第8話 御食媛神社
八、御食媛神社
「あままちど」からゴサイの間は、参拝者が絶えない。と聞いていただけに、夕方のこの時間でも疎らではあるが、人々が参道を上がっていた。
緩やかな坂道を少し登ると、石造りの大きな鳥居があった。そこから参道は石畳になり五十メートルほど先にも鳥居が立っていた。
そこまでゆくと、参道脇に祠があって、振り返ると湊の様子がよく見えた。
さらに参道は曲がって登り、道端のところどころには小さな祠や石仏が立っている。
何度か曲がった先に、こんどは木で出来た鳥居があった。そこからは、上に向かって真っ直ぐに石段が延びている。
石段の脇には一定間隔を置いて、石灯籠が立てられてほのかな灯りが点っていた。その辺りは、森の中なのでもう薄暮が訪れていた。
木製の鳥居の傍には一段と大きな灯籠があり、そこには「御食姫神社」と彫られていた。
「ここでは、媛が姫になっているね」
「うん、きっとこの灯籠は作った時代が新しいのだわ。媛と姫は、意味は同じだけど、巫女のいる神社ではなんか違うって気がするわ・・」
「なぜ?」
「だって、媛という字は巫女をイメージ出来るけれど、姫は単純に良い所のお嬢様って感じがする」
「なるほど。会社の社長だとしたら、自分の才能で勝ち取ったトップエリートと親の七光り・単なる二世のお坊ちゃまってイメージね」
「ふふ」
石段は急で視界は全く効かない。一番上に古い山門が立っているのが解るだけだ。
石段の後半になると、登るのにつれて黒い山門の間から、神社の荘厳な建物が徐々に姿を現してきた。それを見て神聖な気を感じた二人は、無言のうちに門の下で深く礼をして境内に入った。
神社の境内は、大きな木が立ち並ぶ深い森になっていた。左手に手水舍があり右側には社務所がある。社務所の奥には、献納された酒樽が何段にも積まれて並んでいる。その間に広い道が真っ直ぐ奥に延びていた。
二人は手水舍で身を清めてから、豪勢に積まれた酒樽を見上げた。この神社に縁がある銘柄だそうだ。その横にある小道を回り込んでみると、じきに池があった。
森の中にあるある丸い池だった。
ほぼまん丸で、その端っこが長く細く延びて、くるりと回って池に入る石段になっていた。
「これは・・・」
と、呟いた琴代が池を見回して、足早に岸辺を確かめ始めた。
池を一周して戻ってきた琴代は、スマホを使ってしきりに何かを調べている。その琴代の目が輝いているのを清美は見た。
琴代が何かを発見したのは間違いが無かった。
そのまま琴代は、調べるのに熱中していた。こうなると待つより仕方が無い事を長年の付き合いである清美は承知していた。
「何か見つけたの?」
と、ようやく一段落した様子の琴代にそっと聞いてみた。
「この池、清美は不思議だと思わない?」
「うん、思う。池に降りる石段があるにしては凄く濁っているし、何か形が変なような・・」
水面に森の木々を映す丸い池は白く濁っているのだ。底どころか浅い段も白く濁って見えない池の水は、神前に供するのはもちろん飲用や洗濯にさえも、とても使えないと思ったのだ。
「そう、私もそう思って調べてみたの。すると、年中濁っているらしいの」
「じゃあ、石段は水を汲むためでは無いのね」
「そうとは限らないと思うわ。消防の為の水かも知れないしね。それよりも、この形よ」
「うん」
「これは、神社で良く使われている巴紋の形なの」
そう言われると、清美の頭の中にも、延びて曲がった三つの形の紋が浮かんだ。確かにその紋に似ている。いや、もうその紋を模して作ったとしか思えなくなった。
「神社によくある紋は、これが三つ円状に並んだもので、三つ巴と言うのだけれど、実は九鬼家の紋も三つ巴なのよ」
「九鬼家って・・」
意外な話に清美は戸惑った。神社から海賊大名の九鬼家の話になるとは思わなかったのだ。
「でも、それは不思議でも何でも無いわ。海の神でもあるここを海賊が信仰するのは当たり前だし、それに九鬼家は熊野権現の別当の一族だそうよ。ここの神社と縁が合ってもおかしくないと思うわ」
「御食媛神社と海賊大名が親戚なの?」
「そうであってもおかしく無いわ。それに、九鬼家が水軍で使うもう一つの紋が七曜紋なの」
「しちよう紋?」
「そう。七曜とは、火星・水星・木星・金星・土星の惑星と、月と太陽を意味しているの。一週間の曜日と同じよ。絵で表わすと真ん中の丸を取り囲むように六個の丸がある紋よ」
と、琴代は手の平に、指で絵を描いて見せた。
「ああ、それなら見た事あるわ。それが何なの?」
清美には、琴代の言おうとする事が分らない。
「九鬼家の話の中に、「アゴ郡七人衆」というのがあるの。この地域の相差・国府・甲賀・波切・青山・佐治・浜島の地頭衆の事よ。地域に勢力を持った彼らが船でゴサイの参詣に上がって来たとしたらどう?」
「それって、七本鮫の話ね!」
「単なる憶測だけどね」
「ううん、あたしもそう思うわ。荒くれの海賊を凶暴な鮫に例えるのは分りやすいわ」
「それに、或いは六本鮫とも言われると書いてあったでしょう。アゴ郡七人衆は実は二郡を従えている者がいて六人だったの」
「郡が七つで頭は六人だったのね。それであんな書き方していたのね」
「私の想像に過ぎないけどね」
