親睦会

笑い声や叫び声が部屋を埋め尽くす。僕は腕で汗を拭くふりをして、自分の服の匂いをさりげなく嗅いだ。やっぱりかけすぎたかもしれない、そう思っていると、スピーカーからマイクを数回叩く音が聞こえた。部屋が静まり返る。部屋の前のステージに、メグがマイクを握りしめ立っていた。

「えーと………えっと、何て言えば良いんだろう」

 そう言ってメグが困った様に笑った。可愛いぞぉー、とサンチュが叫ぶ。皆の笑い声でどっと部屋が揺れた。メグがサンチュを拗ねた様に睨み付け、マイクを握り直した。

「えっと、今日この様な会を企画したのは、学級委員長として、そして一人のクラスメイトとして、皆森さんと皆が仲良くなれると良いな、と思ったからです。皆森さんは、岐阜とかと全然違う、東京から来た訳やし、やっぱりこっちでは慣れない事も多くあると思います。えっと、色々不安でしょうが、でも、岐阜も悪い所やないよ!」

 そう言ってメグが皆森を見る。そうだそうだー、と野次を飛ばすクラスメイトの真ん中で、皆森は恥ずかしそうに微笑んだ。

「今日一日、皆森さんをすっごい楽しませて、そして皆森さんが、本当の、新しい二年一組の仲間になってもらえたらな、って思います!今日一日、楽しみましょう!」

 メグが大声で叫ぶ。ワーッ、と部屋に拍手と歓声が広がった。

「じゃあ、一曲目は私が歌います!」

 聞きなれたドラマの曲が流れ始める。メグがマイクを両手に持ち、完璧な音程で歌い始める。女子達がメグかわいいー!と歓声を上げた。

有名な曲ばかりを聞き、何十分と経った頃には、歓声と笑い声が空気に混じり合って、コーラしか飲んでいないのに既に酔っている様な気分になった。僕の目の端の飯沼が恭しく立ち上がる。飯沼の、結構音の外れた声を聞きながら、飲み干したコーラのアイスをかみ砕く。

これ、全員歌わなあかん奴やおな、何歌った方が良いんやろう、と頭の中で自分の音楽プレイヤーを再生する。嘘つきバービーとかは死んでも歌えんな、と思った時、隣の水島が僕の二の腕を突いた。水島を見る。女子がこぞってしてる、異様に内側に巻いた前髪。前髪の間から見える赤い点。でっけーニキビ、と思った瞬間に、水島が口を開いた。

「なんか、金田君良い匂いするね」

 どぎりとする。そうかな、と、平常心を装い背筋を伸ばす。

「うん、何か、果物系?香水でもない感じ…」

「洗剤の匂いいやない?」

「えー、そうかなぁ」

水島がそう言いながら僕の服に顔を寄せる。女子が近くに居る緊張感と、匂いの言い訳で心臓がバクバクと言い始めたその時、遠くの席に居たメグが水島を呼んだ。

「えっ、メニュー他に何があんの?」

 そう言って水島が席を立つ。ほっと胸をなで下ろして、僕はもう一度、そっと自分の臭いを嗅いだ。一時間も立っているのに、確かにまだ強いファブリーズの匂いが残っている。

ファブリーズの匂いと共に、自分の匂いもまだ残っているのかと心配になる。もしかしたら、その臭いと混ざって凄い変な臭いなのかもしれない。隣に座る水島の少し顎の出た横顔が、あんたが何してたか知ってるのよ、と言っている様で思わずぞっとする。

居ても居られなくなり、僕は立ち上がった。人の足と言う足の間を通り抜けて、部屋の扉も前まで行く。扉を開けた途端に目に入る静まりきった廊下と、背中に響く叫び声の差に、酔いが醒めるな気分にで廊下に出た。

 適当に曲がりくねった角を何回が曲がると、突き当たりの奥に、男子トイレを見つけた。扉を開けて誰もいない事を確認すると、僕は個室に入った。狭い個室の中で、自分の服の匂いを消す為に、何度か飛び跳ねたり、腕を上下に揺らしてみたり、腕を振り回しながら何度も回転して見せる。激しい動きで額に浮かんだ汗を、トイレにでもがんがんに掛かっているクーラーが瞬時に乾かせた。

