第14話  南楼月 ~関白道隆を偲んで~


 関白道隆みちたか様がご病気でお亡くなりになった頃のことを、私はあまり草子に書いておりません。あまりにも、めまぐるしく不幸が折り重なる中で後宮の様子を描くことができたのは、わずか二つの出来事でした。それを今読み返してみれば、随分と空騒ぎのようですし、現実からの逃避だったのかもしれません。

 道隆様は、お父君兼家様のお住まいであった東三条の西の対で息を引き取られました。淑景舎しげいさ様が入内じゅだいなさって、あの登華殿でのご家族団欒の後、急にお悪くなられたとのことでした。私は、そのころ都で流行っているという疫病が原因かと思いましたら、他のご病気であったとのこと。とすると、あの始終ご冗談を仰っていた日も、随分こらえておいでだったのかと、つらく思われました。病の床に就かれ、ご対面できなくなってからも二、三の話が聞こえてまいりました。

 経房君の兄君でいらっしゃり、後に四納言のお一人に数えられた俊賢としかた様が、主上様の宣旨をお伝え申し上げられるために、道隆様とお会いになられたのでした。そのご様子は、お痩せになり苦し気な息づかいで直衣のうしの乱れもそのままではあったものの、お顔には病みついているとも思われない気品が漂っていらしゃったとか。「まことに病の時にこそ、美貌というのは必要なものだ」とご感想を仰せになったとのことです。また、ご臨終の際にお側の方々が西の方角へお体をお向けあそばして「お念仏を」と申し上げると、「飲み友達の済時なりとき朝光あさてるも極楽にいるだろうか」とおっしゃったそうです。お酒とご冗談が大好きでいらっしゃった道隆様らしいご最期と、泣き笑いしながらお聞き申し上げたのでございました。

 この日から中宮様を中心とする関白家は頼りとなる柱を失い、音を立てて崩れて行くことになるのを、私はまだ知りませんでした。

 道隆様の死後、関白という座をめぐっての覇権争いが始まりました。私は、伊周これちか様が後を継がれるのが当然のことと甘い考えを持っておりました。ですから、私の知らないところで道長様が動いていらっしゃり、その火の粉が私にまで及んで来たときにもまだ、よく事態が呑み込めていなかったのです。頭中将斉信様とは、あの『草の庵』の件以来、以前よりも親しくなりました。優雅なお姿で、ちょくちょく私のところへお見えになっては風流なことをおっしゃっていかれます。

 九月の道隆様の追善供養に清範僧都がしみじみとしたことを説かれた後で、斉信様が高らかに吟誦なさいました。

「月秋として身いまいづくにか」

 月は秋となってまた照るけれど、月を賞した人は今どこに去って行ったのか…。

南楼月なんろうげつもてあそブノ人、月秋ト期シテ身イズクニカ去ル」と、菅原文時が謙徳公追善のために詠われたものです。そのすばらしさもさることながら、中宮様の今のお心にぴったりにちがいないと、それだけを申し上げに参上いたしました。人をかき分けるようにして御前に進み出ていると、中宮様は立っておでましになられました。

「すばらしいこと。まったく今日のためにこそつくられたようね」

「それを申し上げるために何もかも途中で放り出して参上いたしましたのでございます」

 私が申し上げると、中宮様は仰せになります。

「あなたの贔屓ひいきの君だもの、特別よね」

 その場にいた、他の女房の冷たい視線に私はまったく気がついておりませんでした。

 確かにそのころは、伊周様と道長様の間で対立が激しくなっており、口論があっただの、弟君隆家様の従者と道長様の従者が斬り合いの喧嘩をしただのという微妙な時期ではございました。隆家様のご兄姉思いが昂じてのことなのでしょうか。世間では隆家様を、『やんちゃ殿』などと言うようです。私も関白の座を狙う道長様の存在に恐れを抱かないわけではございませんでした。道長様は道隆様の弟君で、道隆様に引けをとらない切れ者と前々から尊敬申し上げてはいたのですが、事情が変わればいわば敵方。

 私は道長様と斉信様のつながりまでには、目を向けていなかったのでした。中宮様や私が見ようとしていたものは人の心の有様であり、政の有様ではなかったようです。

 それから間もない年明けの長徳二年一月、取り返しのつかないような出来事が起きてしまいました。

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