第24話  逢坂関 (おうさかのせき) ~思いをこめて~

 

 行成様と私の気が合いましたのは、歌詠みの子が歌詠みが苦手という妙な共通点があったからかもしれません。私が草子のことで少し宮中で名が立つようになって一番困るのは歌を詠んでこられることでした。曾祖父清原深養父きよはらのふかやぶ、父元輔もとすけは今でも大歌人とよばれております。知らず知らずのうちに先祖に気圧されてしまうのでしょうか、改まった歌というものがさっぱりだめなのです。行成様も不思議と和歌をお嫌いでした。故祖父君の伊尹これただ様は、歌才の誉れ高いお方です。死後、僧の夢の中でも歌を詠んだという父君義孝さまもお父様の後を継いで、和歌所別当でいらっしゃいました。

「意外なところで繋がっているものですね。父元輔は行成様の御祖父伊尹様のもとで『後撰集』を編んでおりました」

「ああ、元輔殿は和歌寄人よりうどで梨壺の五人衆のお一人でしたね」

 そして、同時に言ったのでした。

「なのに、私たちは和歌嫌い」

 そんなことをあれこれと話しているうちに、すっかり夜が更けてしまいました。

「もうすぐ主上様の物忌ものいみが始まるので、参上しなくてはならない」

 行成様は、きちんと時刻をお守りの方でした。

 翌朝、蔵人所くろうどどころの官用紙を重ねたお手紙がありました。

「きぬぎぬの朝は、心残りのあることです。夜通しで、昔の人の事でも語り明かしたかったのですが、鶏の声にせき立てられて」

 きぬぎぬなど、まったく事実では無いことなのですが、さもありげなことをいろいろとお書きになっていらっしゃいます。ただ行成様のご筆跡はたいへんすばらしいものでございます。

「たいへん夜更けだったという鶏の声は、『孟嘗君もうしょうくん』のでしょうか」

 私がお返事すると、折り返し、

「『函谷関の鶏は人の鳴きまねで、関守をだまし孟嘗君を逃がした』と言いますが、この鶏は逢坂の関所のことです」

 と、またもや私と逢瀬があったように書いていらっしゃいます。

 私は、わざと歌でお送りしました。


 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ


「ここには利口な関守がおりますのでだまされません。逢坂の関は越えられそうもありませんね」

 行成様からも呼応して歌が参りました。

 

 逢坂はいと越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか

 

 もう、これ以上は言い返しますまい。すっかり強気に出られてしまいました。

 早速、これを中宮様にお見せしたいと思い参上しました。弟君の隆円僧都の君がお見えになっていて、行成様からの最初のお手紙をご所望なさいました。これをお習字のお手本になさりたいのだそうです。お手本にしては、ひどい内容ですがお断りすることもできません。僧都の君は、礼拝までして大切にお持ち帰りあそばしました。中宮様は、

「次の歌のお返しはしなかったのね。たいへんよくないわ」

 とお笑いあそばしました。

 僧都の君がお帰りになった後、まだ私以外誰も参上していなかったためでしょうか。中宮様は、いつにない一人の御女の表情を私にお見せになり、『枕草子』をお取り出しあそばして、仰せになりました。

経房つねふさが書き写したものを見ました。おもしろく書いているわね。今にして思えば、そなたが宿下がりをしていたのは、かえって良かったのかもしれない。私は世を嘆いてみせるのは、好きではないのよ」

 それから草子について、ここはこうか、そのことはどうかなどいろいろとご質問なさって、とうとう実方君と私の関係を見破っておしまいになったのでした。

 それだけではありません。

「私が仏名を勤めている時に、あなたときたら斉信(ただのぶ)と遊んでいたのね」

 私は、今度はもっと慌ててしまいました。

「それは、人から聞いた話でございます」

「あなたって、嘘が下手ね。『麻生(おう)の下草』を口ずさみながら、あなたの局をのぞいて行った『暁に帰る人』というのも斉信のことでしょう。始終詩を吟誦しながら歩く人なんて、兄上か斉信くらいだもの」

 考えてみればそうですが、これまで誰にも私自身のことだと言い当てる人はおりませんでした。私がまごついていると、それ以上お責めにならず、

「ほかにも書いているものがあるのでしょう」

 とおっしゃいました。

「里にこもっている時に書きためたものは、まだ誰にも見せておりません。やはり中宮様に初めにお見せ申しあげたいのでございます」

「楽しみにしていますよ。このところ、少し気分のすぐれないときがあります。そんなときには、あなたの『枕草子』がお薬となるでしょう。これからも、私を思っていてね、少納言。私には兄や弟や妹はいるけれど、姉はいないと思っていた。これからは、あなたを姉と思って頼みにしているわよ」

 思わずはっとして、中宮様のお顔をお見つめ申しあげてしまいました。いつものように淡々としておいでの中に、お声が少しばかり憂いを帯びているようでした。それは長徳四年、夏のことでした。

 そんな中宮様とのやりとりから間もなく、斉信様のお側にいつも従っていて、私の局へもたびたびいらっしゃっていた宣方のぶかた君がお亡くなりになり、年の暮れに実方君の訃報が届いたのでした。二十代と三十歳そこそこではかなくなってしまわれた親しかった人たちの死は、私にいろいろなことを考えさせました。

 私は、何のために生きているのでしょう。私は誰のために生きているのでしょう。私は何のために物を書いているのでしょう。私は誰のために物を書いているのでしょう。人の命は短いけれど、物の命はどうなのでしょうか。私が死んでも草子は生きつづけるのでしょうか。もし、そうであるならば、私はたくさんの人を草子の中で生かしつづけたい。死んだ人も、今は生きている人々も。生きることを喜びながら、同じ時代にともに生きていたことを。

 それを、私は『枕草子』に託しました。

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