告白


 当たり前の様に夜は沈み、陽は昇る。全く眠れず、眼球にまで来る様な頭の痛みが僕を悩ましたが、学校を休む事も出来ず、僕は学校に行った。

メグの姿は勿論見えなかった。メグが他の人、保護者や先生に密告する事を恐れたが、それは有り得なかった。こちらにも、メグが皆森を虐めていたと言う、強力な証拠が揃っているのだから。

 何が起こったか知らない羽川は、いつもと同じようにアニメの話ばかりしていたが、途中から僕の様子に気づき、大丈夫かと声を掛けた。羽川の優しさに、思わず、昨日の事をすべてぶちまけたくなった。しかし、出来なかった。

 僕は所詮、ずるい人間だった。

やっぱり他人よりも自分のほうが可愛かった。

メグの事を言って、僕がメグを強姦した事がばれるのは、絶対に死んでも嫌だった。メグ達と違って、僕にはまだ未来がある。少年院にぶちこまれ、母さんと父さんを悲しませたくなかった。強姦魔と周りから罵られたくなかった。

だから僕は、なんでもない、そう羽川に返した。

 羽川は疑い深そうな目で僕を少しの間見つめていたが、そうか、と呟くと、またアニメの話に戻っていった。十分ほど、最近話題のアニメ主題歌について羽川が喋っている時、不意に誰かが僕の肩を掴んだ。

「よおー」

 それがサンチュだと気付き、僕の背中に一気に鳥肌が立った。

「どうや、調子」

 サンチュがそう言って僕に笑いかける。僕はひきつった笑顔で、ええよ、と言った。サンチュが僕の耳に口を近づけた。

「どうだった昨日の」

 心臓が暴れる。僕は言葉を失い、俯いた。サンチュが手に力を入れる。

「誰かにチクったらお前も同じ目に合わすからな」

 息を呑んでサンチュを見る。その瞬間、サンチュはパッと手を離した。

「冗談に決まっとるやん」

 サンチュが大声で笑う。瞼の脂肪に押しつぶされ、細くなった瞳の奥は、何の表情も無く、ただ僕を見つめいてた。あの時の、山中と同じように。

僕は泣きそうになりながら、弱々しい声で、笑い声をあけた。

「また何かあったら呼ぶわ」

 そう言って、サンチュは皆森のグループに戻っていった。恐怖で吐きそうになり、慌てて口を押さえる。昨日の出来事が、まるでスライドショーを次々に見ているかのように目の前に現れた。耳の奥からメグの悲鳴が聞こえた。

「ちょっと」

 と羽川の声で僕は現実に引き返された。

「大丈夫かよ」

 僕の体を揺さぶる。僕は頭を縦に振った。羽川が山中達がこっちを見ていないことを確認しながら、低い声で僕に聞く。

「金田君おかしいよ、絶対、何があったん」

 羽川が酷く心配そうに僕を見つめる。羽川はもう一度山中達の様子を確認し、僕を引っ張って立たせた。

「保健室行こ、ついてくから」

 僕は羽川の手を降りほどき、いいよ、と言った。

「いいから」

 羽川が急に僕を睨み凄んだ。僕を引っ張って、次の授業の準備をしている先生の所まで連れていく。

「なんか、金田君、気分悪いみたいなんで、保健室連れてきます」

 そして先生の返事を聞くや否や、教室から飛び出した。僕は意味も分からぬまま、羽川に連れていかれ、一階の階段下まで連れていかれた。羽川はちらちらと周りを伺いながら、口を開いた。

「金田君、この事、誰にも言わないって、約束してくれる?」

 羽川が小声で囁く。僕はぼんやりと頷いた。

「………峰音さんは、本当は皆森さんの事、苛めてなかったんや」

 僕は目を見開いた。

「これは、僕だけが知っとる…。僕は、山中達が気づく前から、皆森さんがメグ達に虐められとんの知っとった。……皆森さんが来てから一週間ぐらいたってらへんに、僕、自転車の鍵失くして、昼休みに落としたんかなって思って、中庭に行ったら、メグ達が皆森さんを虐めとんの見てまって……僕、怖くて、直ぐに逃げた……それで、皆森さんが虐められとんの、違う場所で、二、三回は見た。でも、その時、峰音さんは居らんかった」

 心臓の音が五月蠅い。

「……皆森さんが、山中君達と仲良くなったのって、皆森さんが怪我したのを、山中君達が保健室に連れていったのがきっかけって、聞いたでしょ。でも、実際は、違う。山中君達が、皆森さんが虐められてメグ達にほったらかしにされとったのを見つけたんや」

