第25話 雪の山 ~中宮のいたずら~
「あなたの『夜をこめて』のお手紙は、殿上人がみんな見てしまったよ」
行成様は、その後私の局に言いにいらっしゃいました。
「ほんとうに私に好意を持ってくださっていることが、それでわかりました。せっかくのすばらしい事を、人が口々に言い伝えないのは、甲斐がないことですものね。かたや、あなた様のお手紙はお下手でみっともないので、一生懸命隠して人にお見せしないようにしています。これもまた、同じくらいの思いの深さでしょう」
「そうした、物事をわかって言うようなところが、他の人とはやはり違う。『私のことを考えず恥ずかしいことをなさった』などと普通の女人のように言うかと思ったのに」
たいへんお笑いになりながら仰います。
「それは、まあどうして。お礼を申しあげたいくらいですわ」
「私の手紙を隠してくださったことも、しみじみとうれしいですね。さもなかったら、どんなに情けなく思って恨んだことでしょう。これからも、そのようにお頼み申しあげますよ」
それから数日後、経房君(つねふさぎみ)がいらっしゃいました。
「頭の弁はあなたのことをひどくお褒めになっていましたよ。私の手紙へのついでにあなたのことを書いていらっしゃいました。私の思っている人が、人に褒められるのはたいへんうれしいことです」
まじめな顔をしておっしゃるのがおもしろいのです。少しも身分を嵩に着ないかわいいお人。
「今日はうれしいことが二つもありましたよ。あの方が褒めてくださっているということと、あなたの思う人の中に入っておりましたことですよ」
私がそういうと経房君は、
「今さら、そんなことを新しいことのように喜びなさる」
と、少しはにかんでいらっしゃいました。
心配された中宮様のご気分も、秋を迎えてご快復なさいました。
「私は、夏はひどく大儀に感じられるのよ」
一晩中吹き荒れた野分が、朝になるとうそのようでした。端近に寄ると、立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)が倒されているのが現実だったと語っていますが、格子の目に一枚一枚、木の葉が吹き入れられている様子は荒かった風のしわざとも感じられません。
「夏かと思えばすぐ冬がやってきます。私は、冬はひどく寒いのが良いと思います。夏は世にもなく暑いのが良うございます」
「少納言らしいわね。なるほど、暑くない夏や寒くない冬はいずれにせよ無いのだからね」
人の言葉というものは、好ましくもにくらしくも受け取れるもの。私が草子に書くことは、おおかた人々の感じ方とは違っていて、笑われたり誹られたりもすることでしょう。ですが、なぜか私は知っていました。中宮様だけはいつでも私が言わんとすることと同じ方向を見てくださっていることを。
私の言葉が言霊となったわけではないでしょうが、その冬はひどく冷え込みました。
十二月十日頃には、雪がたいへん深く降り積もりました。最初、文箱(ふばこ)の蓋などに雪を集めたりなどしていたのを女房たちは、
「どうせなら、庭に雪山をこしらえましょうよ」
と言って、中宮様のご命令だということで侍を呼び寄せます。主殿司(とのもづかさ)の者も、中宮職の役人も大勢集まってきて、格別な雪山が出来上がりました。雪山づくりの参加者には皆、褒美が与えられました。
「この山はいつまでありおおせるかしら」
中宮様がおたずねあそばします。
「十日あまりはございますでしょう」
「いえ、半月ほどは持ちますでしょう」
「半月はもちこたえますまい」
などと、一人ずつ口々に申しあげました。
「少納言は、どう思うか」
「正月の十五日までは、きっとございますよ」
中宮様はお疑わしげでいらっしゃいます。
「年内いっぱいには、なくなってしまいましょう」
女房の中にも私に賛成する者はございません。実のところ私も、(少し言い過ぎてしまった。せめて、正月初めころにしておけば良かった)と後悔するものの、言い出してしまったことは変えまい、と思って頑固に言い通してしまいました。それからは祈祷でもしたい気分でおりました。途中、雨が降ったものの月末まではまだ丈も高いままで雪山は残っておりました。正月一日には、また雪がたくさん雪山に降り積もって高くなっているのをうれしく思っていると、
「これはだめよ。新しい雪の部分はかきすてなさい」
とお命じあそばします。
翌朝早く局へ下がると、使いが松に青い紙をつけたのを持って参りました。ひどく寒そうに震えています。たずねると、それは斎院の選子(せんし)内親王様からのものでした。斎院の風流でいらっしゃるのは疑いもなく皆の知るところなので、咄嗟にすばらしく思われました。
すぐに立ち返り、中宮様がまだお寝みなのもわかったうえで、慣れない御格子上げを一人で軋ませながらしておりますと、お目覚めあそばしました。
「朝から何をしているの」
「斎院からお手紙がございましたのです。すぐに差しあげ申さずにいられましょうか」
「なるほど、それで一心にそうしていたのね」
