第4話 彼女との思い出

 これから先の未来を彼女以外となんて考えられない。

 それが、偽りの婚約でもだ。


 長いこと王宮にいたらしい。外はすっかり黄昏時だ。こんな時間に外を歩くなんて久し振りだ。

 そこにある茶屋でよく、フラヴィと待ち合わせをしていた。

 あの角の先にある花屋で彼女に花束を買って、

 ……買って、王都には彼女との思い出が多すぎる。

 ただ、歩くだけで思い出す。

 騎士だからって夜が更ける時間でも気にせず、街を歩くから俺はいつもハラハラしていた。

 仕事が終わったら騎士の時間じゃないと、彼女と喧嘩をした理由はそれだった。護身用に剣ならいつも携えているといってもさ、俺にとって彼女はいつだってか弱い女の子……危機感が足りないんだよ。


「あはは……」


 危機感が足りなかったのは俺だ。だから彼女は竜人に襲われて……

 魔法が使える修道士が常駐している教会にすればよかった。この王都の教会でも良かったはずだ。

 青い空に青い海、彼女の青い瞳に生涯を誓うはずだった。

 真っ赤な血に、彼女の赤く染まった姿に生涯を誓うはずじゃなかった!

 真っ白な衣装だって、あの日の青い空だって、俺たちを祝福してくれるはずのものだったはすなのに……


「マルタン!」

「うわっ!?」


 後ろから急にのし掛かられて、俺はそのまま前に倒れ込む。カツンと小さくなにかが弾ける音がした。


「大丈夫か? マルタン。派手にいったな」


 ドニは悪びれる様子もなく、オレに手を差し出す。


「ここもさ、フラヴィとよく一緒に歩いた場所なんだ」


 ドニはばつが悪そうな顔をして俺を無理やり起した。ドニに起されなければ俺はそのまま這いつくばっていただろう。

 動きたくない。


「フラヴィ嬢のことは……それよりも、さっき話した上手い飯屋に行くぞ」


 嫌がる俺をドニは気にすることなく羽交い締めにして連れ立っていく。まあ、そのくらいしてくれなきゃ、俺はついて行かないだろう。外へだって、王宮からの使者が来なければ出なかった。

 なにもやる気がしない。今もそうだ。国王が話された婚約の話だって、考えるだけでも、億劫なんだ。


「それで、マルタンは陛下となにを話されたんだ?」


 酒を煽りつつ聞いてくるようなものじゃないだろうに。それに、この話は家でも話せない事だ。ましてやこんな酒場では話せない。


「まあいいや。こうしてマルタンと話しが出来るんだ。顔が見られてよかったよ」


 一晩中ドニは俺の話を聞いてくれた。フラヴィへの溢れて止まらない想いは酒の力でさらに増していた。

 身にもならない話だろうに、ドニは根気よく聞いてくれた。


「それで、マルタンは陛下の話を受けるのか?」

「いや、それは……俺、今日の話をしたか?」


 一気に酔いが醒める。

 俺はドニに国王から打診された婚約の話をしてはいない。……いないはずだ。

 そこまで俺は酒に弱くない。自分の酒量は把握している。


「ああ、してたじゃないか。えっと、陛下は……」

「いや、してない。俺は酒に呑まれては、いない」

「そうだったか? 随分と気持ちよさそうに飲んでいたじゃないか」


 ドニは何の話をしているんだ?


「なあ、マルタン」


「オレは陛下の話を受けない方が良いと思うんだ」

「いや、だから俺は今日の話をしてはいないだろう?」


 ドニは肩を竦めて深く息を吐き、ケラケラと笑い出す。


「マルタンは相変わらずだな。オレは事情を知っているから安心しろ」


 そう言われて簡単に安心出来るかよ。簡単に信用してもいいのか? 国王から直に、私室で内々での話だ。その場にいなかったドニに全てを打ち明ける事はできない。

 件の姫様のお披露目がされていないってことは、その姿だけで政権がひっくり返ることもあるからだろう。通常王族の方々は産まれてすぐにその姿を披露されるものだし、歩き、しゃべれるようになれば、何かにつけて祝い事の宴に出席されるものだ。だけど、姫様にそれはなかった。余程の事じゃないか。



 扉が俺の頭を叩く。

 俺、ベッドまで行かずに扉の前で寝てしまっていたらしい。俺を起こしに来た従僕が申し訳ないと思うほどに、俺に謝っていた。変な場所で寝た俺が悪いんだ。従僕が謝るような事じゃない。


「朝食はいかがされますか?」

「はいはい! 朝食はオレと一緒だ」


 俺が答える前に、ドニが朝食を乗せたワゴンを押し入れてきた。

 どうしてドニが我が家にいるのか疑問を口にする前に、従僕はドニの運んできた朝食を整え、下がる。

 準備がいいというのか、自室での朝食とはなんだか変な感じだ。どんなに具合が悪くても食事は食堂でというのが、我が家の慣習じゃなかったか?


「さすがはフランセーン伯爵家だな。このパンなんか柔らかくて甘いな」


 目の前でドニにはこれでもかというくらい口に頬張っては、旨そうにしている。朝からよく食べるな。それも人の家でさ。非常識じゃ……いや、その食べっぷりに俺の食欲が減退していく。

 これは二日酔いだな。そんなに呑んだ覚えはないが、この胃のむかつきはそれ意外に考えつかない。


「で、なんでドニが俺の家で朝食を食べているのか教えてくれ」


 味気ない白湯が胃に染みる。


「昨夜、離宮に案内するって伝えただろう?」


 もちろんそれは覚えているさ。そうじゃなくて、我が物顔で朝食を食べている理由を聞いたつもりだったのだが……別にいいか。


「ドニは離宮にはよく行くのか?」

「ああ。てかさ、お前は知らないのか?」

「なにをだ?」


 ドニは頭を抱え出す。知らないことがおかしいことなのか?


「オレの彼女、離宮で洗濯婦をしているって。オレさ、彼女の自慢を騎士団の中でこれでもかってくらいしてきたはずなんだけどなぁ」

「俺は、フラヴィしか見ていなかっただけだ。ドニに興味はない」


 知っていると戯けるドニはどこかばつが悪そうだ。今の俺が何でもかんでも彼女と結びつけてしまうせいだ。少しは自重しなくてはいけないな。

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