現実
鳥の声が聞こえる。僕はゆっくりと目を開けた。
「てつ……?」
と、懐かしい声が聞こえた。横に首を向ける。そこには、母さんが居た。母さんは、何日も眠っていない様な、そんな酷い顔をしていた。母さんが僕の名前を叫ぶ。母さんはむせび泣きながら、力強く僕を抱きしめた。
「哲夫ッ」
病室のカーテンが勢いよく開く。そこには父さんが立っていた。ローソンにでも言って来たのか、僕の好きな大量の唐揚げ君が、ビニール袋越しに見える。驚いた表情の僕を胃て、父さんの顔のしわが緩んだ。そして、父さんの目から、涙が毀れた。
父さんは、母さんの上から、思いっきり僕を抱きしめた。二人の温かい体温と、毀れ落ちた涙の熱さを感じる。混乱しながらも、僕の意識は段々とはっきりと目覚めていた。
そして、次の瞬間、僕は全てを思い出した。ひぃ、と息を呑む。母さんが顔を上げた。過呼吸になり、息が吸えなくなる。父さんが慌てて、持っていたローソンの袋を逆さまにする。大量の唐揚げ君が、白い布団の上に転がった。母さんが、父さんから袋を引っ掴み、僕の口に押し当てる。僕は目を見開きながら、息を何度も吸った。ビニール袋が音を立てる。母さんが、僕を震える手で抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫やからね、もう大丈夫やから」
母さんが僕の頭を、優しく撫でる。僕はぼろぼろと涙をこぼした。
「ごめっ、ごめ、なさい」
僕は皆森を殺してしまった。
この手で、殺してしまった。
母さんが、もう一度僕を抱きしめた。
「哲夫は悪くない、悪いのはあいつ等や、謝らんくてもええ、大丈夫やから、よく頑張ったよ、本当によく頑張ったよ」
つむじに母さんの涙を感じる。
母さんの胸の中で、僕は永遠に涙と嗚咽を吐きだした。
暫くして、僕の発作が落ち着くと、僕の担当医らしき男が現れた。数個か簡単な質問に答えた。
一時間ほど経つと、何処からともなく二人組の男がやって来た。傍目から見たらただのおじさんだが、父さんと母さんに見せた手帳から、この二人が警察だと言う事を知った。警察が来ると、母さんと父さんは申し訳なさそうな顔で僕を見て、四人で病室の外に行ってしまった。
「別に、今じゃなくても…」
病室の扉の向こうから、霞が掛かった母さんの囁き声が聞こえる。
「ええ、私どもも申し訳ないと思うのですが、上の指令ですので…。十分程で済みますし、哲夫君の発作が起きない様に、お母様達もご同伴頂けるので…」
何分か囁き声が続いた後、四人は僕の病室に再び戻って来た。病室のカーテンが開かれる。
警察の一人の、灰色の服を着ている強面の方が、金本、チェックのなよなよしている方を、飯沼と名乗った。
「こんな格好で申し訳ないけどね、いや、ご家族の方も、私達も、金田君が何時起きるか見当が付かなかったものだから。先程金田君が目を覚ましと連絡を頂いて、慌ててやって来たんだよ。今が何日か分かるかい?」
と、金本が言った。柔らかい声色だった。金本の顔をよく見てみると、気の強い顔の中に、優し気な皺が幾つも浮かんでいる事に気づいた。僕は首を横に振った。
「今日は、月曜日。つまり金田君は三日間眠っていたんだ」
「三日……」
僕は茫然と呟いた。
「お医者さんによると、精神てなショックが原因だと言っていたよ。でも、今日、君が目覚めて本当に安心した」
金本が微笑む。
「……さて、金田君。君に何個か質問をしたいんだが、大丈夫かな?因みに、これは尋問でも何でもない。答えたくない質問には答えなくても良い。金田君には黙秘権があるからね。でも、今後の捜査の為に、君が出来る限り、私達に協力をしてくれると有り難い」
僕は既に、覚悟はつていてた。
「大丈夫です」
と、僕が言うと、金本は優しく微笑んだ。
「まず、君が水島恵さんについて聞きたいのだけど、大丈夫かな」
僕は頷いた。
「君が水島恵さんを強姦した、それは認めるか」
僕は頷いた。
「それは、君の意志でか、それとも皆森明美さんに強要されてなのか、どっちかな」
「………分かりません……」
「自分から恵さんを強姦したと言う事かな」
「……それは、違います」
「皆森さんに恵さんを強姦しろと直接指示されたのかい」
「……直接は、されてないです」
「じゃあ、何で最初、分からないと答えたのかな」
僕は口を噤んだ。僕自身でも、何故自分が分からないと答えたのか分からなかった。口を開く。
「…僕は初め、嫌だって、おかしいって、言って……、でも気づいたら、自分でもよく分かんないけど、メグを……」
ベットの上の布団を握りしめる。母さんの手が僕を優しく包み込んだ。さらさらと、ペンが紙の上を走る音がする。
「質問を変えよう。どうして君が更生…対象者だったかな、になったのか教えてくれる?」
「……動画…です」
「動画?」
金本が眉を顰める。