 僕は、ぱくぱくと口を開け、声を絞り出した。

「な…なんで、それ…お前が知っとんの…」

羽川が僕から目を反らした。

「僕が……僕が『更生』を、提案した…から…」

 羽川が息を吸う。

「でも実際は、僕が考えた訳じゃ無い、考えたのは、皆森さんなんや、皆森さんが、僕に教えて、僕が、自分で考え付いた風に山中君達に話して、それで…」

「ど…どういう事だよ、意味分かんねぇよ」

 僕は震えながら言った。口の中がからからに乾いていた。羽川も僕と同じように、震えていた。

「山中君達が皆森さんと仲良くなってから、山中君から、皆森さんが虐められとって、どうにかしたいって、そうやって相談された。僕もなんとかしたかった、そしたら、皆森さんからラインがあって、皆森さんが虐められとる物理的証拠を集めて、それを脅しに『更生』させてくれって、でも、皆森さんが考えたんやなくて、僕が考えた様に山中君達に言えって、だから…僕、は…」

 羽川は口を噤んだ。

「こんな事になるなんて、思ってなかった、更生も、もう二度とメグ達が同じ事せんようにさせる為の、良い案やとしか思ってなかった」

 羽川が顔を上げ、僕の肩を掴んだ。

「でも違う、おかしい、完全に皆、狂っとる。僕、分からん。皆森さんが何で『更生』なんて考え付いて、何もしてない峰音さんから虐められとるって嘘をついたのか、山中君達が何を考えとんのか、今、なんで、皆、平気な顔して人を殴っとんのか、分からん、分からんよ。皆森さんを虐めてない峰音さんが、皆から殴られとんの見て、僕、何も出来んかった。だって、もし、そんなこと言ったら、僕が、峰音さんみたいになるかもしれんもん」

 羽川がそう言った瞬間、学校中にチャイムが鳴り響いた。

「……僕、行かなきゃ。山中君達に、怪しまれたくない」

 羽川は引き攣った顔を見せると、静かに言った。

「か、金田君も……気を付けて」

 羽川はそう言い残すと、僕を置いて行ってしまった。

 まるで夢を見ている様だった。

 




「テツ」

 学校が終わり、すぐに家に帰ろうと教室を出た瞬間、廊下で待っていたリュウに声をかけられた。頭痛の所為か疲労の所為か、リュウの声がさざ波の様に頭に響いた。

「あのさ、話したいことがあるんやけど」

 遠慮がち声で、リュウは僕の後ろを付いて来た。皆森の顔と、山中の顔がと、メグの顔が頭の中で混じり合ってぐるぐると回った。

「……ごめん、今日は、ほんとに、ほんとに疲れとるから」

 リュウが僕の腕を掴んだ。その腕の力強さに、僕は思わず振り返った。

「頼む」

 リュウの顔は、今までに見たことがない、険しい表情をしていた。

ああ、と僕は思った。

リュウは全部に気づいてしまったのだ。

更生にも、メグの強姦にも、全て。

「………分かった」

 震える唇で何とかそう言うと、リュウはその表情を、少しだけ和らげた。

「いい場所がある」

 早歩きで廊下を歩くリュウの背中についていくと、見覚えのない体育倉庫の裏に導かれた。

「ここやったら誰もこん」

 そう言ってリュウは僕の方に向き直った。覚悟を決めた目で、僕をまっすぐ見つめる。僕は手を握りしめた。言え、言ってくれ、僕が強姦魔だって、人間の屑だって言ってくれ、大丈夫、覚悟は出来てる。

……嘘だ。本当は死にそうなぐらいに緊張していた。どう言い訳をしようか、姑息に頭を回転させていた、けれど言い訳は何も思い浮かばなかった。

頭がぐるぐるして、もう気持ちが悪くて、メグの体が、断片的に頭に浮かんで、僕は頭を押さえながら、何なの、とリュウに聞いた。

リュウは緊張した顔で、おもむろに息を吐いた。そして言った。

「あのさ、前に、お前の後輩に会った時覚えとる?」

 思いもかけないリュウの言葉に、目を開く。

「……覚えとるけど」

 僕がそう答えると、リュウは深い溜息をついて頭を抱えた。リュウが混乱したように、自分の頭をがしがしと掻き、前髪を後ろへかきあげた。そしてもう一度深い溜息をついてから、言葉を続けた。

