第二章
更生開始
山中の用意した更生プランは完璧で、何の非の打ちどころも無い計画だった。
まず僕達が更生させる、更生対象者を六人の中から多数決で決める。そして選ばれた更生対象者を、僕達で徹底的に更生対象者を更生させる。六人の中、選ばれなかった五人は、更生対象者と呼ばれ、クラス貢献と称されるパシリを受けつつ、僕達、更生人の中に入り、共に更生対象者を更生させる。そして、更生が終わった後、五人の中でクラス貢献度と更生度が一番低かったものが、次の更生対象者となる。
重要なのが、この更生が先生や大人、そして他のクラスにも誰にもばれない様にしなければならない事だった。
更生が行われるのは、大抵が水曜日の放課後に決まっていた。空き部室に、人目にばれない様に皆で集まり、僕達は峰音に更生をした。
驚く程、嘘だと思う程、誰もこの更生に気づきはしなかった。初めの内は誰にばれるのではないかと、内心びくびくしながら更生をしていた僕達も、二週間目になると大胆になり、峰音を大声で罵ったり、笑ったりした。それと共に更生もエスカレートした。峰音の腹を殴り、唾を吐きかける僕達の背後で、皆森はずっと無言でその様子を見つめていた。
何を考えているのか分からない、まっさらな無表情で。
あの日を境に、僕達のクラスは真っ二つに分かれた。強者と弱者、ヒーローと悪者、善と悪。そして看守と罪人。
僕達はまだ子供だった。
僕達は大人の様な振りをしていた。将来も、大人になっていくのも、人生がどうしようもなく理不尽な事も、全部受け入れている振りをしていた。でもそんな訳無かった。世界は理不尽だった。理不尽すぎて、どうしようも出来なかった。
僕達は反抗しようとしていた。僕達の狭いこの馬鹿みたいな世界に、逆らえる事の出来ない大人達に、僕達ではどうしようも出来ない、何かに、反抗しようとしていた。しかし僕達は自分達が反抗など出来ないに気づいていた。何故なら僕達は無価値だからだ。
僕達は強者の言いなりになるしかない。僕達は誰にも求められてはいない、求められているんはただの操り人形だった。
僕達には意志があった。しかし、あまりにも弱すぎた。
だから僕達は誰かを蹴落とすことで、自分達を強者にしたてあげた。そして弱者をいたぶり、見下し、そこから湧き出る一時の快楽を貪り食っていた。
自分達の鬱憤を正義と評し、正義の振りをして、悪を正そうとした。
悪を正す行為が、段々と逸れていくのを頭の端で感じながら。
僕達はまだ知らなかった。何も知らなかった。
皆森の精神の中に、誰にも予想する事の出来ない、そして理解することの出来ない何かが潜んでいる事に。
「おはよー、峰音」
「はよー」
ざわついた教室の中、数人の女子が峰音に笑いかけた。クラスメイトが峰音を一瞥し、また各自のお喋りに戻っていく。峰音は動揺したように顔を伏せた。峰音に声をかけた女子の一人、渚が峰音の肩に手を置いた。
「おはよ?」
峰音の顔を覗き込む。峰音は喉の奥から絞り出すようにして、おはよ、と言った。
「もー、何か峰音笑ってないやけどー?何か嫌な事でもあったの?」
「……な…んでもないよ!ちょっと疲れとっただけ」
峰音は目と口を引き攣らせた。その顔を見て、渚が満足するように笑う。
「峰音、今日は水曜日だねぇ」
峰音の笑顔が固まる。それとは反対に、渚は満開の笑みで峰音に顔を近づけた。
「今日も楽しもうねぇ」
きゃははは、と女子が笑う。離れていく女子達の背中を見ながら、峰音は壊れた笑顔を張り付けたまま、顔を俯かせた。
クラスメイトが順々に、歌のリズムに合わせて峰音の腹にパンチを入れていく。峰音はそれぞれの拳を腹で受け止める度に、音の抜けた呻き声を漏らした。星野の拳が入り、あと半分でクラス全員が殴り終わる、その時に、峰音はぶびゅぅ、とも言い難い音を出して口からげぼを吐いた。牛乳と人参と腐ったコーラを混ぜた様な香りが教室に充満する。峰音を中心として、人混みがドーナツ形に変化する。罵詈雑言の中、峰音はまたげぼの残りを、喉の奥から吐き出した。
