第七章

 気持ちの良い天気の中を、勇一達は登校のためにゆったりとした歩調で歩いていた。

 遅刻する事のない時刻のため、そこかしこで生徒達が銘々の話しで盛り上がりつつまっすぐに校舎に向かっている。

 そこにあるのは、何事もない平和な風景だ。

 極々当たり前の、変わることのないはずの生活。

 だが、それを打ち破られるてしまう者達が、勇一と同じ宿命を背負った仲間がこの中に入るのだ。

 そんな思考に勇一が陥るのは、阿修羅との修行中にかけられた言葉があるからだろう。

『お前を中心に、八部衆は集っている。天王の件がいい例だ。

 お前の周囲に気を配れ。そうすれば、自ずと他の者達も覚醒するだろう』

 阿修羅の言葉が、勇一の頭の中を過る。

 自分の覚醒が呼び水となり、他の者にもそれは伝播する。それが良い事なのか、悪い事なのかが分からない。

 もう犠牲は出したくはない。けれど、それは儚い夢だ。

 忍の件が、いい例でしかない。

 成瀬真由美という少女を犠牲に、忍は覚醒に導かれた。

 それだけではなく、前世の自分達は、多くの生命を代償に人間へと転生したのだ。

 重い溜息が、いつの間にか口をつく。

「勇一?」

「あ?」

「どうかしたの?さっきから上の空だけど」

「ちょっと、な」

「ふーん」

 それ以上の詮索しないのは、那美なりの気遣いだ。

 それが分かるだけではなく有り難く感じられるのだが、一線を引いた那美の行動は、幼なじみであるはずの那美の存在が酷く遠く感じられる。

 別れる時が、来るのだろうか。

 そんな予測が、勇一の思考の隅で生まれる。

 これ以上の事に巻き込むのは、勇一の本意ではない。だが、それでも手放したくはないと思うのは、いけない事なのだろうか。

 そんな事を考えていた勇一の背中に、僅かばかり覇気のかけた声がかけられた。

「先輩、おはようございます」

「あ、おはよう、須田君」

 そちらに振り向き、那美が柔らかな笑みを浮かべてそう返事を返す。

 小さな笑みを浮かべてはいるが、どこかやつれたような顔立ちの須田忍は、ぺこりと頭を軽く下げた。

 本調子ではないのは、その表情だけでも分かる。だが、なんと声をかけて良いのか分からず、勇一は曖昧な気持ちのままで忍に声をかけた。

「おっす」

 そんな勇一の葛藤を見破り、忍はすぐさま話題を変えて話しかけてきた。

「そういえば、先日の交流戦の事、聞きましたよ」

「どうせ部長が尾ひれ眼ひれ付けての言葉だろ」

「そんな事はないですよ。ただ、失格になった、って所に引っかかりは覚えましたけど」

 苦笑でそう切り返し、忍は真剣な表情で勇一に問いかけた。

「何があったんです?竹刀が割れるなんて事、まず有り得ないはずですし」

「その件か……」

 苦いものを飲み下したかのように、勇一の顔が渋面となる。

 その様子で何かを察したのか。忍は顔を引き締めて勇一に語りかけた。

「今日の放課後、お話しを聞かせてください」

「……あんま、面白い話しじゃねぇけどな」

「そんな事、今更ですよ」

 軽く笑みをこぼし、忍はそう断言する。

 頼もしい、と言えなくもないそれに、勇一は忍が少しずつではあるが、成瀬真由美の死を乗り越えようとしている事を感じ取った。

「そういえば、お前、神力の練習はしてるのか?」

「えぇ。少しずつですけど、使い方は思い出してきてるので」

「って事は、空間移動なんかも、出来るのか?」

「はい。短い距離なら、なんとか」

「じゃぁ、勇一は一歩遅れてるわね」

 那美の笑みを含んだ声に、忍は二、三度瞬きを繰り返す。

 そして、その言葉の意味が脳内に広がったのか、忍は驚いたように目を見張った。

「え?先輩、まだ出来ないんですか?一番最初に思い出せって、阿修羅に言われたんですけど」

 心底驚いたように、素っ頓狂な声が忍の唇をついて出る。

 素が天然な忍だ。その為に漏れ出た言葉であろう。だがその声音に、勇一は思わず苛立ちを覚えてしまう。

 自分の方が早く目覚めたというのに、後から覚醒した忍は着実に、そして迅速とも言える早さで神力を身につけ始めている。

 比べてしまうのも仕方が無いと思っていたのか、それとも他の要因があったのか、忍の成長ぶりをつぶさに知っていただろうに、阿修羅はだんまりを決め込んでいたのだから、性格が悪いと言うべきなのだろう。