「お前は、俺の親友や。俺は、お前の事、まじで信頼しとる。だから俺が、今からお前に話す事、誰にも喋らんって約束してくれ」

 リュウの顔は普段の、凛々しい表情に戻っていたが、それでも少し不安げだった。

一体何を僕に喋るつもりなんだ。僕は混乱した頭で頷いた。

 リュウは何回も口を開け、そしてその度に閉じた。それが何回も続いた後、絞り出すようにしてゆっくりと掠れた声で言った。

「俺、好きな人が居る」

 はぁ、と僕は心の中で叫んだ。

こいつは何を言っとるんや。

僕は拍子抜けしてた。更生とかの話じゃないのか、そう思った瞬間、気が楽になって、裏声になりながら、それがなんなの、と聞いた。

「えっと、なんか、えっと……そういう意味じゃなくて…お前、俺……に、姉ちゃんが居るって知っとるよな」

 僕は頭痛と共に頷いた。

「それ…で、俺の姉ちゃん結構昔に結婚したんだわ」

 もごもごと喋るるリュウに苛々としながら、僕は気を紛らわす為に、足の先で地面を何度も蹴った。

「だから、それがなんなんだよ」

 そう言うと、リュウは黙り込んだ。

 俯くリュウの表情が今にも泣き出しそうで、僕は思わず開きかけた口を閉じた。リュウはかなりの時間黙っていたが、またゆっくりと口を開いた。

「俺、義兄ちゃんが好きなんだ」

 僕は固まった。

「俺、俺の姉ちゃんの結婚相手、好きになってまった」

 時が止まった様だった。動かない思考の中で、ただ心臓の音が響いていた。

「……まじで?」

 やっと口から出できた言葉はそれしかなかった。リュウが小さく頷いた。

「まじかよ」

 目の前にリュウを見つめた。

リュウがホモなのが信じられなかった。

こいつ男の事が好きなのか、しかも、実の姉の夫。そう思った瞬間、全身に鳥肌が立つ。信じたくなかった。気持ち悪いと思った。男を好きになるなんて、気持ち悪い。しかも、こんな奴と長年一緒にいたなんて、裏切られた様な気分になった。

「だから、俺、政治家になりたくて……同性結婚とかさ、そう言うの支持する政治家…、恋とか、叶わん代わりに、俺みたいに悩んどる人達を助けれたらなって……

 リュウの瞳が輝いて、僕を見た。

 僕はその光に押されて、後ろに後ずさった。

「前さ、お前、おかまのカップル見て、凄い良い事言ってたじゃん、だからお前な」

「気持ちわりぃ」

 その言葉が口から出た。

 リュウの体が固まった。

僕は我慢できずに、渇いた口を開いた。

「お前、気持ちわりぃよ、男が好きなんて、どこかおかしいんじゃないの。絶対病気やろ、信じられねぇ」

 病気を移される様な気がして、僕はリュウから離れた。

「俺の事もそういう風に見てた訳、正直、ごめん、きもいわ」

 リュウの瞳から、段々光が失われていく。リュウはただ黙って僕の言葉を聞いていた、何もかも諦めた様なそんな顔して。

「………分かっとる」

 と、リュウが呟いた。

「……俺だって分かっとる、自分がおかしいって事、気持ち悪いって事、俺だって分かっとる。男で、しかも姉ちゃんの結婚相手で、気持ち悪ぃよな、めちゃくちゃ」

 リュウの目から涙が零れ落ちた。

「でも、もう無理なんだよ、止めたいのに止めれん、じゃあどうすればええんや、俺だって、選べるなら女を好きになりたかった、でも、諦められれん、こんな気持ちになったのは初めてなんだよ、お前だって分かるだろ、好きな人が居るんやから、分かるやろ」

 僕が口を開くより先に、リュウが震える声で叫んだ。

「おっ、お前の方が百倍ましや、だって相手は男でも姉ちゃんの夫でも、何でもないもんな、絶対に叶わん。叶わんって俺は分かりきっとるのに、姉ちゃんの近くに居る俺が一番よく分かっとる筈なのに、諦められん、分かるか、俺の気持ちが分かるか?どんなに頑張っても絶対無理って決まっとって、それでも馬鹿みたいに兄ちゃんの事が好きなんやで、おかしいやろ、気持ち悪いやろッ」

 地面に降り積もった落ち葉にリュウの涙が落ち、ばたばたと音を立てた。リュウの肩が震えていた。

「…お前やったら分かってくれると思ったのに、お前やったら…」

 袖でリュウは顔を擦って、僕に背を向けた。

「ええよ、俺が馬鹿やったわ」

 小さくそう呟き、リュウは走り去った。

 僕はとっさに追いかけようとしたが出来なかった。僕の理性か、止めろと言っていたから。リュウが気持ち悪かった。喋っている事も良く分からなかった。僕には到底理解出来ない事だった。そして理解したいとも、思わなかった。





