第6話 女々しいだけの男
離宮の庭園でフルール様は1人、ダンスの練習でもしているのか、くるくる回っては足を縺れさせていた。赤い髪が動く度に揺れて、ドレスの裾がひらひらと舞う。転んでは悔しそうに顔を歪めてもう一度、動き出す。
長閑な光景だ。
「あ! ……マルタン」
俺を見つけたフルール様は恥ずかしそうに俯いて、ドレスの裾を払う。
「なにをされていたのですか?」
「ダンスの練習。ずっと見ていたのでしょう? 意地悪ね」
意地悪ってただ見ていただけなのにか? 子供の発想はよくわからない。
「相手が居ないから1人で練習していたの。婚約が決まったら、国王様の前で踊るって聞いたから」
そんな話は初めて耳にした。貴族は結婚の承諾を王宮から貰わなくてはけない法はあったが、国王の前でダンスなんて聞いたこともない。あ、王族はそんな決まりが……近衛騎士になってそんなに経ってないが、やっぱりそんな話きいたことがない。
「誰からそんな話を聞いたのですか?」
「誰って、えっと……」
頭を抱えるようにしている姿は子供だ。街中で見かける子となにも変りがない。
「誰だったかな? あ、ジュリーよ。恋人も身分が低いから国王様の前に出ることがないって、愚痴を聞いていたときに聞いたの」
身分が低ければ御前に出ることも少ないだろが、全く無いわけじゃない。俺だって、伯爵家の次男なんてあるようでない位で近衛騎士として働き、国王の側に付くことだってある。そのジュリーだって、ここ王宮で働いているということは、貴族だろう。なにか勘違いをしているのではないか。
「俺、陛下の前でダンスなんて聞いた事ありませんよ」
そんなに驚かなくてもいいのに。子供ってこんなに素直なものなのか?
「じゃあ、練習しても見てもらえないの? ねえ、国王様ってわたしのお兄様で合ってるよね?」
頑張っていたことが報われないって辛いよな。俺、要らぬ事を言ったみたいだ。
「はい。そうですよ」
「どうして国王様は、わたしと会ってくれないの? 歳が離れすぎているから?」
フルール様の瞳に涙が溜まっていく。
「それは……」
「お母様が夢魔だから? わたしが、夢魔の子だから? 夢魔の子は気持ちが悪い?」
堪えられていた涙が大きな粒となって落ちた。
「他の、お兄様やお姉様には何人かお会いしたことあるけれど、夢魔の子は……出ていけって」
「そのような事を、仰る方がいたのですか?」
誰がそんな酷い事をいうのか。子供を泣かせるような事をよく平気で言えるものだな。だいたい、マルレーヌ妃の流した噂でフルール様が傷ついていたら元も子もない。
「マルレーヌ妃は夢魔なんかじゃありません」
俺はフルール様を落ち着けるように手を握った。小さな手は温かい。
「あの方が夢魔なら、この離宮は男で溢れていると思いますよ?」
「男……?」
「フルール様は夢魔がなにか知っていますか?」
小さく横に首を振る。それだけでも赤い髪は揺れる。
「夢魔は男の精を食い物にする伝説上の魔物です。夜に行動して、朝には消える。マルレーヌ妃は朝、フルール様の側に居りませんか?」
涙は止まったみたいだ。子供が堪えるようになく姿って居たたまれない。我が儘に泣くのではない。心を抑えるように泣くって、まだ十にも満たない子供のすることじゃないだろう。
フルール様が生きる場所は、王女様が心配された魔窟の王宮だ。マルレーヌ妃がいくら暖かく抱きしめても、死んでもその深い愛情を王女様が残しても、ここは子供が過ごすような優しい場所じゃない。
「マルタン様は物知りだね」
朗らかに笑ってこそ子供らしい。彼女もこんな風に朗らかに笑っていた。青い瞳を細めて、本当に楽しそうに笑っていたっけな。
「ああ、ドニ。ここに居たのか」
大きな籠を抱え、隣の小柄な女中と楽しそうに笑っていた。俺に気が付いたその女中は軽く頭を下げ、大きな籠をドニから受け取り去って行く。
「あ、ジュリー……」
ドニが名残惜しそうにしているが、今って2人とも仕事中だろ? まあ、いいか。俺も彼女との逢瀬の時間は幾らでも欲しかった。
「あの子がドニの彼女か?」
「そうだよ。可愛いだろう? ちっちゃくって、小動物みたいにちょこちょことしてさ、とらえどころがないってところがまたそそるんだ」
ドニも惚気るのだな。
「その目はなんだよ? ジュリーはフラヴィ嬢に負けないくらい可愛いからって」
「フラヴィが一番だ」
どんな美女が目の前にいたって彼女ほどの女はいない。お転婆が過ぎることもあったが、それも彼女の良いところのひとつだ。
「ドニはなにを知っているんだ?」
「なにをだ? 質問があるならもっと要点を纏めてから聞け」
「この離宮の秘密だ」
「それは……夢魔が誰かってことならオレは知っている。てか、オレはフルール様付きの近衛だぞ?」
は? ……ドニはずっと国王付きだと思っていた。
「はははっ……」
俺、本当に駄目だ。フラヴィの事ばかりで、彼女が生きていても死んでも、周囲のことなんてそっちのけじゃないか。
「マルタンが阿呆の子だって知ってたけどさ、お前、ちゃんと仕事出来てたのか? なんか心配になってきたよ」
俺もだ。俺なんかを婚約者してフルール様を守れるとは思えないよ。……なんで俺、近衛騎士になれたのだろうな。
「それで、マルタンはなにが俺に聞きたい?」
「なんで俺なんだ? ドニじゃ駄目だったのはどうしてだ?」
「そんなの簡単だ。オレは薄情者だから。お前のように愛情深くねぇもん」
俺は女々しいだけの男だ。愛情深くなんて……
ドニは寂しそうな顔を見せては、いつもの戯けた表情に戻った。
仕事に戻るために、もとの生活に戻すにはこうして誰かと一緒に過ごすべきなのだろう。だけど、嫌だ。
まだ何もする気になれない。フルール様の事があってもなくても、まだ、無理だ。嫌だ。彼女の事がすぐに思い出されてしまううちは何も手に付かない。考えるのだって嫌だ。
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