「動画が、僕がメグを…………お……犯しているとこを取った動画を、皆森が撮ってて、それを皆が見て、それで、山中が、リュウが死んだのは、お前の所為だって…」
金森が手に持った手帳を捲った。
「西崎龍君の事かい」
僕は頷いた。
「…詳しく教えてくれるかな」
「……リュウが、僕に話をしたんです。それで、僕はリュウに、気持ち悪いって、言って、その話を、僕は、夢野に言って……次の日、リュウが自殺して先生から、ツイッターの話を聞いて、それで、だから…」
「龍君の事が、ツイッターで拡散されたって言う話だね。ツイートの内容は、龍君から聞かされた本当の話なのか?」
「ちが、違います」
と、僕は否定した。もしここでそうだと言ってしまったら、恐らくリュウの家族に連絡が行く事が違いない。ツイートならまだ馬鹿らしい噂話と言える。でも僕がそうだと言ってしまったら、リュウの家族はどう思うだろうか。そしてリュウはどう思うだろうか。
「あれは……僕の嘘です。夢野がリュウが好きだって気づいて、咄嗟に、嘘をついたんです。夢野がリュウを諦めるように」
「君がそれをツイートしたのか」
「僕じゃない……皆森です。あいつが言ってました。リュウにツイートするぞって、脅して、屋上から、屋上から飛……び降りさせたって」
布団の上に、ぽたぽたと涙が落ちた。金木の顔が歪む。
「それは本当?でも、どうしてそんな事…」
「僕も分かりません。実験とか言ってたけど、あいつ、頭おかしいんだ。普通じゃない」
金木と飯沼が目配せをした。飯沼が手帳にメモをする。
「土曜日、君は何をしたか覚えているかな」
「薪を割っていました」
「場所は覚えてるかな」
「家の、横の森の、父さんの丸太小屋のとこで…」
「大体、何時か覚えているかな」
「お昼の、一時か二時ぐらい……でもはっきりとは覚えてません、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、それが普通だから。皆森さんに会った時間帯は覚えているかな」
「それも分かりません」
「どういう状況だったか、教えて貰えるかな」
「…薪を割ってたら、皆森が何時の間にかいて、僕に鞄を投げたんです。それで、僕は倒れて、皆森はスマホでゲームしてて、そしたらいきなり、皆森が変な事喋り出して…」
「変な事?」
「人の恐怖とか…、あと、スタンなんとかの実験とか……。その後、皆森が突然、死んでくれって言って、…今死ななきゃ、ずっと自殺するまで虐め続けるし、…メグの動画をネットに流すって…」
「…そうか…」
金木は呟き、静かに立ち上がった。
「今日の所はこれで終わりです。また、日を改めてお伺いしますので。ご協力有難うございました。後々、新しい情報が渡り次第直ぐにお伝えしますので」
母さんに向かって背を曲げる。そして病室のカーテンを開き、病室を出ようとした。僕は去りゆく背に向かって声を上げた。二人が振り向く。
「僕は……、僕は、死刑になるんですか…」
金木が微笑む。
「死刑にはならないよ。強姦に関与したとはいえ、君は被害者だ。恐らく何の処罰も下されない……と私は思う。…裁判の判決次第だがら、まだはっきりと言えないが……」
僕は声を絞り出した。
「でも、僕はメグを犯して…それに皆森も……皆森も殺したのに…」
金木が驚いた顔で僕を見た。
「皆森明美は、まだ生きてるぞ?」
あの日、母さんは家から出てすぐに、財布を置いてきた事に気づいた。そして慌てて家に戻ったが、牧場にも僕の姿が見当たらなかった。薪を割っているのだと思った母さんは丸太小屋に行き、皆森に斧を振り上げていた僕を見つけ、止めた。僕は錯乱状態で、まともに話も出来なかったと言う。
皆森はすぐさま警察に引き渡され、その間、僕は眠り続けた。初め、皆森は僕から殺されそうになったのだと主張した。僕から証言が何も取れず、大半の人が皆森の言う事を信じ始めた時、金本さんが皆森の事を疑い始めた。
金本さんが皆森に違和感を感じたのは、彼女の小学校の頃の厳重注意の多さと、その内容だった。試験管の割れた破片を給食に混ぜる、学校のハムスターの首を切って犬に食べさせる、実験と称して同級生の爪をペンチで剥がす。そしてまた、皆森は過去の女子高生自殺事件に関与した人物として、警察のファイルの中にひっそりと記録された。
そこから金本さんはクラス全員に調査を行い、一人が『更生』について口を割った。そこから捜査を重ね、皆森がやった全ての事が明るみに出された。
金木さんの話を聞きながら、僕は全身から力が一気に抜けていくのを感じていた。
夢だった。
あれは全部夢だったのだ。
「だから安心しなさい」
そう言って、金木さんは僕の頭を撫でた。
窓の外から朗らかな小鳥の歌声が聞こえていた。
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