中宮様は起きていらっしゃって、お手紙をお開けあそばしました。かわいらしい卯槌(うづち)を山橘(やまたちばな)などで飾ってあり、頭の方を紙でくるんでありますが、お手紙は見当りません。
「お手紙が何も無いはずはないわ」
中宮様がおっしゃりながらくるんである紙を広げあそばすと、そこに、
山とよむ をののひびきをたづぬれば いわいの杖の音にぞありける
「山も鳴りわたる斧の響きを何かと探し求めると、正月卯の日の祝いの杖を切る音だったのでした」という、すばらしいお歌でした。すぐに、お返事あそばしますが、さすがに選子様へとなると特別気をおつかいになり、書き損じなどもなさるご様子でした。結局どのようなお返事をお書きになったのか、お聞きしなかったのが残念でなりません。
清げなる いわいの杖の音なれば よきおとづれぞ今年あるらむ
そんな風でもあったでしょうか。書き終わると、にっこりとしていらっしゃいました。
一方、雪の山は消える様子もなくただ黒くなってきて見ごたえがなくなってまいりました。私はもう勝ったと心の中では思っているけれど、女房たちは、「七日までも持たないわよ」と言うので、早く中宮様に結果をお見せしたいと思うのでした。すると、急にお使者が参り、主上様が中宮様を内裏にお迎えあそばすということになりました。これは、とても御めでたいことです。ですが、雪の山が見届けられなくなるのはひどく残念です。中宮様や女房もそれを残念がります。私は引っ越しの準備に紛れて木守(こもり)を呼び寄せました。
「この雪をよく見張って、子どもなどに踏み荒らさせないようにしてちょうだい。十五日まで雪山を守ることができたら、中宮様からご褒美がありますよ。私個人としてだけでも十分にお礼をしよう」
そう言って、いつも木守がせがんでいるような果物をたくさん与えると嬉しそうに答えます。
「なに、簡単なことですよ。私がいつも番をいたしましょう。子どもたちが登ったりするでしょうから」
「それを制止しても聞かないようだったら、こちらへ言って来なさい」
三日に中宮様のお供をして内裏へ入りました。内裏に居ても下がっていても、とにかく絶え間なく使いをやっては雪山の様子を探りに行かせ、木守に節句のお下がりなどを与えます。
「木守がありがたがって拝んでおりました」
と、使いの者が笑いながら戻ってまいりました。
ところが、十三日の夜に雨がひどく降ったのでした。私はため息をつきながら、
「あと一日というところだったのに・・・」
と言うと、家人も大げさすぎるといって笑います。その夜はおちおち寝もしないで、翌朝使いをやって見に行かせました。
「どうだった」
「円座ぐらいになっています。木守がとてもきびしく子どもたちを寄せつけないよう見張りをしていて、『明日までといわず、あさってまでもきっと持ちますでしょう。ご褒美をいただきましょう』とはりきっております」
私はうれしくてたまらず、(明日になったら歌を添えなどして、入れ物に盛った雪を中宮様にご覧にいれよう)と思います。いよいよ当日、暗いうちから大きな折櫃(おりびつ)を使いに持たせ、白いところだけを入れて持ち帰るよう命じました。すると使いは思いもかけずすぐに戻って、折櫃はからっぽのままなのでした。
「とうになくなってしまったのでございました」
私は呆然としてしまいました。せっかく苦心しておもしろく歌を詠もうと考えていたのも無意味になったのです。
「どうして。昨日までそれほどあったというのが、夜の間になくなってしまうとは」
「はい。木守も『夜までは確かにございました。せっかくご褒美がいただけると楽しみにしておりましたのに』と申しておりました」
そこへ、内裏(だいり)にいらっしゃる中宮様からお手紙がまいりました。
「例の雪は今日まであったか」
と、ございます。私は悔しくてたまらないけれども、
「昨日まで確かにあったというのは、我ながら感心いたします。けれども十五日までというのは欲張り過ぎましたでしょうか。夜の間に誰かが私のことを憎んで取り捨てたのかもしれません」
と、お伝え申し上げるよう使いに言いました。
二十日に私は参内し、その折も真っ先にこのことを申し上げるのでした。
「『みな消えてしまった』と、使いがこのようにぶらんと櫃(ひつ)を下げて来たのは意外でございました。白くかわいらしく小山を作って白い紙に立派に歌を書いて差し上げようと思っておりましたのに」
中宮様はたいへんお笑いあそばし、御前の人たちも笑います。
「そんなに心を入れていたのに、罪なことをしたわね。実は十四日の夜に侍(さぶらい)をつかわして、取り捨てたのよ。あの時、そなたの返事に言い当ててあったのがとてもおかしかったわ。木守が出てきて一所懸命手を合わせて拝んだそうだけど、『中宮の仰せであるぞ。あちらの里からやって来る者に決して話すな。もし話したらお前の家を壊してしまうぞ』とおどして、築地(ついぢ)のあたりにみな捨ててしまったのよ。『たいそう高くてたくさんありました』と侍も言っていたから、ほんとうに二十日までだって、十分もったでしょう。もしかしたら、今年の初雪だってそれに降り重なったかもしれないわね。主上様もお聞きになられて、『よく予想を立てていたものだ。皆に反対してでも』と、殿上人にもお話になられたことでした。さあ、その歌を披露なさい。今はこのように事情を明かしたのだから、あなたの勝ちよ。さあ、お詠みなさい」
