真相
けたたましい目覚ましの音で目を覚ます。僕は頭を振りながら、体を起こした。自分の体から、微かに獣の匂いが香った。大量の肉を胃に押し込んだ腹は、まだ膨らんでおり、まるで赤ん坊を孕んでいる様だった。
僕は激しい頭痛と共に制服に着替えた。スクール鞄の中に、昨日持ち帰った、内臓の詰まった袋を押し込む。
リビングに行くと、既に朝食が用意されていた。僕が起きてきたと分かると、母さんは直ぐに台所から飛び出して、僕を抱きしめた。
「もう治ったの?今日、休んでいいんだよ」
そう言う母さんに、僕は、大丈夫、と言った。
「今日はご飯、要らないから……」
そう言うと、母さんは何か言いたげな表情をして、そして目を伏せた。僕はふらつく足並みで、玄関の扉を開けた。
僕は旧校舎の裏にある、小型焼却炉に持ってきた内臓を落とした。そこらへんに散らばっている落ち葉を拾い、内臓の袋の上に落とし、火を付ける。渇いた葉は燃えやすく、小さな火が段々と大きく広がって行くのを、僕は黙って眺めた。袋から飛び出した内臓が、悪臭を放ちながら黒くくすんでいく。僕は暫くの間それを見つめ、そして蓋を閉め、そこから立ち去った。
教室に入ると、既にホームルームが始まっていた。クラス全員の視線が僕に突き刺さり、吐きそうになる。
僕は下を向いたまま、誰にも視線を合せないようにして自分の席に座った。話の腰を折られた橋本が、ええっと……と声を漏らした。
「………そして、部活に行くと言って、朝から出かけたらしいのですが、それから家に帰ってきてないとの事で、今、警察の方が捜査に当たっているそうです」
僕は俯きながら、体を揺らした。
「一日だけなので、もしかしたら家出とも考えられますが、彼女の性格からして、それは無いと思いますし……もしかしたら事件に巻き込まれたかもしれません」
クラスがざわつき、僕は思わず顔を上げた。クラスの全員が、険しい顔をして橋本を見つめている。
「誰か、何か知っている人は居ませんか」
沈黙が教室に流れ、橋本は困惑したように辺りを見渡した。
突然、前の席の山田が顔を横に動かした。何かを見つめている。僕も山田の視線を追って、横を向いた。教室の真ん中で、椎名が弱弱しく手を挙げていた。クラスの目が、椎名に集中する。
椎名がおずおずと立ち上がり、ゆっくりと僕を見た。
「…昨日…、……その…」
え。
椎名の指先が、僕を指す。
「皆森さんが、金田君の家に遊びに行くって……言ってまし…た」
ばっ、と途端にクラスメイトの視線が僕に集まった。橋本が険しい表情で僕を見た。
「金田君、ちょっと……」
そう言って橋本が、教室を出る様に目配せをする。僕は混乱しながら、教室を出た。
「本当なの?」
険しい表情をして、橋本が僕に問いかける。僕は混乱したまま、引き攣った声で言った。
「な、何、何なんですか?」
橋本が顔を歪ませる。
「……昨日から、皆森さんが行方不明なの」
雷に撃たれたかのように、体が固まる。口の中がからからに干上がり、舌がざらざらに縺れる。
「貴方、昨日皆森さんと会ったの?」
違う会ってない会う筈が無いだって僕はその時牛を牛を、記憶が混ざる、血の香り、肉の香り、笑っている皆森、僕を見下ろす皆森、僕に鞄で殴りかかる皆森、星のストラップが付いた鞄。
あれ。
と僕は思った。
昨日の夜、スクール鞄を、僕は家に持って帰ったっけ?
