第7話 お忍びの馬車

 夜遅くに帰宅した俺は、屋敷に入れて貰えなかった。なにが理由かなんて簡単だ。突然の事に驚いているだけで、当然だと思う。仕事も放り出して引きこもっているだけの成人した男なんて、邪魔で当たり前だ。今まで兄夫婦が甘えさせてくれていただけ。これから産まれる子供の教育に悪い見本だよな。

 家令の話では荷物はまだ置いておいていいらしい。

 泣き暮らしていないで立ち直れと、この厳しい激励は兄さんらしい。

 このまま、騎士宿舎に向かうのも癪で夜の街を歩く。賑やかな朝市のたつ広場も夜になれば静かなものだ。それでも、時折酒に酔った者達が陽気に通り過ぎていく。中には酒に呑まれてしまった者が、粗相をしては連れに引っ張られていく。

 平和だ。小さな諍いはあっても、人の営みは穏やかに行われいる。どうしてこの平和を思える場所に彼女が居ない? 竜人なんてものがどうして、あの日、あの場所に現れた? 何度も考えて、何度も思って、答えが出ない。答えなんてない。

 目の前に立派な馬車が止まる。馬車には紋章がなかった。どこぞの大尽がお忍びで乗っているのだろう。ここにいては邪魔だろうと、踵を返した俺に声が掛かった。

 窓から顔を覗かせたのは国王だ。こんな夜中に、こんな街中にいることがおかしいだろ。

 招かれた馬車は伯爵家では到底及ばないほどに、座り心地がよかった。馬車に揺られている事を忘れそうなくらいだ。


「あの子に会ってどう思った?」

「母親の愛情を、陛下の愛情を一杯に受けて育つ健気な姫様でした」


 亡くなられた王女様はお目にかかったこともないけれど、深い愛情をお持ちだったのだろう。酷い目に合わされて、望んでいなかった子を愛せる……母親になる年齢は関係無いと。

 マルレーヌ妃だって、フルール様を見る目はとても暖かった。産みも育ても関係無くフルール様が母親に愛されていると、すぐにわかった。

 だって、フルール様には陰るものがない。素直な気持ちが表情に現れていた。

 どこにでもいる子供となにもかわらない。きっと、フラヴィの子もあんな風に笑顔が可愛い子だったはずだ。


「婚約をして欲しいと卿には言ったが、結婚して欲しいとは思っていない」


 婚約の先にあるのが結婚だ。婚約と結婚を分けて考えた事無かった。


「あの子の結婚相手はあの子が決めるんだ。市井で暮らす者と同じように恋をして、恋をされて、好いた相手と生涯を。妹の望んだものはそういうことだろう?」

「王族に連なる方が、それを許されるのですか?」


 王族がそんな結婚観を持っていいのだろうか? この人達は国のために産まれて、国の為に死ぬことが決められている人達だ。貴族だって政略結婚は当たり前だというのに。


「フランセーン卿は恋をして恋をされたのだろう?」


 俺はそうだけど、兄さんは違う。家を守る為だと、親の決めた相手と結婚した。俺は次男だったから自由に、放っておかれたに過ぎない。兄さんになにかあれば、兄嫁は俺と結婚することが決まっていた。そうならなくてよかったよ。


「恋とはどんなものだ? 民がこぞってするくらいだ。あんなにも沢山の恋物語があるくらいだ。素晴らしいものなのだろう?」


 この方は恋を知らない。恋を、自由な恋愛が許されない人だ。


「恋をさせてやりたい。……妹には辛い思いをさせてしまった分、あの子は幸せになって欲しい」


 本当にフルール様は愛されている。公子を愛する可能せいだってあるのではないだろうか。俺なんかより余程……それじゃあ権力から逃れられないのだから仕方がないか。


「姫様の選ばれた方が、権力の中枢に居られる方だったらどうなさるのですか?」

「なにもしない。自ら権力を持とうとするのであれば、それはそれだ。あの子の選択の邪魔はしない。それが余のしてやれることだ」


 フルール様は幸せになれると確信が持てる。愛される人は愛することを知っているはずだ。絶対にいい伴侶を見つけられるだろな。


「卿、婚約の話だが、配置転換だと思って受けてはもらえないか?」


 配置転換? 婚約は仕事とはいえない。


「卿は今、王太子付きの近衛だったな。それをフルール付きに変わったと思ってくれるだけでいい。必要な時に婚約者の振りをするだけだ。マルレーヌ妃と同じだ。彼女の立場も母親となっているが、乳母のような、家庭教師のようなものだと思わないか?」


 そう言われてしまえばそうかもしれない。だが、マルレーヌ妃の姫様に対する想いは母親としてのものだ。臣下だからと教え子だと、他人として姫様を見ていない。


「それで、いいのですか? 仕事として考えれば、マルレーヌ妃のように親身なれないかもしれませんよ」

「政略結婚なんて仕事のようなものだ。余だって王妃に対して情はあっても、愛というものを持っているか、わからない。……そういうものだ」


 国王の言葉は以外だ。姫様をあんなにも深く愛しておられるのに、王妃様にたいしてはわからないという。


「卿が権力を欲しいと望むならば、あの子が成人し、自らの事を決めた時に然るべき地位を与えよう」


 それじゃあ、国王の掲げた婚約者の条件から外れるじゃないか。彼女のいない今、俺に出世欲なんてものはきれいに消えている。

 ……この婚約について考える事が面倒になってきた。はじめから答えは決まっているからな。


 結婚しなくてもいい婚約者。

 子供の婚約者。

 婚約破棄が条件の婚約。


 どんな条件でも、婚約を結ぶとなれば相手がいる。不誠実な男では彼女に呆れられてしまう。


「彼女以外と添い遂げるなんて考えられません」


 俺の答えに国王は静かに頷いた。

 それから国王はなにも語らず、馬車は静寂を乗せたまま俺をフランセーンの屋敷まで運んだ。豪華な馬車から降りた俺を兄さんは無下にすることも出来ず、迎え入れてくれた。


 それから間もなく、兄嫁は産気づき女の子を産んだ。

 俺は叔父さんとなった。

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