再会

 彼女が貼り付けた微笑は、帰路を寒々しく飾った雨によって流されたのだろうか。

 でも僕の、皇女様に会えなかったことを悔いる気持ちは流れない。


 頰を伝う水滴が反射する光なんて、夜には存在しないのだ。



 微睡みから覚醒したのは、珍妙にも正午と少しの刻であった。だが上空では雲が、群がるドルオタのごとく集結し、夜同様にアスファルトを照らす陽光は隠されている。

 何となく不穏な気がしないでもないが、お得意の見て見ぬフリ、だ。


 春特有の重い空気と布団を蹴り飛ばし、毎日読むようにしている新聞を取りに行こう。

 歩くと軋む床の音を煩わしく思いながらも階段を降り、このアパートの住人たちの姓が並ぶ郵便受けを確認。


 水滴が付されたビニール袋を破り、滑らかな感触の紙媒体を取り出す。


 そして。

 目に飛び込んできた見出しは。


「....っ」


 なんだ、これは。

 

 僕は財布を持って走り出した。


 

 * * *



 僕は電車の空席を気にも留めないほどに動揺している。生きた心地がしないのだ。


 昨晩は、来れなかったのだ。

 ウヅキがいたから帰ったとかでは無く。


 今の僕には、彼女が居ないと駄目だ。


 たった一週間の逢瀬でこれほどまでに彼女に依存していたことを、ようやく悟った。僕は相変わらず醜い。


 だが、どうして皇女様が今更、に留学するのだ。

 

 両親は過保護じゃなかったのか?


 いや彼女自身が、強く希望したのだろうか。


 きっと両親を必死に説得して、自分の願望とやりたいことを語って。


 正直、僕と皇女様は身分が違えど、どこか似ているところがあったと思っていた。


 けれど、全然違ったのだ。


 進路に迷い路頭にも迷いそうな僕とは異なり、自分のやりたい事がはっきりしていたのだ。


 ああ。なんて哀れなんだ。僕は。


 空港行きの電車は揺れるけれど、僕の思考は揺れずに絶え間ない。


 彼女に頼られて僕は彼女に依存し、自分の存在意義を見出していただけなんだ。

 高貴な彼女に教えを請われる自分に、快感を覚えていたのだ。


 彼女が居なくなった途端に、己が醜さに気づいた。


 ...はぁ。

 自己承認欲求を満たすために、毎晩公園に行っていたのかもしれないな、僕は。


 恋愛感情なんて綺麗なモノじゃなくて、ただただ僕を満たしてくれる彼女に依存していただけなのだ。


『.....is ヘルエ空港前』


 聞き取りにくい車掌のアナウンスに耳を傾けると、もう到着することが分かった。


 行ったところで彼女に会えるワケじゃないし、なんの意味もないけれど。


 ただ最後に自分の醜さを知って欲しかった。そしてたった一週間でも、病んだ僕の心の拠り所となってくれたことに感謝を告げたかった。


 ふしゅーっ、と昨晩の炭酸が抜ける音に似た音色を併発して、銀色の扉が開く。


 人の流れに逆らって階段を上る。というか、乗客は皆満足したような顔で階段を下っている。彼らが一様に呟く「綺麗だったな」という旨の感想が、既に皇女様が去ってしまったことを如実に示していた。


 でも、脚は止まらない。


 まるで出逢った晩の深夜二時過ぎみたいに、心臓が苦しい。


「はっ...はっ....っ」


 昇りきり地上に出ると共に、僕は光に包まれた。意図せず目を細める。


 曇っていたはずの気候は、彼女の門出を祝福するかのような快晴。


 けれど僕は細めた目を開くことをせず、そのまま目蓋を下ろした。目蓋越しの光が僕の闇を照らしているようで鬱陶しい。


 歩道のど真ん中で呆然と立ち尽くす哀れな自意識の塊に、軽快に近づく足音。


「あっ!やっぱ来ると思ってたよ!マジメンっ!」


 青空で唸る排気音で、ウヅキの声は聞こえなかったフリをした。

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