最後にもう二三度自分の匂いを嗅いで確認する。正直、鼻がもう慣れてしまって分からないが、多分、大丈夫だと思う。僕は踏ん張っていたと思われるのが嫌で、耳を澄ませてトイレに誰も来ていない事を確認し、外に出ようと、そっとトイレの扉を押す。すると、きゃっ、と小さい悲鳴が扉の向こうから聞こえてきた。

「えっ」

 息を呑んで隙間から顔を覗かせる。そこには皆森が立っていた。

 大丈夫、と声をかける前に、えっ…、と皆森が小さく呟く。

「…何で金田君がここに居るの?」

 僕は、えっ、ともう一度すっとんきょんな声を上げた。

「何でって、だってここ男子トイレやから…」

 皆森は押し黙った。

「…ごめん、女子トイレ…だと思ってた…」

 本気で恥ずかしがっている皆森の様子に、少しだけ胸がどきりとする。皆森に何て返せば良いのか分からず、僕は取りあえず、女子トイレは、右の突き当たりにあると思うで、と言った。皆森が恥ずかしそうに頷く。

「え、と、じゃあ」

 と、取りあえず言って立ち去ろとしたその時、皆森が僕を見上げた。電柱の陰で良く見えなかった皆森の顔が、僕の網膜に焼き付いた。

 皆森の顔は真っ赤だった。彼女の目が充血し、頬に行く筋も涙の跡が見えた。

 何処からやって来たハンマーで、思いっきり叩かれた様に、僕は動けなくなった。

「え、え」

 馬鹿みたいな声を上げて皆森を見つめる。皆森は僕の反応に気が付いたのか、慌てて顔を俯かせた。

「え、ど、どうしたの」

 皆森は体をぴくりとも動かさずに押し黙った。

「…何でもないから」

 今まで聞いた事も無い様な低い声で、皆森が唸る。皆森の肩が、微かに震えていた。

「そんな訳ないやん。だって――」

「いいからほっといてよッ!」

 皆森の絶叫が、僕の頭をぶん殴った。静まりきった廊下に、何処かの部屋から漏れた、場違いに音の外れた歌声が響いた。僕は目を見開いて、目の前に俯く皆森を見つめた。皆森が、怒鳴った事が信じられなかった。小さく、皆森が鼻水を啜る音がした。

そして次の瞬間、皆森は顔を上げた。その表情が、僕の心を揺さぶった。涙でぼろぼろになりながら、皆森は笑っていた。何時もの様に、完璧な表情で。

「花粉症なの、私。もう酷くてさ、稲の花粉なの。季節はずれでしょ」

 あはは、と笑って涙を拭う。僕はただ、信じられない気持ちで皆森を見つめていた。

「怒鳴ってごめんね。花粉症の時って、凄い苛々しちゃうの。泣いてるって思われたら嫌だったからトイレに来たのになぁ」

 そう言って皆森はまた笑った。

「だから皆に言わないでね。なんか、変に心配されたら困るじゃん。花粉症なだけなのに」

 トイレって、右の突き当たりだよね?と皆森が言う。僕は真っ白になった頭で頷いた。

「ありがと~」

 皆森は間延びした声で言うと、くるりと背中を向けた。その後ろ姿は、普段と変わらず毅然としていた。しかし、本当の皆森はどうなのだろうか。正面の皆森は、どんな皆森何だろうか。皆森が横へ曲がる。その横顔は、近くで見た彼女の本当の顔は、どんな風なのだろうか。

僕は身動きも出来ず、ただその場に立ち尽くした。





 部屋に戻ると、何時の間に帰って来たのか、皆森はメグたちと一緒にアイドルグループの歌を歌っていた。完璧に、完璧な何時もの皆森だ。さっき見た皆森の姿と、けらけらと声を上げて笑っている皆森の姿が重なる。全く一致しないその二つの象が、僕の頭の中に駆け巡った。

誰かが入れたのであろう、今流行のヒップホップグループのBGMがスピーカーから流れ出し、ギャーッと悲鳴に似た歓声が上がる。何処からか持ってきた赤いヅラを被ったサンチュが、突然扉から登場した瞬間、部屋が笑い声と叫び声で一気に揺れた。

「ノってるかぁアアアア!!」

 クラス全員が絶叫し、立ち上がる。

 と、突然、盛り上がるカラオケボックスの中に、けたたましい電子音が炸裂した。全員が歌うのを止め、鳴り続ける電話を凝視する。電話の近くに居た中竹が受話器を取り、そして戻した。

