々増えていく犠牲者の数字。そんな惨状を流し続けるテレビから逃げたくなり、コンセントはぬいた。
仕事も終わり夕飯までまだ時間がある。何もすることがなくなり、散歩に出かけた。勤務する高校から離れているので、うっかり生徒に会うこともないだろう。近くの公園までほんの気晴らしだった。
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