「誰か雑巾持って来いよ」
山中がそう言うと、教室の端で座り込んでいたメグ達が、我先にと雑巾を取りに行こうと立ち上がる。サンチュがぐったりと力の抜けた峰音の頭を掴みあげた。
「あ、でも」
メグ達の動きがびくりと止まる。壊れた機械人形の様に気ごちない動きで、メグ達はゆっくりとサンチュを振り返った。
「雑巾ここにあるじゃん」
峰音が半分白目を剥きながら、ぴくぴくとサンチュを見た。
「お前雑巾見たいな顔しとるもんな」
サンチュは峰音の頭を持ち直すと、彼女の顔を地面に押し付けた。峰音の吐いた吐瀉物が、峰音の顔に磨り潰され、サンチュの動きで床に広がった。峰音の顔とげぼが床で擦れて音がする。奇妙な音を立てて、顔とげぼの隙間から泡が立ち、ぽこ、と割れた。酸っぱ臭い匂いが、泡が割れる度に臭った。峰音の髪に崩れかけの人参がこびりついた。
「皆森も、何かしやあよ」
と、サンチュが言った。
「殴っても無いやん」
口で手を覆った皆森が、眉を下げてサンチュを見た。顔を青ざめさせ、峰音から目を反らす。
「でも、私、そんな事……」
サンチュが峰音の頭を地面に叩きつけた。立ち上がり、皆森を見下ろす。皆森は上目遣いでサンチュを見上げた。
「正直に言えよ、こいつらが憎いんやろ」
皆森が下を向いた。
「違う、そんな…、ここまで……」
「嘘つけよ」
皆森の言葉を塗りつぶすように、サンチュは吐き捨てた。皆森が目を見開く。皆森の瞳が揺れた。
「今まで散々虐められて、お前だってやり返したいと思っとるやろ」
「でも……こんな、ここまで」
だ
「大丈夫やって!」
と、気づいた瞬間、僕の口は勝手に開いていた。クラス中が僕を見る。
「あ、え、だってこいつらおかしいやん!最低の奴らやって!だから大丈夫やって、な、皆もそう思うやろ?」
僕は周りを見渡した。クラス全員が、僕を見つめ頷く。羽川も口を開いた。
「そうだよ、やり返すべきやよ。皆森さん」
皆森が困惑した表情で羽川へ視線を移した。
「今ここでやり返さなかったら、将来後悔する。皆森さんにはこいつらにやり返す権利がある。俺らはこいつが屑やと思ったから、こいつを殴った。虐められていない俺達にさえ、こいつらを殴る権利がある。皆森さんが本当に、殴りたくないと思ってるなら、しなくて良い。俺らが皆森さんの代わりにこいつをぶちのめす。皆森さんが決めればええ」
羽川が皆森を射抜く様にして見た。皆森が体を固くさせる。
「皆森さんは、本当はどう思ってるの」
皆森はゆっくりと、床で転がる峰音を見た。空気を口から漏らす峰音を数秒間見つめる。俯いた皆森の髪の奥の瞳から、ぼろりと涙が毀れた。
「私は…」
皆森が口を開いた。
「私は、こいつらが憎い…」
皆森が少しだけ顔を上げた。半分白目を剥いた瞳が、髪の下からメグ達を強く睨み付ける。メグ達が口を押え、後ずさりする。皆森は嗚咽交じりに、吐く様にして絶叫した。
「…こいつらが憎いッ、憎い、憎い憎い憎くて憎くて仕方が無いッ、友達だって思ってたのにッ!大好きだったのに!初めて、初めて……信頼できた、友達、だったのにッ!大好きだったのにッ!何で裏切ったのッ、何で私を虐めたの?何で?何でよォッ!」
皆森が峰音に歩み寄る。峰音はブリキの人形の様に、頭を持ち上げる。皆森は峰音の髪を引っ張り持ち上げた。いたいぃぃ、と峰音は掠れた悲鳴を上げた。皆森が峰音の顔を覗き込むようにして見る。
「お前ら皆不幸になれば良いんだ」
峰音が小さな悲鳴を上げ顔を歪ませた。
「大丈夫、絶対殺さないから、殺させないから、死ぬよりも、私を虐めた事を後悔させてやるから、絶対にお前ら全員不幸にしてやる、あんた達が全部悪いんだ。死ね、死ねば良い、人間の屑は死ねば良い、悪いことしたら全部返ってくるんだよ、ね、知ってたでしょ?殺してやる、死ねば良い、死ねば良いのに、死ねば良いのにッ、死ねよ!!」