「あと十五分で終わりやって」

 落胆した声が部屋中に響き渡る。

「マジかよぉ、今から盛り上がるのに」

 サンチュが情けない声を出した。時計を見ると、八時を示している。延長したいのは山々だが、そろそろ帰らなくてはいけない時間だ。全員同じ事を思ったのか、ぶつくさと文句を言いながら、鳴り響いていた音楽を止め、各々帰宅の準備をする。

その時、こんこんと、マイクの音が部屋に鳴り響いた。

皆森がステージの上に一人で立っていた。

「皆、今日は本当に有難う。私は、二年一組の、皆と出会えて良かったって、心の底から思います。東京からこっちに引っ越して、仲の良かった友達と離れ離れになって、本当は私、とっても不安だった。でも、皆は初対面の私にでも、昔からの友達みたいに接してくれて……私は…」

 と、皆森の声が震えた。

「……本当に、心の底から、二年一組の皆と出会えて良かった」

 皆が皆森を見つめた。皆森の大きな瞳から、ぼろりと涙が毀れた。どもりながらも、皆森が一生懸命に言葉を綴る。

「本当に、本当に、ありがとう。今日は最高の一日でした。こんな私ですが、これからも宜しくお願いします」

 皆森はそう言って頭を下げた。その途端、割れるような拍手が部屋を包み込んだ。ステージの横からメグが飛び出し、泣きながら皆森に抱き付く。それに続いて、女子達が皆森に取り囲んで抱き付いた。わーっ、と弾けるような歓声が響く。歓声の中心で、部屋の中心で、グループの中心で、皆森は泣いていた。

 泣いていた。





 会計を済ませ、皆の会計を待っている間山中達と駄弁っていると、突然後ろから声をかけられた。その声に、隣に居た山中が勢いよく振り向く。そして、声の主が皆森では無く峰音だと知ると、やる気が無さそうな腹が立つ顔で、ソファに再び沈んだ。

「山中っ、なんやその態度っ」

 峰音が鼻くそを穿る山中に声を荒げた。

「峰音かぁ~、峰音ねェ~、まぁえんやけどねェ~、皆森さんと比べると…ねぇ~」

「ちょっと……ねぇ~」

 トレンディも山中に合わせて嫌らしく語尾を伸ばす。

「はぁ?!うっざ、きも、ってか死ねっ」

 うっざ、ともう二度山中に吐いてから、羽川が峰音にどうした、と声をかけた。

「これ」

 峰音がそう言って、僕の目の前に差し出した手の平を開ける。そこには、にんまりと笑った、ダサい星型のストラップがあった。

「カラオケの景品か何かみたいで、全員貰えるらしいの」

 峰音がそう言って他の奴らにもストラップを渡す。山中とトレンディだけは、頬でそのストラップを受け止めた。山中は頬から落ちたストラップを拾って、最高に恰好を付けながらサンキュぅと言った。峰音が、きも、と顔を歪ませて言う。峰音が僕に顔を戻した。

「絶対ストラップ鞄に付けなよ。メグからの委員長命令だから」

 出たーーッ、と山中が両手を挙げた。

「また委員長命令かよぉ、流石メグ様やな」

 峰音は山中を無視した。

「とりあえず、皆付けるんやから、あんた達も付けてよね」

 じゃあね、と言って、峰音が皆森の元へ戻ろうとする。僕はその峰音の背中に声をかけた。峰音が振り向く。

「これ、橋本先生から頼まれたんやけど」

 鞄から取り出した、安物のプロフィール帳を取り出す。

「なんか、全員分書いといてやって。メグに渡しといてくれへん?俺、こういうの苦手やし」

「んー、分かった、渡しとくね」

 峰音は今度こそ、皆森のグループへ戻っていった。

クラスの全員が会計を済まし、十分ほどカラオケの外で喋ってから、各自解散した。スマホの液晶画面に映る数字は真夜中だと言うのに、辺りはまだ夕方の様に明るい。ヨッシーがストラップを人さし指と親指の先でつまみあげる。

