ちゃんとした子供

D・Ghost works

 私がこのクラスを受け持った日から、その子がショルダーバッグを決して手放さない事に気づいていた。

 名前はハジメ君。この保育園に入園した四月に、四歳を迎えた男の子だ。

 最初のうちはバッグを片づけるように話しかけたけれど、すぐにぐずりだすその子に私も他の先生も手を焼いていた。普段は物静かな子で、いつも窓際でお日様を背負って絵本を捲っている。


ハジメ君。皆と一緒にお外に行かない?」


 入園式から二ヵ月が過ぎたある日、私は彼に声を掛けた。図書室から絵本を持ってきた彼が窓際に腰を下ろした時の事だ。

 一瞬だけ私の顔を見てから、すぐに首を大きく横に振るハジメ君。それから抱えるくらい大きい絵本の表紙を捲った。


 窓の外から、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。ボールを追いかけたり、遊具に集まる子供たちに降り注ぐ太陽を私はガラス越しに感じていた。


 ハジメ君は少し重たそうに、上半身全体を目いっぱい使って絵本の表紙を開いた。日差しが浮き彫りにした埃が、彼の動きに合わせてキラキラと舞っている。

 私はハジメ君の隣に座るんだけど、どうやら彼はあんまり私の事を意識していないみたいで、絵本のタイトルの下に描かれた騎士の絵を眺めていた。


「先生が読んであげようか?」


 今度は首を縦に振ってくれた。ハジメ君から受け取ったずっしり重いその絵本は、まだ私も読んだ事のない物だった。タイトルの下にはもの憂げに佇んだ騎士が淡い水彩で描かれていて、兜の襟足からちょこんとはみ出した三つ編みがかわいらしい。

ページの外周は日に焼けて黄ばんでいて、本の背に埃の塊がくっついていたから指先で取り除いた。


 活発なお姫様が出てくる、ケルト民話風の世界観のお話だった。

 冒頭から、ドレスを嫌がり、狩猟の服装に着替えては馬に乗ってお城を出ていくお転婆を王様は心配し、三人の結婚相手候補を連れてくるのだけれど、父親の言う事を聞きたくない彼女は候補者達に試練を出します。それはユニコーンの角を持って来させたり、巨人の金貨を奪ったり……


 四歳の子供が読むには長いお話に思えたけれど、私が読んでいる間、彼は静かに聞き耳を立てていた。


※ ※ ※


 試練が始まり、三人の花婿候補の騎士が森に入った矢先の事でした。鎧に身を包み、兜で顔を隠した四人目の騎士が現れ、花婿候補たちに向かって弓を弾き始めました。

 試練の邪魔をされた三人は突然の妨害と、騒ぎ声に気づいて暴れだした森の怪物達に追われて瞬く間に逃げ出していきます。


 四人目の妨害は上手くいくかのように思われました。しかし彼もまた森の怪物たちに気づかれてしまい、近くに居たユニコーンが鋭い角を向けて猛突進してきます。


 逃げなきゃ!


 そう思った四人目の騎士でしたが身動きが取れません。よく見るとマントが木に引っ掛かっていたのです。鋭い角を向けたユニコーンは、蹄を鳴らして迫ってきます。


 そこに偶然、遊牧民の少年が通りかかりました。彼は騎士の姿を見るなり、ユニコーンの注意を引こうと脱いだ上着を振り回しながら駆け寄りました。

 踵を返して遊牧民の少年を追い始めるユニコーンでしたが、追いかけられながら少年は機転を利かせました。

 近くで新芽を食んでいた野生の鹿の角に上着を引っ掛けると、自分は草むらに身を隠しました。角に引っかかった上着のせいで突然目の前が見えなくなった鹿は驚いて唸り声をあげました。そして闇雲に走り出し、その姿に驚いたユニコーンは鹿に威嚇をしながらどこかへ走り去っていきました。

 その隙に少年は騎士の元に駆け寄り、彼を助け出すのでした。


※ ※ ※


 そこまで読んで、ハジメ君が寝息を立てている事に気が付いた。彼は眠っている時もバッグの肩ひもを握りしめていた。

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