体が震える。
違う、僕は、あそこに、クーラーボックスの近くに置いた、そして、でもさっきのスクール鞄。
まさか。
まさか。
「ちが……ちがう……」
唇が震える。
「僕、僕ちが、ぼ、」
橋本が僕の肩を掴んだ。
「金田君ッ」
橋本の、女性器の様な唇が震える。それと、橋本のまんこが重なる。記憶の中の橋本が、その弛んだ乳房を僕の胸に押し付ける。僕は奇声を発して、橋本を殴った。橋本が蛙の様な音を出して床に崩れ落ちる。僕は逃げた。走った。橋本の悲鳴が聞こえ、足音が聞こえ、僕は走った。何も考えられなかった。ただ廊下を走る。階段を飛ばし、一気に飛び降りる。自転車置き場に走り、自分の自転車を引っ掴んで、飛び乗った。ペダルを踏む。自転車を投げ捨て、牧場を突っ切る。
「ちょ、てつッ!?」
牛に餌をやっていた母さんが叫ぶ。それを無視して、倉庫まで走る。倉庫の裏のクーラーボックス、その近くに落ちたスクール鞄。
僕は昨日の夜、スクール鞄をここに置き忘れた。それなのに、今朝、僕の部屋にはスクール鞄があった。
僕は震える手で鞄のチャックを開いた。逆さにする。鞄の中の物がバラバラと落ちる。教科書、弁当、CD…。嘘だ。嘘だ。教科書を見る。裏返す。マジックペンで書き込まれた、『皆森明美』の字。息が荒い。信じられない程、心臓が荒れ狂う。教科書を落とす。
僕は勢いよく、クーラーボックスの扉を開けた。
ぎゅうぎゅうに詰まった肉を手で掴み、地面に投げ捨てる。漏れたドライアイスに指先が触れ、皮膚が焼ける。肉と肉の間、奥底に置かれたタオルの塊、それを広げる。肉のこびりついた、人間の、頭蓋骨。
あ、あああ。
僕はそれを地面に落とした。後ろから、母さんが絶叫する声が聞こえる。
皆森、血だらけの、血だらけの子牛、皆森、斧、肉の焼ける音、皆森の笑い声、子牛の鳴き声、皆森、肉が肉と子牛と皆森が眼球と骨と骨と肉だけの皆森が僕は斧で、笑い声、斧赤い真っ赤な皆森が痙攣してそして僕は僕は僕は
僕は、皆森を。
肉の焼ける臭い。
食べたんだ。
全身を使って、小さい斧を振り下ろす。バキッ、と木の割れる音がして、足元に割った薪が転がった。
頭痛が酷い。頭痛が眼球の視神経にまで響く。すぐ帰って来るからね―――母さんの声がぐわんぐわんと回るお椀の様に響いた。
頭が痛い。新しい薪を丸太の上に置く。斧を握る。振り下ろそうとした、その瞬間、僕の体が横に吹っ飛んでいた。
「ごーるいーんーー」
かふっ、と口から息が漏れた。脇腹が熱くなる。僕の体に当たったスクール鞄が、音を立てて地面に落ちる。
「何してるの、こんな所で」
腹を押さえる僕に、皆森は笑いながら近づいた。僕は情けない悲鳴を上げながら、僕は皆森から離れた。にこにこと笑っていた、と次の瞬間に皆森は無表情になった。
「まぁいいや」
ポケットからスマホを取り出し、さっきまで薪を割っていた切り株の上に座る。
皆森が僕の事を無視して、スマホを弄る。場違いに明るい電子音が、僕の耳に劈いた。僕はただ、恐怖で皆森を見つめた。ポイント獲得ならず、残念~、と、皆森のスマホから可愛らしい声が上がった。さっきの衝撃で吹っ飛んだ斧が、皆森の近くの地面に転がっている。突然、皆森が言った。
「何で人って、恐怖を感じるんだと思う?」
皆森が顔を上げる。皆森の瞳の奥に、一切光が映っていなかった。
「恐怖って、動物でも何にしろ、本能で感じるんだって。でも無駄だと思わない?なんかさ、喜怒哀楽とか、全部めんどくさい感じ」
僕は皆森から目が離せなかった。金縛りにあった様に、体がぴくりとも動かない。叫び声も挙げられない、そして、息も出来ない。
皆森が笑う。
「馬鹿はね、理由を欲しがるの。何にも責任が取りたくないから、いざって時に責任逃れ出来る様に。私はただ、スタンフォードの実験の結果が正しかったか、興味があっただけ」
僕は震えながら、皆森を見つめた。