 無論、勇一も忍の神力の取り戻し方の早さを察しはついていた。その為に焦燥感には駆られていたのだ。もしも阿修羅が一言でも言ってくれれば、なんとしてもと奮起していたのだろうが、そこまで阿修羅はお優しく出来ていないのは、今生での接し方でも分かっていたはずのことなのだが……。それでも、である。

「あんの野郎-」

 地の底から響くような声でそう呻き、勇一は憮然としたように忍に視線を投げつけた。

 それを受け止め、忍は居心地悪そうに肩をすくめる。

 そんな二人に、呆れたような視線を那美は向けてきた。

「阿修羅らしい、と言うべき何でしょうね、きっと」

「まぁ、僕の場合、感情制御が出来ずに覚醒したので、それを押さえつけるためにも神力の使い方を早く覚えなきゃならなかったので」

 少々言いづらそうにしながらも、はっきりと忍はそう話しを締めくくった。

 それは勇一も同じ事のはずだ。にもかかわらず、今だに神力の制御が旨く出来ないのだから、勇一の中では焦りが生じてしまう。

「勇一、焦っても仕方のない事だからね」

 勇一の心を見透かしたように、那美が釘を刺してくる。

 思わず憮然としてしまうが、確かに那美の言う事の方が正しいのだから、反撃の隙間は全くと言っていいほどにない。

「わぁってるよ」

 苦虫を噛み潰したような表情でそう言い放ち、勇一は少しばかり歩調を早くする。

 子供っぽいと言える態度に、那美は苦笑をしてしまう。

 困ったような忍の肩をちょんと叩き、那美は勇一を追いかけるべく足を動かし始めた。

 それに続くように忍も歩き出しながら、忍は恐縮したように勇一に話しかけた。

「先輩、すいません。この間の試合」

「何がだ?」

「僕、当日欠席しましたから、皆に負担をかけたな、と思って。

 そうすれば、先輩個人戦に出なくてすんだんだと思って」

「その事か……」

「はい」

「どうせ部長が当日になってエントリー変更かましてきただろうから、あんま気にする事はねぇだろ。

 っつうか、退部した人間を引っ張ってくる連中が悪いんだからよ」

「まぁ、それも、そうですよね」

 剣道部部長の顔を思い浮かべ、その性格の悪さを知る忍もまた、同意の意を示す。

 あの先輩ならば、笑顔を浮かべてエントリーを変える事など造作もなくやってのけるだろう。それが確信出来るため、忍もまた苦笑を浮かべざる得ない。

「斉藤先輩って、強引な所あるわよね」

「あの人は、無茶を知っててそれを無視してくるからな。どっちにしろ、あぁなっただろうしな。あんま考えたくねぇよ」

 勇一は悪魔の尻尾をつけいるに違いない部長の行動に、疲れたように大きな溜息を吐き出した。

 その様を、那美と忍は何とも言えない表情を浮かべて見つめるしかない。

「何をしているのだ、お前達は」

 気配が全くなかったため、背後からかけられた声に、三人はびくりと身体を震わせて慌ててそちらを見やった。

 失笑に近い笑みを浮かべ、そこには阿修羅が佇んでいる。

「おはよう、阿修羅」

 先程の話題が響いているためだろう。緊張感を漂わせて僅かに身体を強ばらせていた三人だが、中でもいち早く我に返ったのは、やはりというべきか、那美だ。

 勇一達もなんとかそれを脱し、憮然とした表情で阿修羅を出迎えた。

「急に声かけんなよ。驚くだろ」

「この程度の事で、一々騒ぐ事もあるまい。むしろ気配がなかったとはいえ、ここまで接近された事に気がつかなかった点では、二人とも怠慢だと言えるだろうな」

「阿修羅……」

 頭痛を堪えるように額を押さえ、那美は溜息交じりそう呟く。

 言われた本人達は、忍は真剣な顔で己の未熟さに唇を噛みしめ、勇一はふて腐れたようにその言葉を受け止めていた。

 そんな二人を眺め、阿修羅は軽く笑みをこぼして歩き出す。

 慌ててその後を追いかけ、勇一達は高等部の校門近くまで進んだ時だ。校門付近がいやに混み合っている事に気付き、勇一は歩む速度を落とした。

「あぁ、今日は服装検査の日だったけ」

 忘れていた事を思い出し、那美は人混みでごった返す校門に視線を向けた。

 校門前では、風紀委員と生徒会の役員が、忙しげに生徒達の服装をチェックしている。とはいえ、この矢沢学園内ではそれほど派手に制服改造や羽目を外した格好をした生徒の数は少ない。それは、この学園に通っている事へのステータスがはっきりと分かるためと言えるだろう。

