第5話 青い瞳
近衛騎士をやっていても、離宮には一、二度しか行った事がなかった。任務が回ってこなかったってだけじゃなく、国王に疎まれた場所って認識があり、警備が僅かばかり疎かになっている場所だった。
何度か、それは問題じゃないかと騎士団で議題に上がったこともあるが、国王の顔色に負けてそのままになっていた。
このまま離宮に行って、姫様に会ったところで、俺の答えは変わらない。お飾りの婚約でも、偽りであっても、俺の相手は彼女だけだ。
「マルタン、一晩考えて答えは……そう簡単には出ませんよね」
マルレーヌ妃は自嘲気味に微笑まれ、茶を口に含まれた。昔から変わらないその優雅な姿に、フラヴィとの事が思い出される。女性らしい優美さを持つマルレーヌ妃に比べて彼女は、一言でいえばお転婆だ。こんな風に彼女を優雅な女性だと思ったことなんて一度もなかった。堅苦しくドレスを着るくらいなら、木登りがしたいというようなじゃじゃ馬だったかならな。
……ああ、また彼女の事を考えてしまっている。
マルレーヌ妃は彼女と同じ青い瞳だ。彼女の瞳はいつもキラキラと輝いて、真っ直ぐで……
マルレーヌ妃と一緒だと余計に彼女を思い出してしまう。これは不可抗力だ。仲のよかった姉妹が、昔一緒に遊んだ彼女の姉が目の前に居るのだから仕方がないだろう。
「お母様」
高い位置に一つに纏めた赤い髪を揺らしながら近づいてくる少女の瞳も青い。マルレーヌ妃を母と呼ぶ彼女が件の姫様だ。
「フルール、ご挨拶なさい」
「国王の妹フルールと申します」
マルレーヌ妃に促され、可愛らしく淑女の礼をとる。
「フルールにはまだ何も話してません。まだ恋のこの字も知らないような子供には早い話ですもの」
「それじゃあ、今騎士である俺が、マルレーヌ妃と茶を共にしていては……」
「いいのです。今ここで話をしようと思っていたのですから」
マルレーヌ妃は茶器を静かに置き、フルール様の両手を包み込むように握った。
「まだまだ子供だと思っていたあなたに、婚約の話が上がっております」
澄んだ青い瞳がキラキラとしている。
俺はまだこの婚約を了承していない。マルレーヌ妃はなんと言うつもりだろうか?
「歳の離れた誠実な青年と、歳の近い男の子。きっと、世の習いにしたがうならば、歳の近い男の子を選ぶべきでしょう。でも、母の立場からしたら青年を選んだ方が良いと思うのです」
相手を選ぶのはフルール様ご本人ってことか。それなら、俺から辞退する必要もないだろう。こんな歳の離れたおじさんじゃ嫌に決まってる。
「お相手は今こちらにいる騎士ですか?」
キラキラとした目が眩しい。俺なんか気にせず公子を選べばいい。
「わたしは……」
「今、返事は要りません。あなたがどんな答えを出しても、最終的に決められるのは陛下ですから」
……そうだった。
この婚約は国王の、いや亡き王女様の意向が強い。フルール様がどんな嫌がっても、決まってしまえば抗う事はできない。もともとフルール様はこの国の王女なんだ。婚約を自身で決められるような立場ではなかったな。
マルレーヌ妃の笑顔にフルール様は腑に落ちないといった顔をされていた。当然だ。
「マルレーヌ妃。どうして俺なんですか?」
そうだ。俺でなくてもいい。国王の掲げた条件に当てはまる者は他にもいる。俺よりも誠実な男だっている。
マルレーヌ妃は顔を伏せ、フルール様が側から離れるように近くに居た侍女を促す。まだ側に居たいと駄々をこねても、毅然とした態度で侍女はフルール様を連れていった。
「今候補に上がっているのはマルタンだけよ。この話だって、急に出てきたのだもの」
彼女が死ななければこの話自体なかったはずだ。竜人の襲撃は誰にも予想出来ない。そんな事が出来れば、彼女は死ななかった。
「あの子の事を知っているのは陛下をはじめ数人だけ。知っていても、あの子の髪が赤毛というくらいです。婚約を打診してきた公爵は何も知らないはずです」
ならば、なぜ急に婚約の話が出るのだろうか? それも、俺の……見計らったかのように。
「公爵から婚約の打診は寝耳に水のような話で……陛下も私も、頭を悩ませていたの」
普通ならば悪い話じゃない。寧ろいい話だ。姫様の生立ちが普通ならば。だけど、王女様の願いは権力から遠ざけることだからな。
「血が濃いと、陛下は断りの返事をしたにも関わらず、公爵様は引かなくて……」
そりゃ、濃いわな。複雑に混じり合って、濃すぎるだろう。フルール様のあの赤い髪を見ればわかる。国王よりも赤い髪。真っ赤な血のようで……
フラヴィの真っ白な衣装を染め上げた血の赤さを思い出す。急な吐き気に、悪寒。震えだす体……
冷たくなっていく彼女をすっと抱きしめていた。そうしていれば彼女が目を覚ますんじゃないかって。彼女をこれ以上失いたくなかった。
「マルタン?」
心配げに俺の手をマルレーヌ妃がさすっていた。彼女の青い瞳と重なる。
抑えきれずに俺は吐き出してしまった。
離宮といえ、王宮内でとんだ粗相だ。
「ごめんなさいね。本調子じゃないあなたを呼び出してしまって……」
マルレーヌ妃が謝るようなことじゃない。いつまでも、彼女の事を忘れられない……忘れたくないな。彼女の事を忘れるなんてあり得ない。彼女の子はきっと、あのフルール様のようにキラキラとした目をしているはずだ。
彼女だったら、子供をどんな愛情に包んで育てたのだろう。俺が子供に嫉妬するくらいの愛情を……それとも、俺と子供で彼女を取りあったりしたのかな?
「婚約の話はやっぱり、俺には荷が重いです。断りたい」
俺の答えなんて予想出来てただろうに、どうしてそんな寂しそうな顔をする? 俺には彼女しかいないと、知っているだろう。
「こればかりは無理強い出来るものじゃないわ。それに、あなたにはフラヴィが居たもの」
「居た、ね……なにをしても、なにをしなくても彼女の事が頭から離れません。今だって彼女がいたらと思ってしまう」
俺の女々しい話にマルレーヌ妃は静かに耳を傾けてくださる。昔からだ。
子供だった頃姉妹と俺たち兄弟は一緒に一緒に遊ぶ事が多かった。じゃじゃ馬な彼女と喧嘩して、俺は兄に怒られ、マルレーヌ妃に慰められる。こうしていつも話を聞いてくれた。
「あの子は幸せ者ね。あなたにこんなにも愛されていた」
「一緒に幸せを感じたかった」
もう、叶わない俺の願い。
「まだ、答えは早いわ。あの子を知ってから答えを出して」
知るもなにも……俺はフルール様に興味すらないっていうのに。子供を相手になにをしろというのだろう。
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