 僕は気がつくと、下駄箱の前に居た。リュウの泣いている姿を思い出した。胸の辺りがむかむかとして、気分がひどく悪かった。

「気持ち悪い…」

「なにが気持ち悪いんですか」

 と、不意に横から夢野の顔が僕の目の前に飛び出した。一々リアクションする気も無く、無表情で夢野を見つめ返す。僕の顔色を見た夢野が、うわ、と声を上げた。

「大丈夫ですか」

 夢野が不安気に僕の顔を覗き込む。ぼくは夢野の言葉を無視して、地面に置いた鞄をとった。時間を確認する。四時二分。十分の電車には間に合うはずだ。

「なんでお前ここにおんの」

 疲れすぎて、動かない頭を必死に動かして夢野に問い掛ける。夢野が僕を見て、少しだけ目を逸らした。

「それは先輩と帰りたかったから、ですけど」

 夢野が上目遣いで僕を見た。いつもだったら飛んで喜び、すぐに了解する所だが、今日は夢野のその表情にも何も感じられなかった。

「ごめん、俺今日疲れとるでさ」

 そう言って僕は立ち上がった。立ち上がった所為で、平衡感覚を失い若干ふらふらとする。そんな僕の腕を、咄嗟に夢野が掴んで支えた。

「先輩、本当に大丈夫ですか」

「…大丈夫だって。ちょっと風邪なんだよ」

 夢野が手を離す。僕は、じゃぁな、とだけ言って玄関を出ようとした。その時、夢野が待って、と声をかけた。

「じゃあ一緒に帰れないなら、今ここで、先輩に聞きたいんですけど」

 何、と苛々としながら聞くと、夢野は戸惑いがちに言った。



「リュウ先輩、って、彼女居るんですか」


 夢野の顔が真っ赤に染まった。



 あ。



「いやなんかんかその、私の友達がリュウ先輩の事好きらしくて、テツ先輩が、リュウ先輩の友達だから、それで聞いてみようかなって、そんな感じで」



 駄目だ。



「あ、私が好きとか、全然、全然そういう事やないですよっ、いや、その、かっこいいな、とは…思いますけど」



 駄目だ。





 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目





「あいつ、彼女なんて居らんよ」

 ぱっ、と夢野の顔が花が咲いた様に明るくなる。

「えっと、じゃぁこん」

「居るわけないやん、あいつ、ホモやもん」

 夢野の顔が固まった。

「知らんかったの?あいつホモなんやて」

 僕は息を吸った。

「俺も今まで知らんくてさ、さっき本人から聞いたん。あいつな、あいつの姉ちゃんの結婚相手の男を好きになってまったんやて。やばくない?おかしいやろ、普通。姉の夫で、しかも男って、どんだけって感じじゃねぇ?」

 夢野の顔をが引き攣った。その表情がリュウの事を嫌いになっている証拠の様で、それが何だか嬉しくで、僕は興奮しながら喋り続けた。

「気持ち悪いよな、まじで。頭おかしいよ、あいつ。ってか、前からもあいつってなんかホモっぽいと思ってたんだよな。だって彼女とか一切作らねえし。ってかあんな奴とずっと一緒にいたなんて気持ち悪すぎて吐きそうだわ。だって俺もその対象に入っとたのかもしれへんで?そんなん気持ち悪すぎるやろ、やっぱホモは隔離しなな、ホモは病気なんやて、まじで気持ち」

 その時、鋭い風が僕の右頰に当たった。そして衝撃と音が僕の体を斜めに倒した。倒れそうになる一歩寸前で、左足で踏ん張る。目がぼやけ、視界がうまく見えない。ひりひりと痛み始めた頰を手で押さえ、目の前に居るはずの夢野を見た。

「最ッ低…」

 ぼやける世界で、そう言い放ったのは、確かに夢野だった。

「先輩が、そんな人やなんて、思ッてなかった……ッ」

 夢野はそう言って、僕の視界から姿を消した。僕はそのまま地面に崩れ落ちた。夢野のビンタで腫れ上がった頰は、信じられない程痛み、ひりついた。頰の上に、ぬるぬるとした生暖かい何かが伝った。顔の凸凹を伝い、口に入ったその涙は、今まで味わった事のないぐらいに辛く、熱かった。







次の日、リュウが死んだ。

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