皆森が峰音の顔を地面に押し付ける。峰音の頭と床が当たり鈍い音がした。
「さっさと死ねよ!死んじまえよッ!お前ら何てどうせ生きてたって糞みたいな人生歩んで死ぬだけだろ!それでまた、私にしたみたいに、誰かを傷つけて、馬鹿みたいな顔で笑って生きてんでしょッ?!人間の屑!害虫の癖に何生きてんだよッ!謝れよ!」
地面とげろに押しつぶされた峰音が、ごひぇんひゃない、と、唇を動かした。涙を流し、何度も皆森に向けて謝罪する。
「ごひぇんひゃな、ごひぇんひゃないごひぇんひゃないごひぇんひゃないごべんひゃい」
「謝ってももう遅いんだよッ!」
皆森が絶叫した。真っ赤な顔で歯を剥き出し、涙で頬がてらてらと光っている。髪を振り乱し、峰音の髪を引き千切る皆森は、それでもやはり美しかった。
「もう遅いよ……ッ」
皆森が掠れた声で絞り出すように吐き出した。皆森が俯く。皆森の長い髪が、彼女の肩をさらさらと滑り落ち、地面に、峰音のげろに着いた。皆森が峰音の頭から手を離す。峰音が皆森を見上げた。
「……舐めなよ」
え、と峰音が呟いた。
「綺麗にしなよ、床」
皆森が笑った。
「舐めて綺麗にしなよ」
峰音が固まる。峰音が口を開く前に、皆森が笑いながら言い放つ。
「あ、自分で出来ないなら手伝ってあげよっか?私は全然良いけど」
皆森は泣き腫らした目を細めた。完全な弧を描いた唇で、唇の端に垂れた涙を舐めとる。
峰音がゆっくりと、永遠かと錯覚してしまう程の時間を変え、顔を地面に戻した。顔をげろに寄せ、くちゃりと小さな音を立てて口を開く。口の中で、峰音の唾液が伸びているのが見えた。
「ね、峰音、反省してるなら出来るよね、謝ってくれたもんね」
震えた舌を伸ばし、峰音は床のげろを舐めた。峰音が蛙の様な声で呻く。嗚咽しながら、峰音は自分のげろをゆっくりと舐め、唾液と共に飲み込んだ。瞬間、もう一度げろを地面にぶちまけた。もう何も吐く物が無いのか、猫が毛玉を吐くときの様な声を出し、喉の奥から胃液を出した。胃液は峰音の顎から地面まで伸び、ゆっくりと床のげろと同化した。
「駄目じゃん、戻したら」
鈴を転がすような愛らしい声色で、皆森はけらけらと笑った。
「ばっかみたい、どう思ってる、散々虐めてた奴から虐められるのってどう思う?嬉しい、嬉しすぎて泣いちゃう感じ?ちょー受けるんだけど!あははは、あははははははは」
半狂乱になった皆森を、僕達は何とも言えない気持ちで見つめた。ここまで追いつめられた、皆森が可哀想だった。サンチュが皆森を腕を掴む。皆森が生気の無い瞳でサンチュを見た。
「峰音の体、膝立にして押さえてて。口も開けさせて」
早く、と皆森が言った。ヨッシーとサンチュが峰音を掴みあげ、峰音に膝立をさせた。げろまみれの峰音の顔を見て、ヨッシーが呻く。一瞬躊躇した後、サンチュは峰音の口に指を突っ込んだ。両手の人さし指を、それぞれ口の端に置き、横へ引っ張る。外側の頬を親指で摘み、そのまま前へ引っ張った。峰音の皮が伸び、口が伸びる。口だけが、エアコンの、空気が送られてくる横長い隙間のようになった峰音の姿は、異様に気持ちが悪く、まるで化け物の様だった。
「おしっこって、どんな味すると思う」
そう言いながら皆森はスカートに手を入れた。
「あんたのおしっこの味、どんな風だったと思う」
皆森が腰をかがめ、パンツを膝まで降ろした。淡いピンク色のパンツだ。これから何をするか察した峰音は、絶叫した。
「ひぃいいいいッ無理、やだ、きほいきほいあんた、頭おかひぃってッ」
皆森は笑顔のままポケットからちびた鉛筆を取り出した。大口を開けている峰音の口に、それを差し込む。峰音は口を開けたまま、泣きながら皆森を見上げた。
「口、閉じない方が良いよ」
皆森がもう一度笑った。スカートをたくし上げた。
「ッやだ、やだやだやだやだやだごべッやぁああああぃぼごぼごおおおお」
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