第9話 微笑ましい笑顔
どうしてここにと、浮かぶ疑問もフルール様は笑顔で答えてくれる。
「わたしとマルタンの婚約が決まったから、ご挨拶に伺ったのよ」
挨拶に行くのは男の方だろう。それに、フルール様は離宮暮らしといっても、そう簡単に王宮を出られるような身分ではないはずだ。その証拠にフルール様から少し離れた所に騎士がいる。ドニではないのか。あいつ、フルール様付きだと言ってなかったか?
「それに、赤ちゃんも見てみたかったの。離宮に赤ちゃんって居ないから」
フルール様の生活の場は普通じゃない。王宮は執政の場であるから子供が子供扱いされない場所だ。そんな場所で育つ王族の方々は大変だろう。赤ちゃんが見たいというフルール様の欲求もわかるような気がする。
「もう、その赤ちゃんにはお会いになりましたか?」
俺は体に付いた埃をはたきながら立ち上がる。
今の俺の格好は姫様に会うような姿じゃない。部屋着に近いこの格好では失礼にあたるだろう。髭だってまともに剃ってない。ご本人は気にしていないようだが。
「まだだよ。先にマルタンに会った方がいいかなって」
形だけの婚約だ。俺はいてもいなくてもいいだろうに、律儀な子だ。
「あ、あのね……あの、」
なにを緊張されているのだろうか。急に歯切れが悪くなった。言いにくいものがあるのか?
「ダンス!」
「ダンス?」
「うん。その、ダンスを踊るのに、マルタンと身長差がありすぎて、上手に踊れるか心配で」
手をもじもじとさせながらフルール様は俯いてしまった。
俺との気になる差が身長って、他にもあるだろうに、気になることがダンスって。子供だからなのか? それともフルール様だから?
あまりにも微笑ましくて、笑ってしまった。笑われると思わなかったのだろう、フルール様は顔を真っ赤にされて小さな手で顔を覆った。
「なんで笑うの? わたし、本当に心配で」
「申し訳ありません。姫様が上手に踊れなかったら、それは俺のせいです。あなたのせいじゃありません」
宥めようと頭を撫でる。赤い髪は柔らかくて、彼女の髪の毛と触り心地が違った。
「ところで、どうしてダンスなんですか?」
「わたしたちの婚約披露で、舞踏会が行われることになったの」
無邪気で嬉しそうだ。
「国王様が婚約披露に来てくださるの! 国王様が恥ずかしくないように、そのね、頑張ったって褒めて貰えたらうれしいなって」
1人で頑張って練習してきたダンスだ。失敗どころか、褒めて欲しいって、子供らしい。微笑ましいその気持ちは覚えがある。
「ダンスの練習は俺も一緒に行いましょう。姫様に遅れをとるようでは騎士の名折れです」
膝を着いた俺にフルール様は満面の笑みを向けてくれた。
真っ赤な花のように、これから成長して年頃になれば、彼女なんて足元にも及ばない姫君になるだろう。その隣に俺がいる姿は想像出来ない。俺には不釣り合いだ。それに、俺はやっぱり未来でも彼女を想って泣いているだろう。
姪っ子を眺めるフルール様は、恐る恐る指をその頬につける。赤子の柔らかい肌を堪能するかのうように強弱をつけ、不思議そうに、真剣な顔つきで姪っ子を見ていた。
「赤ちゃんって、可愛い。わたしも大人になったらこんなに可愛い赤ちゃんを産めるかな?」
今から親になる話って、先が長いことだな。このまま俺と、なんて本気でフルール様は考えているのだろうか? フルール様から見たら、俺なんておじさんじゃないか。
「もう、お母さんになるおつもりですか?」
「子供が大人になるのはあっという間ですよ」
フルール様の大人びた回答に兄夫婦は楽しそうに笑う。この楽しそうに笑い合う相手は彼女だったはずなのにと、胸の奥が痛い。彼女がいたら、こんな歪んだ婚約の必要も、そもそもこんな話、俺にはこなかったのに。
フルール様を王宮まで送った俺はそのまま、騎士団に顔を出すため廊下を歩いていた。向けられる視線がなんだか、妙だ。表向きはいつもと変わらない廊下。他人なんか気にしている暇なんてないくらい忙しいはずなのに、どうしてこんなに視線を感じるんだ?
「フランセーン卿! あの、いや、もう大丈夫なのか?」
心配を掛けてしまった。二ヶ月以上、もう三ヶ月になるか。引きこもっていれば心配されて当然だな。申し訳ないと思いつつも、彼女が死んだのだと、開き直りの気持ちもある。
無事に結婚をしたと報告をするはずだった。幸せを見せびらかすはずだった。
「隊長、大丈夫に決まってますよ。だって、フランセーン卿には新しい婚約者が……」
余計な事を話す男を睨み付けてやれば、肩を竦ませ黙った。なにも知らないくせに。勝手に話すなっていうんだ。
「隊長、長く任務から離れていたこと、申し訳ありませんでした。また、此度の手厚い恩情、誠にありがとうございます!」
本当に騎士団にはよくして貰った。フルール様のこともあるし、これ以上引きこもっていては彼女に怒られてしまいそうだ。
「気にするな。と、言いたいところだが、お前の開けた穴を仲間達が補ってくれた。感謝は彼らに伝わるよう、精進しろ。
それから、パルムクランツ嬢の事は本当に残念だった。お前達の子供を見ることが楽しみだった」
そう言ってくれるだけでこそばゆいものがある。彼女を偲んでくれる人がいるだけで、報われるようだ。
「あの、先日受け取った通知書なのですが」
配置換えの通知だった。パルム公爵領にある小さな村への転属、隊長位と出世はしているが、名前もないような小さな村って左遷だろう? かの地で何を守護するのだろう。
「言いにくいのだが、その、前国王の末の妹姫をその村に封じると、陛下よりの命があった。そのまま、フランセーン卿に守護させよと」
フルール様を権力から遠ざけるのに、物理的にもってことか。俺が婚約者に収まるだけでは難しい事でもあるのか?
でも、王都を離れられることは良かったのかもしれない。ここには彼女との思い出が多すぎる。
「フランセーン卿は、その、なんだ、夢魔の子と婚約って、気持ち悪くはないのか?」
気持ち悪い? だって、夢魔と蔑まれているのは彼女の姉、マルレーヌ妃だ。それも、彼女自身が流して噂だし、昔からあの人は優しい人だった。気持ち悪い。そう思ったことはない。夢魔って、そんなの想像上のものだろう。
てか、夢魔は男の憧れ的な、夢みたいなものじゃないか?
「いいえ。隊長は」
「フランセーン卿が来たって本当か?」
けたたましく現れた王太子に周囲は慌てて敬礼した。
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