清美の頭の中に、祭り用に派手に飾り付けた海賊船が六・七隻、ゴサイの参詣に来る様子が浮かんだ。それは、極めて目を惹く光景だったに違いない。
「それにしても、濁った池は珍しいね・・」
「本当、何か意味が隠されているのかも知れないわね」
大きな木が並ぶ森は、小道を行くとすぐに広い境内に通じた。
境内は、小さな学校のグランドほどもある広さで、そこに人々が疎らに並んでいた。正面に広い参拝所があり、そこから本殿に続く急階段が真っ直ぐに上がっている。その途中の一壇高い所に左右に広がった拝殿があった。
「普通の神社より高いね・・」
拝殿を見上げて清美が言う。本殿や拝殿は、まさに見上げないといけない高さだ。石垣と土を盛られた土台に高い柱が立って拝殿を支えている。境内と本殿は、四十五度に近い急な階段が、神様との距離を一層神秘的に隔てていた。
「昔の出雲大社は、こんな急階段が百メートル以上もあったらしいよ」
琴代は、昔見た古い絵図を思い出して言った。
「ここは、古い神社の形が残っているっていうことね」
「たぶんね・・」
境内の端には、山へと続く道があった。そこには、木で作った柵が置かれてあったが、人の通行を遮断する物では無かった。
「この先に、ご神体と呼ばれる遺跡があるのね。どうする?」
宿の女将さんから聞いた話では、通行は禁止されていないが地元の者は恐れ多くて入らないらしい場所だ。
「観光客は、行くのでしょう。私たちは地元の人では無い、行ってみましょう」
好奇心旺盛な琴代を先頭に、急な石段を登った。すると境内から五分ほどで頂上に着いた。
そこには、話に聞いた通りの石積みの基壇のようなものがあった。
手前の辺が長い五角形で、一番遠い頂点に石で組んだ小さな祠がある。祠の中は、やはり石が立てられていて、右が背の高い細長い石、左にはずんぐりとして丸い石が祭られている。
「これ、あれね?」
「うん、陰陽石だと思う」
背の高い方の石は、上部に斜めに筋がある。それは男性器の雁首をあらわしている。誰が見てもすぐ分る。
その小祠の前は、人が二人ぐらいは、横になって並ぶほどの広さがあった。
「まさか、ここでいたした訳じゃあないでしょうね?」
「或いは、生け贄・・」
「ひえー」
清美は、基壇に触っていた手を慌てて引っ込めた。
「まさに、不思議の神社だわ」
琴代の目がキラキラと光っていた。
二人は神社に戻ると、参拝所に並ぶ列に加わり参拝をした。
山の中腹に位置する神社の境内からは西・南・東の方向が見渡せられる。今の時間は西の方向に、眼下に沈みゆく夕日が見えていた。
山並みに沈む寂静の夕日が拝殿の左側を赤く染めていた。やがてそれが静かに引いていき辺りは薄闇に包まれていった。
だが、そこに居る人々はまだ帰ろうとはしなかった。それどころか、登ってくる人の列は続き、拝殿前の広場には次第に人が増えていく。
二人は、人並みから無言で湧き上がる一種異様な熱気を感じていた。それは何かが起こる期待に満ちた群衆の熱気というものだった。二人は強い興味をそそられて、黙ってそこに立ち尽くしていた。
不意に「おおっ」と言う声がした。
拝殿に灯りが点ったのだ。と同時に、廻りは一気に闇に包まれた。濃い闇の中で拝殿だけが明るい光に包まれて浮き上がっていた。
やがて、微かに音が聞こえてきた。音楽だ。
その音楽は次第に大きくなってゆく。荘厳な響きの雅楽だ。
「ごくっ・」
と、生唾を飲み込む大きな音が聞こえた。何の事はない、琴代自身が出した音だ。琴代がそう気付いて苦笑を浮かべたときに、人々がざわめいた。
「巫女さまだ」
と言う期待に満ちた声に拝殿を見上げると、白装束に朱袴を着けた巫女が、拝殿の右の高楼から姿を現わし、静かに中央に進んでくる。雅楽は拝殿の右手にいる者達が奏でていた。
巫女は中央に進み出ると、本殿に向かって拝礼をして詔を唱えている。それを終えると、ゆっくりとこちらを向いて停止した。参拝者を見ているのでは無い。参拝者の頭の上を越して、南の方角を見ているのだ。
琴代にも、巫女は海を見ているのだと解った。
神社の南には町があり、その先は遙かな大海原・太平洋が限りなく続いている。その巫女を見ている自分の身の内に、ふいに電気が走り抜けた。
(何、これ・・・・?)
琴代は、何かが自分の中に目覚める感覚に戸惑った。
巫女は、海に向かって両手を差し伸べた。そこにいる参列者はそれを見て合掌した。
海を見つめる巫女の目が次第に大きくなった。
もちろん琴代の位置からは、巫女の顔を識別できる距離では無い。ただ、巫女がこちらを向いていると、いうことが解る程度だ。
だが、巫女の目は次第に大きくなって、拝殿ほどもある巨大な目が海を見つめている。
琴代は、全身に鳥肌が立っているのが解った。
だが不快では無かった。とても衝撃的だったが、何か癒やされている感じで安心していられた。そしてこの光景を前にも経験したことがあると思った。
大きな目の中心のその瞳は、薄いコバルトブルーをしていてゆっくりと渦巻いていた。
(竜宮の井戸だ・・)
琴代には、その瞳が竜宮の井戸を写していると思った。
雅楽が一段と高鳴った音で我に戻った琴代は、巫女が消えているのを知った。少しの間、意識がどこかに飛んでいたのだ。
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