「だ、から……お前が、更生なんて…事、考え…」
え、と皆森が驚く。そして直ぐ納得した様な声を出した。
「あー、羽川君が言っちゃったのかぁ」
僕は絶叫した。
「みっ、峰音も、ほんと、はお前を、虐めてなかった、んだ、ろッ、お……おまえ、いったい、何、何考えてんだよッ」
「実験だよ」
と、皆森が言った。
「峰音のは冤罪事件みたいに出来るかなぁって思ったの。私、あの子嫌いだったし。ま、今回ので、どこまで人が他人に流されるかとかが分かって、面白かった。でも、もうそろそろ終わりにしなきゃね、ばれたら面倒さいもん」
皆森がゆっくりと、立ち上がった。
「おまえ、何……言って…」
皆森が地面に落ちた斧を拾い上げる。そして、斧の柄を僕に差し出した。
「金田君、死んでくれない?」
皆森は微笑んだ。
「今、死ななきゃ、金田君、一生虐められちゃうんだよ?クラスが変わっても、金田君の所に遊びに行くし、エスカレーター式で高校も一緒だしね。因みに私達から逃げたら、あのビデオ、ネットに流すからね。そしたら金田君、大変だね。人生終わっちゃうね」
皆森が僕に近づいた。僕の腕を取る。そして、僕の手の平に、斧の柄を当てた。
「今ここで死んだら、楽になれるよ?ね」
皆森の手が僕の手を包み込み、無理やり斧を僕に握らす。
「あそこの切り株有るでしょ、あそこに頭置いてさ、斧を持った方の腕を、こうやって横に伸ばして、内側に下ろせば簡単だよ」
僕は弱弱しく、斧を握った。皆森の手に引かれ、切り株へ歩く。一歩一歩を踏み出すたびに、足が沈む。
僕は膝を落とし、切り株に耳を付けた。耳の奥から、蜂が飛び回っている様な音が聞こえる。僕は斧を持っている右腕を、首の付け根の延長戦になる様に伸ばした。がくがくと、腕が振るえる。ずぼんが、生温かい液体で満たされているのを感じる。腕が振るえる。手の力が抜け、斧が斜めに傾く。その瞬間、僕は悲鳴を上げ、斧を放り投げて横に転がった。泣きじゃくりながら、皆森の足元に縋り付く。
「ゆるじて、いやだ、じにだくない」
皆森が舌打ちをして、僕の腹を蹴った。皆森が落ちた斧を取りに行く。僕は腹を押さえ、震えながら背を丸め、地面に倒れ込んだ。
「変なの」
皆森が呟きながら、僕の目の前に斧を差し出した。僕の手を引っ張り、無理やり握らせる。
「出来るでしょ?」
僕は過呼吸になりながら、皆森を見つめた。皆森の顔が歪む。
「苛々するなぁ。西崎君は金田君より潔かったよ」
皆森が拗ねたな声を出す。
え。
「やっぱり見た目も悪いと男気も無いね。だから不細工って嫌いなのに」
皆森が溜息をついた。全身が震えるのを感じた。
「なん…で、なんで…お前が……」
僕の顔を見て、皆森が吹きだした。鈴の音の様な笑い声をあげる。
「あのね、高い所から飛び降りても、真下に木があって、助かって言う話よく聞くじゃない?それが本当が確かめたったの。お前がホモだって、ツイートするぞ~、って言ったらね、直ぐに飛び降りて、ふふ、あははっは」
皆森が笑う。
「死んじゃったぁ」
体の震えが止まる。
「有難うね、金田君のお蔭だよ」
僕を見て、皆森が心底驚いた様な声をあげた。
「え……あれ?金田君……気づいて無かったの?あの時、私、金田君の直ぐ近くにいたんだよ?」
「うそ……だ」
僕は呟いた。皆森が不思議そうな顔をする。
「何の利益も無いのに、どうして嘘をつかなきゃいけないの?」
「でも…、携帯に、ごめんって……いしょ、が…」
「それは、私が打ったの」
心臓の音が高まる。僕はゆっくりと斧を握った。皆森に近づく。
「お前……お前、が、リュウを……」
「何言ってんの?」
と、皆森は顔を歪めた。
「西崎君が勝手に死んだんだよ」
僕は斧を振り上げた。
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