 御三家といわれる籐華学園や聖山高校も、それは同じ事が言える。入学までの狭き門をくぐり抜け、この学園に通う事を許されているのは、受験生達の中でも一握りの存在だけだ。もちろん、エスカレーター式の学園内でも、進学するためのテストは外部受験生よりも難関と言えるため、学生達、主に三年生は受験シーズンともなれば必死の形相で勉学に励むのは当たり前の事だ。

 来年は自分達もそうなるのだろうな、と考えつつも、それは叶わない夢なのだと勇一は頭の中で滲む思考に口の端を歪めてしまった。

「勇一?」

「あ、何でもねぇよ」

「そう?」

 那美の口調には明らかに疑いの色が滲んでいたが、それ以上は深く追求せずゆったりとした歩調で先に進んだ。

 順番待ちの列に並んで進んでいると、見知った顔を見つけた那美が小さく頭を下げた。

「あら、珍しい組み合わせね」

「そうですか?佐山先輩」

 ふんわりとした微笑みを浮かべて勇一達に話しかけてきたのは、高等部生徒会生徒会長を務める佐山明日香だ。

 部活動には参加していないが、運動神経は非常に良く、そして勉学においては常に学年十位以内に入り、何よりも生徒会長としても信頼の強い佐山の存在は、生徒会副会長の九条に続いて人気のある生徒だ。

 通り過ぎる生徒達の中には、明らかに憧れの目線を向けてくるのに対して、佐山は軽く手を振ってみせる。何時もの事なのはその仕草だけで分かるため、気さくに話している勇一達を羨望の眼で見つめて通り過ぎていく彼らに、勇一達は居心地悪げに肩をすくめてしまう。とはいえ、若干一名はそんな事を気にする事はなかったのだが。

 阿修羅の態度に幾分か苦笑を浮かべつつも、佐山は気になっていた事を口にした。

「秋山君、学校には慣れた?」

「あぁ。皆良くしてくれるしな」

「そう、なら良かった。

 こんな時期に転校してくる生徒なんて珍しいから、みんな秋山君の事気にしてるみたいだったから」

 その一人であったのは、佐山の唇からして理解出来る。

 人当たりの良く、他の者への気配りは人一倍強く、責任感の強い佐山だ。阿修羅が近寄りがたい雰囲気を持っているため、クラスに溶け込んでいるかを心配していたのだろう。

 ほっとしたように肩を下ろし、淡い笑みを浮かべた。

「おい、明日香。いい加減に仕事に戻れ」

 そんな中、呆れを込めた口調で呼びかけたのは、九条留美だ。ゆっくりと勇一達に近づき、そのメンツに僅かに驚いた色を一瞬瞳に浮かべるが、九条はすぐに用件を思い出したように佐山に話しかけた。

「まだ風紀委員との合同服装チェックが終わってないんだぞ」

「分かってるわよ。すぐに戻るから心配しないで」

「本当か?」

「そんなに信用ない?」

「まぁ、な……」

 チラリと阿修羅を見やり、九条は佐山に視線を戻す。

 何かに気付いた様子ではあったが、今追求する時ではないと感じたのだろう。

 九条は溜息をついて、佐山に早く来いと目線だけを送りつけた。

 それを微笑みで受け止め、佐山は勇一達にそれじゃぁ、と言う言葉を残してその場を去って行く。

 その背中を見送り、勇一達は詰めていた息を吐き出した。

 生徒会の者達は、ある程度勇一達は顔見知りだ。何度か部の事で話し合いをした事があるが、会計に任せればいい事案を生徒会長および副会長自が、態々出向いて説明してくれるという、信頼を築き上げるために足を運んで、誰もがそれに頷きを見せていた。

 それにしても、だ。佐山が阿修羅の事を心配しているとは、思ってもいなかった、というのが、勇一達の正直な感想だ。

「阿修羅、お前本当にクラスに馴染んででいるのか?」

「さぁな。私は彼らの事を知ろうとはは思っていないからな。彼女の心配は、余計な事としか言えないな」

「お前なぁ……」

 疲れたように吐息を吐き出し、勇一は佐山の姿を見つめる。

 ふと、佐山の姿に誰かの姿がかぶるが、それは一瞬で消えてしまう。

 今自分が緊張感を持たなければならないのは摩利支天の行動であり、すぐに消去できてしまう感情ではないのだから。

「まぁ、お前がそれでいいってんなら、俺らは口を出さないから早く馴染めよ」

「努力はしよう」

 そうは言われても、その言葉を鵜呑みには出来ない勇一は、ジトメで阿修羅を見やる。 それを綺麗に無視し、阿修羅は校門に向かって歩を進めた。

 その背中を追うように勇一達も歩き出し、風紀委員や生徒会の顔を眺めながら校門をくぐり抜けた。

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