葉桜の邂逅

 日は沈み、薄闇がひたひたと足元から迫ってくる。その闇が胸までせりあがり、俺を責める。


「震災をつたえるテレビで毎日増えていく数字。あの数字の人たちは、みんな明日はくるって思ってたよね」


 その問いにコンセントを抜きっぱなしにしている俺は、何もいえない。明日はかならず来るなんて、言えるわけがない。


「あの人たちは、一人ひとり明日したいことがあったはずなのに、それが突然できなくなっちゃった。だから私は、明日をまたずに今日する。三年後なんて、まってられるか!」


 そう叫んだ声が、もう誰もいなくなった宵の広場にこだまする。


「先生ごめんね、せっかくここまで来てくれたのに。学校は私みたいなのさっさとやめてほしいはずなのに、先生は引き留めてくれた。それだけでうれしいよ」


 屈託なく笑う顔をまともに見られなくて、うつむいて、首を横にふる。

 もう、何を言ってもダメなんだな。もう決めてしまったんだな。


「高校を辞めてどうするんだ?」


 最後ぐらい、担任らしく心配はさせてくれ。


「ママがねアメリカにおいでって。だからアメリカの高校にいく」


「ママ? おまえもう一人お母さんがいるのか」


「そう、私お母さん二人いるの。ママは今アメリカで仕事してるんだ。アメリカの方が私にあってるって」


 実の母という事か? 今の母親は再婚? 家庭調査票では、そこまで突っ込んだ家庭の事情はわからない。父親はどこにいるんだ。

 聞くべきかどうか悩んだが……やめた。それこそ、春川にとって親など些細なことに違いない。


「今日お母さん、被災地から帰ってくるんだ。もう電話では、高校やめてアメリカに行くって言ったけど、病院まで迎えに来たの」


 そういい、木陰の向こうの母親の勤務する総合病院を見やる。今日被災地から、まず病院に帰ってくるのだろう。

 被災地の母とは連絡とれなかったんじゃなかったのか。本当に食えない奴だ。


「先生は、このままでいいの? 先生、絵を教えるのは好きだけど、学校嫌いでしょ。いっつも美術準備室にいるし」


 余計なお世話だ、そう口にしようとしたら、春川を呼ぶ声がした。

 その声に向かって春川は全力で駆け出した。

 もう俺は、母親の顔を見ても動揺しない。大きく手を振る春川に、俺も手を振り返した。


                  *


 先週予定していた、秋田絵画教室の写生大会は雨のため今日に延期となった。先週ならば、桜は満開だったが、今日はもう葉桜。

 生徒たちは、思い思いのスケッチ場所にちってそれぞれの葉桜を書き始めている。


「せんせーい、こここれでいい?」


 小学四年生のなおちゃんが、画板ごと、緑の葉っぱに覆われた葉桜の絵を俺に見せてくる。


「そうだねえ、よーく見てごらん、葉っぱはこんな風に同じ方向をむいてるかな」


 俺の言葉になおちゃんは素直に葉桜を見る。


「違った、バラバラの方向だ」


 そういって、自分の絵に葉っぱを書き足していく。その方向はバラバラで、いろんな大きさをしていた。


「今日は絶好の写生日和ですなあ。この公園で写生するのも今年で七回目ですか」


 絵画教室を始めたころから通っている原田さんが、そう俺に声をかけた。


 春川が高校を去った翌年、俺は教師を辞め、自宅近くにアトリエをかまえ絵画教室を始めたのだった。


 明日をまたずに今日する。春川が残した言葉を一年たってから実現させた。

 春川とわかれた公園を教室の写生大会の場にしているのは、偶然じゃない。

 俺の出発点だからだ。


 原田さんの絵を見ると葉桜をながめる人物が書き込まれていた。


「人物を書き込んだんですね。桜と対比になっていいですね」

 そう俺が感想を言うと、原田さんはニンマリ笑っていった。


「あっちにね、すごく絵になる外国人の二人連れがいたんですよ。一人は黒人の男性なんだけど、まースタイルが良くて九頭身かっていうくらい。女の人は緑の髪して個性的で美人。これはいいって思わずいれこんでしまいましたよ」


