6.共犯者


 シャツは水を吸って重くなり、時折吹く風に冷やされて身体が強張る。肌に密着する不快感が全身を覆い、下着までもがもうどうしようもないほどに水浸しだった。頭の奥が、じくじくと痛みを発していた。

 私じゃ手に負えないのだけはわかっていた。ただ、こんな時にどうするのが正しいかを論ずるのがどれだけ馬鹿げているのかも、十分に理解していた。

 ひどい臭いだった。雨は腐敗した土のようで、鼻の奥にはうっすらと、生臭い血の匂いが残っている。手のひらは滑って、握り開けば生々しい感触を思い出した。

 ぐらぐらと煮えていた胃液はゆらゆらと揺蕩って、濡れそぼった髪の下で、脳みそが雨降りを胃液と勘違いする。溶けて、消化されて、いずれは汚物だと語られている。語られる私がいる。薄青い鉄扉を前にして、突っ立っている私がいる。

 鍵はポケットに。取り出して回せば、何の抵抗もなく私を出迎える。

「や、おかえり」

 彼女が立っている。怪物の咽喉のような暗闇が廊下の奥に蟠って、彼女はその番人のように見える。

 私を出迎え、励まし、皮肉を言って、そこにいるだけの木偶の坊。何もせず、何もできず、ただ在る為だけに存在する、無価値の象徴。

「どうやらひどい目にあったらしい」

 腕を組んで身体を弛緩させて、彼女は言った。

 私が何を口にするでもなく、彼女は理解していることだろう。私の行いも私の罪も私の痛みも苦しみさえ、すべてをここで分かち合ってきたのだから、わからないはずがなかった。

「……殺しちゃった」

「うん、きっとそうだろうね」

 私の告白にさえ、彼女は穏やかだ。「顔を見なくてもわかるさ」ああ、そうだろう。あなたは全部お見通し。私にはあなたのことなんてまるでわからないのに、あなたは一方的に私を知っている。

 私が口にしようとしていることだって。

 どうしてほしいの、と彼女は言わない。ため息を、そっと一つ吐くだけだ。

「寒いだろう。ひとまず着替えて、ご飯でも食べるといい」

 彼女は背中を向けて暗がりに消えていく。振り返って、「さぁ」と言われて、硬直していた身体を動かした。

 熱いシャワーを浴びていると、指先から赤の混じった水が伝って、排水溝へと流れていった。私は呆然とそれを見つめてから、手のひらを強くこすった。強く、強く。消えるように、と願って。

「洗いすぎだよ」

 途中で彼女に言われて、慌てて止めた。いつの間にか血は消えている。温かいはずなのに、奥の奥が冷えて、震えて、私は腕を掻き抱く。

 触れられる感触。見つめる瞳。吐き気が蘇って、蹲り、えずく。何も出てこないのに。何も持ち合わせていないのに。

 吐き出し、放出し、まき散らせ、と誰かが言う。

 人である証を。社会への参加を。……愛を。

 無理難題を押し付ける。やめて、と払いのけても、無数の腕が私を掴んで離さない。

「どうすれば、よかったの」

「どうしようもなかったさ」

 テーブルに肘をつきながら彼女は言った。

「仕方ないよ、もとより相性が悪いんだ。真っ当に生きよう、だなんて。だから──」

 なんてことない日常の一部だとでも言うように。

「死体、埋めちゃおっか」

 彼女は、微笑んでいる。

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