女房たちもそのように催促いたします。
「そのようなこととも知らずに、なんで今さら申し上げられましょうか」
私は、心底がっかりしてしまうのでした。そこへ主上様もおいであそばしました。
「これまで長年、宮のお気に入りの女房だと思っていたのに違っていたのかと思ったよ」
おからかいになられますので、もう泣き出したい気分です。
「ああ、悲しい。なんて厳しい世の中でしょう。後から降った雪を喜んでおりましたら、『それはだめ。新しいのは掻き捨てろ』などとわざわざおっしゃったり」
「宮はそなたに勝たせまいと思ったのであろうよ」
と主上様もお笑いあそばしたのでした。
中宮様は、おとなのようでも子どものようでもあり、そのどちらの魅力もお持ちのお方でございました。局へ下がると式部のおもとが話して聞かせてくれました。まだ私がしょんぼりとしているのを見かねたのでしょうか。
「中宮様って、変わったお方でしょう。御年に似合わずお考えが落ち着いていらっしゃるのに、とても中宮とは思えないおもしろい事をなさるの。あなたが伺候する前にもこんなことがあったの。今度のことで思い出したわ」
式部のおもとは、恐れ多くも中宮様のことを変わったお方、などと言い、砕けた調子で語り始めました。
「主上様の父君、円融院の喪が明けたときのことよ。ようやく誰もが喪服を脱いで着替え、しんみりと亡き院の思い出話をしていたの。雨がひどく降っていたわ。藤三位(とうのさんみ)の局(つぼね)にね・・・」
「藤三位って」
「ああ、主上様(うえさま)の乳母君(めのとぎみ)よ。その藤三位の局に、まるで蓑虫のようなかっこうをした男童(おとこわらわ)が、大きな木に立て文をつけて持ってきたの。取り次いだ女房は『今日は物忌(ものいみ)中でいらっしゃるから、蔀(しとみ)もお上げしないのですよ』と言って、上のあいている所から文を取り入れて藤三位にお渡ししたの。藤三位は翌朝になって、よく手を清められてから『その経を』と、昨日届けられた経らしき立て文を開けてご覧になると、経ではなくて歌の書かれた胡桃色の色紙だったの。年老いた僧の筆跡らしく、衰えた字で書いてあって、
これをだに かたみと思ふに 都には 葉がへやしつる椎柴の袖
と詠んでいたのですって。
『せめてこの喪服を円融院の思い出として山里では脱ぎかねていますのに、都では早速脱ぎ替えてしまったでしょうか』なんて言ってよこすなんて、憎らしいでしょう。藤三位も、『あきれた、いまいましいことをするわね。誰かしら。仁和寺の僧正かしら』とお思いになるけど、『僧正がまさかこんなことは仰るまい。誰なのかしら。大納言朝光(あさてる)様が院のお側にいらっしゃったから、あのお方ではないだろうか』と結論をお出しになったの。『早く主上様や中宮様にお聞かせ申し上げたいわ』とお思いになって、物忌みが終わるやいなやまず大納言にこのお歌の返歌を使いに渡して、またすぐに来た大納言のご返歌を持って参上なさったのよ。中宮様は、最初の歌と大納言からの御歌をお見比べになって、『大納言の書体ではなくて、坊さんの書体のようね』とまじめな顔で仰せあそばしたのよ。藤三位は、いっこうにおわかりにならなくて、『それでは誰でございましょうか。物好きな僧剛や上達部といえば、あの人、この人・・・』と知りたがっていらっしゃると、主上様が、『おや、この辺に似た物があったようだ』と、例の胡桃色の色紙をお出しになったの」
「まあ、それで」
「藤三位が、『いや、まあ情けないこと。何なのか、わけを話してくださいよ』と申しあげると、『使いの男童は女官の小兵衛(こひょうえ)が手なづけて行かせたのだろう』と、中宮様とお二人でお笑いあそばしたの。藤三位は主上様のお袖を揺すぶりながら『どうして、こんなにおだましあそばすのです。本物のお経だと思って手を清めて、伏し拝んだことでしたよ』とお笑いになりながら悔しがられるご様子がおもしろかったわ」
さすがは道隆様の御娘、と思わされるおいたずらです。私はしばらく笑い続けてから言いました。
「主上様も、中宮様とご一緒だと悲しいこともお忘れになるのね。私だって、中宮様といると少しも退屈しないのですもの」
「大納言様も風流なお方だから、この一件は名誉なことだった、なんてお笑いになって仰っていたそうよ」
「水晶の貴公子とうたわれたお方なのに、年老いた僧の字と間違われたのは別としてもね」
私はそう言って笑いながら、大納言朝光様といつも楽しげにお酒を酌み交わしていらっしゃった道隆様を思い出しておりました。なぜか式部のおもとも同じことを考えていたようです。
「どうして、すばらしいお方は早くお亡くなりになるのかしら」
「そんな話、やめましょう」
私はその時、ふとわけもなく胸によぎった暗い影を、急いでふり払いました。
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