 ハリウッド映画好きな原田さんらしい着眼点だ。


 しかし、こんな地方の公園にまで外国人観光客が来るようになったのか。時は確実に流れている。


 緑風高校に、女子のスラックスの制服が導入されたのは、去年の春。スカートとスラックスを自由に選択できるようになった。

 春川の願いは八年遅れて、ようやく届いたのだ。でも、その事を春川に伝える術を俺はもっていない。


「先生、あの二人連れですよ。モデルさんみたいだなあ」


 原田さんに促され、桜並木の下をこちらに歩いてくる人影に目を向けた。

 緑の髪の女性と目があった。とたん、彼女はこちらに向かって走り出したのだ。


「せんせーい! なんでこんなとこにいるの」


 そういい俺に抱きついてくる彼女の全体重を受けとめ、後ろに倒れこみそうになったが、なんとか踏ん張った。


 抱きついて離れない、美女をむりやりひっぺがし、その真っ赤な口紅がぬられた顔をしげしげとながめる。


「春川なのか?」


「ひどーい。わかんなかったの」


「おまえ、かわりすぎだろ」


「先生はあんまかわんないね。髪が白くなっただけで。ロマンスグレーで素敵」


「アメリカから帰ってきたのか」


「帰ってきたって言うか、ビリーが私の育ったところが見たいって言うから連れてきたの」


 そういって、黒人モデルをふりかえる。

 英語で挨拶され、見上げるような長身の彼にもハグをされた。


「ビリーは、ブランドを立ち上げたパートナーなの。私ファッションデザイナーになったんだよ」


 そう言って、春川は英語で俺の説明を始めた。で、終わるとそのパートナーとマウスツーマウスのキスをした。

 周りにいた生徒たちが息をのむ。ここは日本だぞ、春川。


「彼と結婚するのか?」


「結婚? プライべートでもパートナーだけど籍はいれないよ、めんどくさい」


 どこまでも、しばられない。相変わらず自由だ。その自由を武器に、自分の道は自分で切り開いたんだな。教師なんてお前には必要ないよ。


 そんな笑いをかみ殺している俺に、春川はピンクのブラウスをたくしあげ、腕を俺に見せる。


「アメリカにいったばかりのころ、強盗にここ刺されたんだ」


 腕には一文字に走る傷があった。


「その時ばかりは、先生のいう事聞いて日本にいればよかったって心底思ったよ。先生は私を守ろうとしてくれた、自由には代償がいるんだなって。やっとわかった」


 そんな昔の事をいわれても、あの時守りたかったのは、春川だったのか自分の中の何かだったのか、もう忘れてしまった。


 春川の名を呼ぶ声がする。またいつものパターンで母親だろう。そう思いその声の主を探す。


 葉桜をバックにこちらに歩いてくる人影は、おもむろに口を開いた。


「葉太なの?」


 三十年ぶりに会う、響子だった。春川の実の母は響子だったのか? しかし、響子はアメリカでアーティストになったと聞いた。春川はアメリカで生まれたのか?

 頭の中をめぐる三十年ぶんの疑問。


「ママと先生知り合い?」


「元カレよ」


「ママ、男の人もOKだったんだ。ていうか先生の名前ようた?」


「葉っぱに太いって書くの」


「自分の名前に葉がついてるから、葉桜もおつとかいったんだ。えーなんかショック」


 俺を無視して進む会話。「男の人もOK」とは、どういうことだ……


「響子が春川を産んだのか?」


「そうよ、精子提供を受けて、私が日本で産んだの。で、薬剤師の彼女の籍にいれたわけ」


「ママとお母さんは、パートナーなんだよ先生。でも知らなかった。ママ男の人ともつきあえるんだ」


「男の人なら、葉太が今でも一番好きよ。すごく常識的で私にないものを持っていたから」


「アメリカでアーティストをしていたんじゃなかったのか?」


「二年で挫折したの。そんなに甘くない。日本に逃げかえってきて彼女と出会って、桜子を産んだ。でも、夢をあきらめきれなかった。それで、再度アメリカに渡ったの。今は、なんとか活動は続けてる。あなたは、どうしてる?」


 これから、つもる話をしようじゃないか。それと、娘のことを少々愚痴らせてくれ。元担任として。



                 了














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