「だっせーー。付ける奴なんておんのかよ、俺ら中二やで?」

「メグはええやつやけど、こういうとこ、ちょっと痛いよなぁー」

 トレンディがヨッシーに同意する。僕は何も考えず、そのストラップをポケットに押し込んだ。ところでさ、と山中が急に声を潜めた。

「あいつめっちゃ腹立ったな」

 山中の一声に、羽川もトレンディもヨッシーも声を上げて賛成した。堤防の上の散歩道を、自転車を押して歩く。

「めっちゃ皆森の体触っとったよな」

 トレンディが鼻息を荒くして答えた。

「あいつの金髪なんて何処がええんや。あんなん金やなくて剥げたメッキやん」「調子乗り過ぎやおな」「彼氏ヅラしとるでな」「絶対狙っとるもん」

 口々に毒を飛ばしあう四人に、僕は首を傾げた。

「お前ら誰の事言っとんの」

 と三人に聞くと、はぁ?!と聞き返される。

「サンチュと皆森さんに決まっとるやん!」

 と、ヨッシーが言った。皆森、と聞いて内心どきりとする。山中が言う。

「お前、サンチュが皆森さん狙っとんの気づいて無かったの?」

 全く考えもしなかった事を聞かれ、首を振る。

「嘘やろ、信じられへん。ちょっと見ればすぐ分かるやん」

「え、でも、メグとサンチュ付き合っとるんやろ」

 そう僕が聞くと、四人が口早に答えた。

「そんなん直ぐに別れられるやん。サンチュはもうメグに飽きて、今は皆森さんに乗り換えようとしとる」

「あいつが皆森さんといっつも居る所為で、全然喋りかけられへん」

「メグ可哀想やおな。あんな可愛くて性格良いのに」

「まぁ皆森さんには負けるけどなー」

「絶対、サンチュなんかに皆森さんは渡せへんわ。俺の嫁やし」

「もうええて、それ」

 四人は僕を置いてけぼりにして、サンチュの悪口を唾を飛ばして言い合った。僕の前を歩く四人の影が伸びて、くっつく。その四人の影を見ながら、皆森を思い出した。

皆森が泣いてたのは、あれは花粉症の所為、何かじゃない。花粉症なら、もっと前に症状が出て切る筈だし、…それに、皆森の様子がおかしかった。

もしかしたら、サンチュとか、メグとかが関係してるのかもしれない。

でももしかしたら、本当に酷い花粉症で、苛々して僕に怒鳴っただけかもしれない。

僕は分からなくなって、沈んでいく太陽を見つめた。

 ただ、異様な違和感が僕を捕まえて離さなかった。








「おっす」

 と、ヨッシーが手を挙げる。背の低い僕に対して、わざと高い位置で手を挙げるヨッシーに腹が立ち、僕はジャンプして思いっきりヨッシーの手を叩いた。その瞬間、するどい痛みが僕の手の平にも走り、僕は悲鳴を上げた。

「お前馬鹿やろ」

 そう言って山中達が笑う。僕はひりひりと痛む手の平を、ぱたぱたと振った。トレンディが、おっ、と言って僕の鞄を引っ張る。

「こいつ、昨日のストラップ付けて来とるで」

 僕の鞄を覗き込んだ山中達が、また声を上げて笑う。僕の鞄の端に、昨日貰ったストラップの星がニヒルに笑っている。

「お前まじかよ!」

「そんなん誰もつけて来てねぇってー」

 僕は混乱しながら、山中達を見た。

「え、でも、つけなあかんって言っとったやん」

 そう言うと、山中達が声を上げて笑う。

「それを鵜呑みにしんやろー」

「お前ってそう言うとこあるよなー、素直っつーか、子供っぽいつーか」

「中学生みたいやおな、背とかも小せぇし」

 げらげらと笑う三人に、腹が立ってくる。

「別に、そんな事無いし!お前らだって子供やろうが!」

 本を読んでいた羽川に同意を求めると、羽川は顔を上げて冷静に言った。

「金田君、この間ナウシカ見て泣いとったで」

「ナウシカって、お前やべぇよ!」

「お前の方が子供やんか!」

 山中達が僕を取り囲んで笑い転げる。僕は無性に恥ずかしくなり、うるさい、と怒鳴った。

その瞬間、チャイムが鳴る。山中達は笑いながら、席に戻った。

「張りつめたぁー弓のぉー」

 山中が僕の後ろで、小声でわざとらしく歌う。それ、もののけ姫だし、と思いながら、僕は山中を無視し、周りの鞄を確認した。確かに、誰一人としてストラップを付けている人は居ない。昨日言った峰音も、メグも含めてだ。何て薄情な奴らなんだと思っていた時、ふと、あのストラップが目に入った。視線を上に上げる。

皆森だった。

ほら、皆森もつけてるじゃないかと思いながら、珍しく二つで結んでいる皆森の後姿を見つめた。何故か、皆森の髪の毛に、白っぽい埃が付いていた。

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