第13話 草の庵 ~明暗の日々~
女人ばかりで暮らす宮中におりますと、噂話はあちこちから生まれ飛び火し、中には火種さえなくてもなかなか消えないやっかいなものもありました。
そういえば
名も知らぬような新参の若い女房に不意に訊かれ、「どうしてそんな思いもよらぬことを」といった意味の和歌を詠んで返事としたのでした。男女のこととなると勘のはたらく
実方君とはともかく経房君とは何もございません。仮に噂が事実であったとしても、こういった女房と殿上人との噂はとくべつなことでもないのですが、
「まぁ、経房君と私の仲を引き裂こうというのかしらね」
「そのような仲には決してなってくださらないのになぁ。噂になるくらいなら本当のことにしてしまいましょうか」
「そのようになってしまっては、私はかわいい弟君を失うことになってしまいます」
「姉君には、かなわないようだ」
二人で笑ったきり斉信様にはとくに弁解も申し上げず、気にとめることもなく過ごしておりました二月の末頃。宮中の
その則光が、雨の中何の用だろうといぶかしく思いました。
「頭中将が、あなたのことを『ひどくにくらしいけれども、やっぱり物足りなくて寂しい感じがする。何か言ってやろうか』とおっしゃっているよ」
にこにこしています。元妻が自分の主に嫌われていることに胸を痛めていたのでしょうか、自分の立場が無いと思っていたのでしょうか、それともまた迫ってくるのでしょうか。
「それは雨の中、ご苦労さまなことでした」
自分でも冷たいとは思いながらも、何事もずるずると引きずることが嫌いな性質なのはどうしようもありません。憎みあって別れたというわけではないだけに、このように会っていると曖昧な関係になりそうなのです。殿上人は皆、私たちが夫婦だったことをご存知なので、則光は「きょうだ
それから夜になって参上したところ、中宮様はすでにご寝所に入っておいででした。がっかりして所在なく
「今こちらへ伺ったばかりなのに、殿上からいつのまに用事ができたのか」
控えている女房に聞かせると、私に直接申し上げるべきことがあると言っているようです。出て行ってたずねると、頭中将斉信様からの手紙を持って立っているのでした。
「『直接渡して、返事をすぐにもらって来い』と仰せですので、お待ち申し上げます」
「追っつけ、ご返事いたしましょう」
ひどく私をお憎みなのに、いったいどんなお手紙なのだろうと気になるけれども、懐に入れて中へ引っ込んでしまいました。また女房同士の話に加わっていると、主殿司は引き返してきたようです。
「『お返事がないのならば、さっきの手紙を頂戴して来い』とお命じになりました。早く、早く」
それで、懐に入れた手紙を開いて見てみると、青い
「
と書いて、「末の句はいかに」と書き添えられています。こんな時、中宮様がいらっしゃったなら、すぐにお見せしてご相談するのにと困惑いたすうちにも、主殿司は急かします。この句の末は「廬山ノ雨ノ夜草庵ノ中」だと浮かぶけれども、そのままお返事するのも、ただ答えを知っていますということをひけらかすようです。思案する間もないので、半ば開き直ったつもりで、炭櫃の中から消えてしまっている炭を拾って、斉信様のお手紙の端の方へ書きつけました。
「草の庵をたれかたづねむ」
斉信様からは、それっきり返事の来る様子もございませんでした。
夜が明けてすぐ局に下がっていると、
「草の庵はいるか、草の庵はいるか」
何やら昨夜のことのようです。
「そんな変なみすぼらしい者がどうしておりましょう。『玉の
「やれやれ、局にいらっしゃってよかった。探し回るところであった」
宣方君は斉信様にいつもくっついていらっしゃいます。昨夜の、斉信様の
「殿上人や
ひと息にお話なさると、急いでお立ちになりました。そんな貧相なあだ名はいやだこと、と思っているうちに今度は則光がやって参りました。
「たいへんな喜びごとがあったので、
「何です。昇任でもなさったのですか」
言った後、嫌みに受け取られて傷つけはしなかったかと心配しましたが、そんな様子は全くなく、にこにこと先ほど宣方君が話されたのと同じことを言うのでした。
「自分のことのようにどきどきしたなあ。頭中将が『きょうだいよ、聞け』と仰せになるので、『そうした文雅の才はどうもございませんので』と申し上げると、『批評したり、理解せよというわけではない。ただこうしたことがあったと、人に吹聴せよということで聞けと言っているのだ』と言われるのは、きょうだいとしては、かたなしだけれど。でも、こんなに皆があなたを褒めていることをうれしくないわけがない。いや、少々の昇任よりはずっとうれしい」
少し大げさではありましょうが、この男はどこかずれているのではなかろうかと見てしまうのでした。何の関係もない間柄であれば見過ごせないかわいさ、やさしさ、たくましさが則光にはあるのですが、夫や恋人となるとどうしても冷めた目で見てしまうのは私の悪いくせなのでございましょうか。
やや経ってから中宮様が、「何をおいても今すぐ来るように」とお召しになったのでした。
「殿上の男たちは、それぞれ扇にあの句を書きつけてもっているわよ」
中宮様も私が褒められるのを、ご自分のことのようにうれしそうになさいました。そして、中宮様をお喜ばせするのは私の生き甲斐だったのです。
斉信様はそれ以来、
※きょうだい…夫婦の縁は解消しても兄妹のような近しい間柄であったからか。
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