第8話 未来を見ることは

 産まれたばかりの子を兄さんたちは俺に抱くよう言うけど、こんなに小さな生き物、触れただけで壊れてしまいそうでその小さな手を触るしか出来なかった。

 大事な彼女を守れなかった俺が兄さん達の大事な子を抱けるわけがない。

 姪っ子が産まれてからフルール様との婚約の話はなんだったのだろうか、というくらい音沙汰がなくなった。

 なにを言われても婚約を受けるつもりはなかったからいいのだが、また部屋に籠もるようになった俺に、屋敷の人たちは冷たく接した。気のせいだとは思えないほど、使用人達は俺に素っ気ない。

 それも、産まれたばかりの姪っ子に忙しいのかと思えば、そうでもないらしい。用もなく泣き喚くわけでもなく、聞き分けよく寝ていることが多いという。手の掛からない赤子だと、そこで話しているのを聞いた。


 俺も彼女を想って泣いてばかり居ては、怒られるだろうな。だけど、この……


 俺を呼びつける兄さんはいつもに増して眉間に皺を寄せていた。

 この顔は小言があるのだろう。放任主義だった両親の代わりに小言を吐くのはいつだって兄さんだった。歳だって歳だって4つしか離れてないのに、いつも偉そうに説教してと、彼女に愚痴ったこともあったな。


「マルタン、いつまで泣き暮らすつもりだ?」


 どう立ち直ればいいのかわからない。彼女がいない日がくるなんて考えたことも……もっと先の事だと思っていた。騎士なのに? と、彼女に笑われても、騎士として彼女が死ぬことはないと、どこかで過信していたし、あんな風に死んでしまうとも思わなかった。


「フラヴィの事は……忘れて生きていけないのか?」


 忘れる? 誰を? 彼女を?


「なんで、そんな事言える? 兄さんは子供も産まれて、幸せだから……」


 ふざけんなよ。なんで忘れなきゃいけない。彼女は……


「今のお前を見ていられないよ。未来を見ることは出来ないのか? もう、フラヴィは居ないんだ。彼女は過去なんだ」


 彼女のいない未来なんかいらない。俺は彼女が全てだった。

 返事を返さない俺に兄さんは深長く息を吐く。


「騎士団からの通知書が来ている。それと、これは王室からフランセーン伯爵宛に届いた書状だ」


 見慣れた騎士団の紋章が入った書と、封の開いた書の二つを兄さんは差し出してきた。

 なにも考えず、開いている書を広げた。


「……これ、返事はどうした?」


 声が震えてしまうのは仕方がないだろう。だって、俺は


「了承した。こんないい話受けるに決まっているだろう。その、年齢差は……」

「俺はこの話を断ったんだ! フラヴィ以外となんて考えられない」


 王室からの書は、フルール様との婚約について書かれていた。内容も断ることを許されないような書かれ方をしている。フルール様の内情を知らなければ、これはいい話だろう。

 相手が子供でも、王室の一員になれるのだ。貴族としては、またとない出世だ。それに俺は爵位のない次男で、引きこもりの男。

 貴族の端くれとして生きてきたこの身としては、兄さんが俺に相談なく返事を出してしまうのもわかる。わかるけど……

 気持ちがついていかない。


「お前の事を思えばこそ、この話は受けるべきだ。婚約披露の場も既に用意があると、フランセーンはなにも準備しなくて良いとあるのは、マルタンの事を知っているからじゃないのか?」

「マルレーヌ妃はフラヴィの姉だ、そりゃ知っているだろうさ。妹の相手を自分の子にって、変だとは思わなかったのか?」

「変? 家同士で婚約なんて貴族間では普通のことだ。そこまでおかしなことではないだろう」


 ああ、そうだった。兄さんに何かあれば兄嫁は俺と結婚させられていたのだっけ。


「それにあの人の子だろう。益々断れないな」

「なんでそうなるんだ!?」

「マルレーヌ妃は助けて欲しいからマルタンを選んだんだろう? あの人は、……これは私が話せることではない」


 訳がわからない。兄さんはなにを知っているんだ?


「俺、この話は」

「駄目だ。これは家長命令だ」


 兄さんは取り付くも間も与えてくれないらいしい。俺がどんなに近くで喚こうが、無視を決め込むんだ。それも、この婚約の話に限って全て無視だ。

 引きこもっていた部屋も、居心地が悪くなるようにカーテンは全て取り除かれ、寝具も上掛け一枚だけベッドの上に丸まっていた。部屋にあった椅子の類いも全て撤去されていては、どこで落ち着けばいいのだろうか?

 居間や食堂、どこかしらの部屋居れば、邪魔だと言わんばかりに始まる掃除。これは絶対兄さんの差し金だ。


 庭の木陰で微睡めば彼女と木登りをして遊んだ木が目に入った。あの林檎の木に登って赤く色づいた実を下にいた……


「マルタン」


 聞き慣れない声に振り向けば赤い髪をした少女が、フルール様がいた。

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